銚子までやって参りました。
海なし県に住む私としては、海が見たくなる訳でして・・・。
それから、高いものがあれば上ってみたくなる訳でして・・・。
とても高く見えた「犬吠埼灯台」ですが、地上高31.3mということで、高崎の「白衣大観音」の方が10m以上も高かったんですね。
頂上までは99段の螺旋階段を上らなくてはいけませんが、途中途中に段数とメッセージが書かれているので、気を紛らわせながら上れます。
上部は資料展示室になっています。
「へ~。」と思ったのは、戦時中にカムフラージュされていたという灯台の写真でした。
この姿を滑稽に思える今の日本が、とても幸せな国に思えてきました。
「犬吠崎」の名前の由来は、義経の愛犬伝説だそうです。
頼朝に追われて奥州へ逃れる途中、ここに残された義経の愛犬は、主人恋しさのあまり七日七夜岩の上で吠え続けたというのです。
きっと、吹き荒ぶ風と波の音が、そのような伝説を生んだのでしょう。
岩礁が多く、黒潮が速さを増す房総沖は、海の難所だそうです。
慶応四年(1868)八月二十一日(新暦の10月6日)、台風のさなかに、その難所の海を北へ向かって航行する八隻の船がありました。
新政府軍の武装解除命令を拒否し、江戸湾を脱出して蝦夷・箱館(函館)へ向かっていた、榎本武揚率いる幕府艦隊です。
帆船の「美加保丸」(みかほまる)は、蒸気機関を持つ「開陽丸」に曳航されていましたが、荒れ狂う風と波に曳航索を切断され、2本のマストもへし折られて、自力航行不能となってしまいます。
五昼夜漂流を続けた「美加保丸」は、八月二十六日犬吠崎の北2.3kmの黒生(くろはえ)沖で座礁し、沈没の危機に瀕します。
「美加保丸」には、負傷兵を含む614人が乗っていたそうです。
沖合で座礁している船に気付いた黒生の漁民たちは、暴風雨の中、必死で乗員を救助しますが、13人の乗員が空しく命を落としてしまいます。
今、黒生漁港近くに、「美加保丸遭難の碑」というのが建っています。
13名の亡骸は、漁民たちの手によってここに埋葬されました。
しかし、ここに墓が建てられるのは、その15年後のことになります。
それは、埋葬されたのが、新政府に歯向かう賊軍の亡骸であったからです。
黒生沖に一艘の船が漂着したという知らせは、ただちに村役人から銚子の高崎藩陣屋に届けられました。
これが、このあと高崎藩にとって、思いもよらぬ事件に発展することになりますが、その顛末は次回ということに。
海なし県に住む私としては、海が見たくなる訳でして・・・。
それから、高いものがあれば上ってみたくなる訳でして・・・。
とても高く見えた「犬吠埼灯台」ですが、地上高31.3mということで、高崎の「白衣大観音」の方が10m以上も高かったんですね。
頂上までは99段の螺旋階段を上らなくてはいけませんが、途中途中に段数とメッセージが書かれているので、気を紛らわせながら上れます。
上部は資料展示室になっています。
「へ~。」と思ったのは、戦時中にカムフラージュされていたという灯台の写真でした。
この姿を滑稽に思える今の日本が、とても幸せな国に思えてきました。
「犬吠崎」の名前の由来は、義経の愛犬伝説だそうです。
頼朝に追われて奥州へ逃れる途中、ここに残された義経の愛犬は、主人恋しさのあまり七日七夜岩の上で吠え続けたというのです。
きっと、吹き荒ぶ風と波の音が、そのような伝説を生んだのでしょう。
岩礁が多く、黒潮が速さを増す房総沖は、海の難所だそうです。
慶応四年(1868)八月二十一日(新暦の10月6日)、台風のさなかに、その難所の海を北へ向かって航行する八隻の船がありました。
新政府軍の武装解除命令を拒否し、江戸湾を脱出して蝦夷・箱館(函館)へ向かっていた、榎本武揚率いる幕府艦隊です。
帆船の「美加保丸」(みかほまる)は、蒸気機関を持つ「開陽丸」に曳航されていましたが、荒れ狂う風と波に曳航索を切断され、2本のマストもへし折られて、自力航行不能となってしまいます。
五昼夜漂流を続けた「美加保丸」は、八月二十六日犬吠崎の北2.3kmの黒生(くろはえ)沖で座礁し、沈没の危機に瀕します。
「美加保丸」には、負傷兵を含む614人が乗っていたそうです。
沖合で座礁している船に気付いた黒生の漁民たちは、暴風雨の中、必死で乗員を救助しますが、13人の乗員が空しく命を落としてしまいます。
今、黒生漁港近くに、「美加保丸遭難の碑」というのが建っています。
13名の亡骸は、漁民たちの手によってここに埋葬されました。
しかし、ここに墓が建てられるのは、その15年後のことになります。
それは、埋葬されたのが、新政府に歯向かう賊軍の亡骸であったからです。
黒生沖に一艘の船が漂着したという知らせは、ただちに村役人から銚子の高崎藩陣屋に届けられました。
これが、このあと高崎藩にとって、思いもよらぬ事件に発展することになりますが、その顛末は次回ということに。