2025年04月19日

室田街道 無いもの散歩(4)

群馬建材㈱松井牧場の遺物が残っているという情報を得て、お邪魔してみました。


突然の訪問にもかかわらず、相談役の岸眞義さんは快く応対してくださいました。
まず見せて下さったのは、松井牧場牛舎内の牛さん達の写真です。


高崎漫歩に書かれていた通り20頭くらいいそうです。
奥の方に従業員らしい人が何人かいて、台車に載った搾乳缶、それを運ぶらしいレールも写っていて、貴重な写真だと思います。

松井牧場が閉鎖されたのが昭和二十年(1945)、群馬建材が敷地・建屋を買い取って、牛舎内でセメント瓦の製造を始めたのが翌二十一年(1946)だそうです。


その後、建屋の壁には「セメント瓦」「群馬建材」と表示されます。

最上階の屋根の上には、牧場時代の避雷針がそのまま建っています。
それほど周囲は一面の田畑で、高い建物がなかったということでしょう。

その避雷針の櫓が残っているということで、見せて頂きました。


ネジ部分に避雷針の先端部が取り付くわけです。


持って来て頂いたのが、その先端部です。

金色の針が光ってますねぇ。

屋根に載っていた鬼瓦も見せて頂きました。

鉄板製なんですね。
かっこいい。

松井牧場時代からのものが、あと二つありました。
ひとつは、正門左の立木です。

群馬建材が買い取った時には、まだひょろっと細かったそうです。

もう一つは、正門右の国旗掲揚塔です。


いやー、よくぞ残しておいて下さいました。
さんに深く御礼して、おいとま致しました。
ありがとうございました。

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Posted by 迷道院高崎at 06:00
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2025年04月05日

室田街道 無いもの散歩(3)



岡村合名会社のレンガ倉庫から25mほど行くと、旧・高崎中学校のイチョウ並木です。


さらに100mほど行った十字路を、真っ直ぐ進みます。


君ヶ代橋へ抜ける道(県道27号)を横断して、真っ直ぐ行くのが旧室田街道です。


入ってすぐ左に曲がります。


何となく、昔の街道っぽいです。


80mほど行くと、スーパー「両水」前の道と交差します。

あれ?「スギ薬局」になってる。


あぁ、この「両水」も無くなったんですね。


交差点を渡って「室田街道」を進みます。
400mほど行くと、かつて、こんなのどかな風景が見られたようです。

「松井牧場」です。

土屋喜英氏著「高崎漫歩」に、こう書かれています。
国道(現・県道27号)を過ぎた辺りは、広々とした田園風景が続き、その中に北欧か北海道の広野を連想させるような松井牧場の建物が眼に写り、蒸気機関車が黒煙を吐きながら重そうに列車を引いていく。(略)
松井牧場は、吾妻出身の中島優太郎が建物を建て開業したが、開業後まもなく死亡した。
その後、旧北甘楽郡小野村相ノ田(現富岡市)出身の松井里平が大正十五年(1926)四月、乳牛を含め施設一切を購入して松井牧場として開業した。(略)
松井牧場の最盛期には乳牛ニ十頭、従業員は住み込みや通勤の者十人ほどで、当時としては近代的なボイラーの設備があり、殺菌して出荷していた。(略)
松井牧場の乳牛の数から考えると、供給家庭は千五百軒ほどになり、高崎全市、豊岡、板鼻、榛名町、安中、原市が営業地域であった。(略)
昭和十九年(1944)ごろから戦争のため極度の食糧難となり、乳牛の飼料が得られず、昭和二十年(1945)三月に牧場を閉鎖した。」

現在、その地は「群馬建材」という会社になっています。


ぐるっと裏側へ回ってみると、何となくまだ牧場の雰囲気が残っていて、ちょっぴり嬉しかったです。


最近、ある会で並榎町区長の野口さんに「いま、区長さん家の周りをウロウロしてるんですよ。」なんて話をしたら、
「むかし、松井牧場ってのがあって、牧場時代のものが群馬建材に残ってますよ。」ですって!

早速行ってみました。
その時の話は、また次回。

【松井牧場跡】



  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
Comments(0)◆高崎探訪