千葉県中学校長会編「中学生の新しい道」という道徳の副読本に、「じょうかんよ」という話が載っています。
天明年間とは、なんとも大変な時代でありました。
中でも、天明三年(1783)の浅間山大噴火は、天明の大飢饉をさらに大きくしてしまいます。
過去記事「浅間のいたずら」にも書きましたが、この時の噴火では高崎・倉賀野に30cmも灰が積もったそうです。
200kmも離れた銚子にまで、灰は降り積もりました。
庄川杢左衛門の墓碑には「積寸有余」とありますから、4~5cmくらいだったのでしょうか。
そして「立毛大痛」とも刻まれていて、立毛(たちげ:刈入れ前の稲)は大いに痛み収穫できなかったようです。
再び、「じょうかんよ」の文です。
村人達は、庄川杢左衛門を悼み、敬い、慕い、「じょうかんよ節」という民謡で、今も歌い伝えているそうです。
♪ じょうかん(代官)よ さまよ アレワノセイ
さまに三夜の三日月さまよ
宵にちらりと見たばかり ションガエー
胸に手をあて庄川様は
人のためなら是非もない ションガエー
許し得ずして米倉開き
お役ご免で自刃する ションガエー ♪
高崎市立中央図書館に、伝承「庄川杢左衛門」の電子紙芝居が所蔵されています。
制作したのは、前回ご紹介した、飯沼陣屋址記念碑建立会長の名雪雲平氏です。
この伝承に興味を持たれた方は、ぜひご覧になってみてください。
ただこの伝承、実は謎もいくつかあって、次回はその辺のお話を。
(写真挿入は迷道院高崎)

中でも、天明三年(1783)の浅間山大噴火は、天明の大飢饉をさらに大きくしてしまいます。
過去記事「浅間のいたずら」にも書きましたが、この時の噴火では高崎・倉賀野に30cmも灰が積もったそうです。
200kmも離れた銚子にまで、灰は降り積もりました。
庄川杢左衛門の墓碑には「積寸有余」とありますから、4~5cmくらいだったのでしょうか。
そして「立毛大痛」とも刻まれていて、立毛(たちげ:刈入れ前の稲)は大いに痛み収穫できなかったようです。
再び、「じょうかんよ」の文です。
「 | 杢左衛門は、銚子地方のこのひどいありさまをこと細かに高崎藩に報告し、藩の貯蔵米を出してくれるよう願いでた。 |
しかし高崎藩の直轄領である高崎地方一帯も、同じように飢饉の被害を受けていた。そればかりか高崎地方は、浅間山が大爆発を起こしたために、その噴煙が農地を埋めてしまったので、藩の役人たちは銚子地方の救済どころではなかったのである。 | |
杢左衛門の願いは無視された。 |
|
杢左衛門は、目の前に見る民の地獄の苦しみを見すごすことはできなかった。このままではみんな死んでしまう。(略) | |
人が死んだあとに米だけ残ってなんになる。 ---とうとう独断で、杢左衛門は銚子にある藩の米蔵を開いてしまった。(略) |
|
杢左衛門は金も貸し与えた。もちろん藩の御用金からである。貸したとはいえ、作柄や浜の漁がもとどおりにならないかぎり、返せるあてのない金である。 | |
藩の許可がないのに、御用金に手を付けた責任は重い。(略) |
|
『藩の許しも受けず、代官の分際をもって独断専行におよびし罪は軽からず。』と、とくに武士の情けをもって切腹を命ぜられたのは、それから間もなくのことであった。 | |
ようやくおだやかな日が続くようになった代官所の庭で、杢左衛門はりっぱに腹を切って死んだ。(略)」 |
村人達は、庄川杢左衛門を悼み、敬い、慕い、「じょうかんよ節」という民謡で、今も歌い伝えているそうです。
♪ じょうかん(代官)よ さまよ アレワノセイ
さまに三夜の三日月さまよ
宵にちらりと見たばかり ションガエー
胸に手をあて庄川様は
人のためなら是非もない ションガエー
許し得ずして米倉開き
お役ご免で自刃する ションガエー ♪

制作したのは、前回ご紹介した、飯沼陣屋址記念碑建立会長の名雪雲平氏です。
この伝承に興味を持たれた方は、ぜひご覧になってみてください。
ただこの伝承、実は謎もいくつかあって、次回はその辺のお話を。
【庄川杢左衛門頌徳碑】