ここは、人を化かす「ムジナ」がいたり、その名も怖い「幽霊石」があるという、倉賀野町の「永泉寺」。
「永泉寺のムジナ」という話は、高崎の伝説の中では割合有名である。
いくつかのバリエーションがあるが、おおよそこんな話だ。
明治の初め、永泉寺の裏に高崎-上野間の鉄道が開通した。
永泉寺の庭に住んでいたムジナの一家は、昼となく夜となく轟音をあげて通過する列車の音に悩まされるようになった。
ところが、この頃から機関士の間で不思議な噂が流れるようになる。
夜行列車が永泉寺の近くまでさしかかると、前方から同じレール上をこちらに向かって爆進してくる機関車がある。
驚いた機関士が急ブレーキをかけて停止すると、前方の機関車は影も形も消えてしまうというのだ。
そんなことが続いたある晩、宿場の病院に永泉寺の提灯をぶら下げた小僧さんがやってきた。
「永泉寺の者ですが、今、和尚さんが手を怪我したので、傷薬をください。」と言う。
看護婦さんは傷薬を渡し、代金を受け取った。
ところが、朝起きて銭箱の中を見ると、木の葉が3枚入っていたという。
お医者さんが永泉寺へ行ってみると、和尚さんは怪我ひとつしておらず、元気に庭掃除をしていた。
「さては」と、藪の中を覗いてみると、怪我をしたムジナが一匹横たわり、傍には子どものムジナが心配そうに寄り添っていたそうな。
どうやら、汽車の音に腹を立てたムジナが、機関車に化けて抗議行動をしたらしい。
ところが、寝不足のせいか、疲労のせいか、はたまた慣れによる油断のせいか、本物の機関車をよけ損ねて怪我をしてしまったんだとさ。
お寺の裏庭に、いかにもムジナが住んでいそうな竹藪がある。
シャッターを押して、驚いた!
藪の中で、キラッ!と何かが光った!
「スワッ!ムジナだっ!」
と思ったら、ネコちゃんだった。
おどかすんじゃない!!
永泉寺の山門を潜って左手に、「幽霊石」という物騒なものがある。
一見「お地蔵さま」に見えるが、自然石なのだそうである。
この石は、倉賀野城主であった金井淡路守秀景の奥方を埋葬する時に出てきたと言われている。
不思議なことに、その石を他の場所に移しても、いつの間にか元の所へ戻ってしまったという。
誰言うともなく、この不思議な石を「幽霊石」と呼ぶようになったとか。
永泉寺は、もともと倉賀野城の北の出城「永泉寺砦」の跡である。
城主・倉賀野氏は関東管領・山の内上杉家に従っていた。
時あたかも、上杉謙信と武田信玄が川中島で合戦をしていた頃である。
倉賀野城は、永禄四年(1561)から八年(1565)の間、三度にわたって武田勢に攻め寄せられ、ついに軍門に下ることとなる。
その後、武田の命により倉賀野城主となったのが、金井淡路守秀景である。
「永泉寺砦」での戦いで、露と散った将兵の怨念が、「幽霊石」に込められたとしても不思議はない。
永泉寺を訪れた際は、手を合わせてやって頂きたい。
「永泉寺のムジナ」という話は、高崎の伝説の中では割合有名である。
いくつかのバリエーションがあるが、おおよそこんな話だ。
~……~……~……~……~……~……~……~……~
明治の初め、永泉寺の裏に高崎-上野間の鉄道が開通した。
永泉寺の庭に住んでいたムジナの一家は、昼となく夜となく轟音をあげて通過する列車の音に悩まされるようになった。
ところが、この頃から機関士の間で不思議な噂が流れるようになる。
夜行列車が永泉寺の近くまでさしかかると、前方から同じレール上をこちらに向かって爆進してくる機関車がある。
驚いた機関士が急ブレーキをかけて停止すると、前方の機関車は影も形も消えてしまうというのだ。
そんなことが続いたある晩、宿場の病院に永泉寺の提灯をぶら下げた小僧さんがやってきた。
「永泉寺の者ですが、今、和尚さんが手を怪我したので、傷薬をください。」と言う。
看護婦さんは傷薬を渡し、代金を受け取った。
ところが、朝起きて銭箱の中を見ると、木の葉が3枚入っていたという。
お医者さんが永泉寺へ行ってみると、和尚さんは怪我ひとつしておらず、元気に庭掃除をしていた。
「さては」と、藪の中を覗いてみると、怪我をしたムジナが一匹横たわり、傍には子どものムジナが心配そうに寄り添っていたそうな。
どうやら、汽車の音に腹を立てたムジナが、機関車に化けて抗議行動をしたらしい。
ところが、寝不足のせいか、疲労のせいか、はたまた慣れによる油断のせいか、本物の機関車をよけ損ねて怪我をしてしまったんだとさ。
~……~……~……~……~……~……~……~……~
お寺の裏庭に、いかにもムジナが住んでいそうな竹藪がある。
シャッターを押して、驚いた!
藪の中で、キラッ!と何かが光った!
「スワッ!ムジナだっ!」
と思ったら、ネコちゃんだった。
おどかすんじゃない!!
永泉寺の山門を潜って左手に、「幽霊石」という物騒なものがある。
一見「お地蔵さま」に見えるが、自然石なのだそうである。
この石は、倉賀野城主であった金井淡路守秀景の奥方を埋葬する時に出てきたと言われている。
不思議なことに、その石を他の場所に移しても、いつの間にか元の所へ戻ってしまったという。
誰言うともなく、この不思議な石を「幽霊石」と呼ぶようになったとか。
永泉寺は、もともと倉賀野城の北の出城「永泉寺砦」の跡である。
城主・倉賀野氏は関東管領・山の内上杉家に従っていた。
時あたかも、上杉謙信と武田信玄が川中島で合戦をしていた頃である。
倉賀野城は、永禄四年(1561)から八年(1565)の間、三度にわたって武田勢に攻め寄せられ、ついに軍門に下ることとなる。
その後、武田の命により倉賀野城主となったのが、金井淡路守秀景である。
「永泉寺砦」での戦いで、露と散った将兵の怨念が、「幽霊石」に込められたとしても不思議はない。
永泉寺を訪れた際は、手を合わせてやって頂きたい。
【永泉寺】