←倉賀野町の上町交差点近くに、中山道倉賀野宿時代の「高札場」が復元されている。
「高札場」はもと問屋・須賀長太郎家の屋敷前で、その隣はもと脇本陣・須賀喜太郎家である。
「高札場」は通りに面しているので、目にした人も多いと思うが、その裏に「伝説の樅の木」というのがあるのはご存じだろうか。
正確には、「伝説の樅の木の子ども」なのだが。
ちょっと見には、パソコン教室の駐車場にある、クリスマス用の木にしか見えない。
だが、この木にはこんな伝説を書いた高札が立てられている。
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安政二年(1855)春三月、ちょうどお彼岸の中日であった。
倉賀野宿に大火があり、一面焼け野原となった。
百姓九右衛門宅が火元だというので、「九右衛門火事」と言い伝えられている。
だが、この大火でただ一軒だけポツンと焼け残った旧家があったという。
町の古老は、荒れ狂う猛火の中、何処からともなく大天狗が姿を現し、旧家に植えられた「楓」の老木から「樅」の老木へ、さらには屋根の上に飛び移りながら、法文を唱えていたと言い伝えている。
天狗を目撃した人々は、この旧家は普段から「古峯(こぶ)様」を信仰しているので、神社の天狗が来て助けてくれたに違いない、と話していたという。
この物語に出てくる「楓」と「樅」の老木は、その後も道行く人々に出来事を語っていたというが、ついに枯死して現在の木に植え替えられたそうである。
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「古峯(こぶ)様」とは、栃木県鹿沼市の「古峯(ふるみね)神社」のことであろう。
倉賀野宿が日光例幣使街道の起点であることを思えば、道中にある「古峯神社」の霊験を信じたというのも頷ける。
「古峯神社」の祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)である。
日本武尊が駿河の焼津の原で火攻めにあった折、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)で火を止めたという故事から、火伏せの神、火防の神として敬われている。
一方、「古峯神社」の天狗は、祭神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれるのだそうだ。
天狗は、日本神話では「猿田彦の命」として登場し、天下りの元祖・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内役として、松明の火で道を照らしたという。
そこから、やはり防火の神として祀られている。
さて、葦原中国(あしはらのなかつくに)、現代の日本は、まさに猛火に包まれた状態である。
はたして、大天狗は助けに来てくれるのであろうか。
それとも、信仰心を失い、徳を積むことも忘れた現代人は、見捨てられてしまうのであろうか。
罪多き大人たちは兎も角、
罪なき子ども達は助かるように、
今からでも徳を養い、祈りを捧げよう。
【倉賀野宿 高札場跡】