群馬建材㈱に松井牧場の遺物が残っているという情報を得て、お邪魔してみました。
突然の訪問にもかかわらず、相談役の岸眞義さんは快く応対してくださいました。
まず見せて下さったのは、松井牧場牛舎内の牛さん達の写真です。
高崎漫歩に書かれていた通り20頭くらいいそうです。
奥の方に従業員らしい人が何人かいて、台車に載った搾乳缶、それを運ぶらしいレールも写っていて、貴重な写真だと思います。
松井牧場が閉鎖されたのが昭和二十年(1945)、群馬建材が敷地・建屋を買い取って、牛舎内でセメント瓦の製造を始めたのが翌二十一年(1946)だそうです。
その後、建屋の壁には「セメント瓦」「群馬建材」と表示されます。
最上階の屋根の上には、牧場時代の避雷針がそのまま建っています。
それほど周囲は一面の田畑で、高い建物がなかったということでしょう。
その避雷針の櫓が残っているということで、見せて頂きました。
ネジ部分に避雷針の先端部が取り付くわけです。
持って来て頂いたのが、その先端部です。
金色の針が光ってますねぇ。
屋根に載っていた鬼瓦も見せて頂きました。
鉄板製なんですね。
かっこいい。
松井牧場時代からのものが、あと二つありました。
ひとつは、正門左の立木です。
群馬建材が買い取った時には、まだひょろっと細かったそうです。
もう一つは、正門右の国旗掲揚塔です。
いやー、よくぞ残しておいて下さいました。
岸さんに深く御礼して、おいとま致しました。
ありがとうございました。
突然の訪問にもかかわらず、相談役の岸眞義さんは快く応対してくださいました。
まず見せて下さったのは、松井牧場牛舎内の牛さん達の写真です。
高崎漫歩に書かれていた通り20頭くらいいそうです。
奥の方に従業員らしい人が何人かいて、台車に載った搾乳缶、それを運ぶらしいレールも写っていて、貴重な写真だと思います。
松井牧場が閉鎖されたのが昭和二十年(1945)、群馬建材が敷地・建屋を買い取って、牛舎内でセメント瓦の製造を始めたのが翌二十一年(1946)だそうです。
その後、建屋の壁には「セメント瓦」「群馬建材」と表示されます。
最上階の屋根の上には、牧場時代の避雷針がそのまま建っています。
それほど周囲は一面の田畑で、高い建物がなかったということでしょう。
その避雷針の櫓が残っているということで、見せて頂きました。
ネジ部分に避雷針の先端部が取り付くわけです。
持って来て頂いたのが、その先端部です。
金色の針が光ってますねぇ。
屋根に載っていた鬼瓦も見せて頂きました。
鉄板製なんですね。
かっこいい。
松井牧場時代からのものが、あと二つありました。
ひとつは、正門左の立木です。
群馬建材が買い取った時には、まだひょろっと細かったそうです。
もう一つは、正門右の国旗掲揚塔です。
いやー、よくぞ残しておいて下さいました。
岸さんに深く御礼して、おいとま致しました。
ありがとうございました。
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