2025年02月22日

もう一つの「左道通行」

倉賀野にあった道標「左道通行」のことを書いたのは、7,8年前でした。
  ◇幸運を呼ぶ道標 「左道通行」(1)
  ◇幸運を呼ぶ道標 「左道通行」(2)
  ◇幸運を呼ぶ道標 「左道通行」(3)
  ◇史跡看板散歩-112 旧中山道「左道通行」道標

最近になって、その「左道通行」という道標が、高崎にもう一ヵ所あるというのを知って、へ~って思いました。
検索中に見つけた「すなばチャンネル」さんのYoutube動画と、「上州まったり紀行」さんのブログに、箕郷町で現役で使われている「左道通行」の道標が紹介されていたからです。

で、行ってみました。
その道標は、「群馬県立農林大学校」のすぐ南側にあります。
もう一つの「左道通行」

数本の杉の大木を避けるように道が二股に分かれていて、その分離帯が始まる所に「左道通行」の道標が建っています。
もう一つの「左道通行」
道標の裏には、「昭和十年(1935)六月竣工 群馬縣」と刻まれています。
倉賀野のは、昭和七年(1932)三月で、建てたのは内務省でした。

分離帯の終わり側に、もう片方の道標が建っています。
もう一つの「左道通行」

でも・・・、何か腑に落ちないんです。
杉の木が立ってる分離帯の長さは、60m弱です。
倉賀野の方は、正確には分かりませんが、写真で見ると少なくとも数百mはありそうです。
もう一つの「左道通行」

箕郷の場合、二股にするより、木を伐採して一本道にしてもよかったろうになぁ、という気がするのです。
分離帯には切株が残っていますが、たいした本数ではありません。
もう一つの「左道通行」

と思いながら、残った切株を見ていると、おやっ?と思うものを見つけました。
もう一つの「左道通行」
石が積んであるのですが、何かの土台だったようにも見えます。

もしかすると、この石積みの上に祠か何かがあったのではないか。
石積みを挟むように残っているふたつの切株も、そんなことを思わせます。
もう一つの「左道通行」

よく見ると、石積みと道路の間に、小さな石段らしきものもあります。
もう一つの「左道通行」

そうか、ここに村にとって大切な神様でも祀られていて、その祠を潰したり移したりして災いが起きたら困るので、道を二股にして残したんじゃないか。
そんな想像をしてみました。

さて、真実やいかに。

ご近所の方や農林大学校、箕郷支所に箕郷図書館へ行って、お聞きしたり調べたりしてみたのですが、分かりませんでした。
ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示くださいませ。


【箕郷の「左道通行」】
もう一つの「左道通行」





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Posted by 迷道院高崎 at 06:00
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