字「荒神」から「倉賀野緑地」へ下る坂の左に、伝説の「一本杉」があります。
看板では字数の制限があってあらすじしか書けなかったと思いますので、「伝説之倉賀野」の全文を読んで頂きましょう。
看板では字数の制限があってあらすじしか書けなかったと思いますので、「伝説之倉賀野」の全文を読んで頂きましょう。
「一本杉」 | ||
「 | 天下麻の如く亂れた戰國の世も、元和の春と共に、世は太平を謳歌する時代となった。 | |
甲阪新之助は、とある旗本の嫡男に生まれた。 父は旗本八萬騎の四天王の一人として多數の部下を統率する身であった。 その性質は勤嚴そのものの古武士、大阪夏冬の陣に其の名を謳はれた勇將にて、暇ある毎に語り聞かすは當時の武勇傳であった。 |
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新之助の生みの母は早逝した。父は後添を貰った。 後添には一人の娘が居た。名を桃千代と呼び母子は新之助と晴れて夫婦になる日を楽しみにして待って居た。 |
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然し、運命は皮肉にも新之助の心は、いつか許嫁とは反對な邸(やしき)の門番の娘お露にあった。 | ||
『忍ぶれど色に出にけり我戀は、物や思ふと人の問ふまで』 いつまでも知れずにはゐなかった。 |
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桃千代を通じて繼母に、繼母より父へと知られた。 如何に辯解したとて名ある旗本の嫡男の身が、いやしき門番の娘などと・・・。 |
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清廉潔白の士を以って世に聞ゆる父に許され樣もない事を知った二人は、或る夏の夜兩國大花火を期して姿を消した。 | ||
行く先は豫(か)ねて便りに薄ら記憶の老女中、お藤の餘世を送る上州碓氷の坂本宿であった。 | ||
江戸を出てから夜に日を次いで武州熊谷も過ぎ、本庄に辿りついた。 | ||
何の用意とてない上に御苦労知らず、働く能なき二人には、それは此の世ながらの生地獄であった。 |
「 | 折しも豪雨降り續き、河といふ河は未曾有の増水となった。 船賃とて持たぬ上に、江戸から追手が迫ってくると聞いた兩名は、どうしてもこの川を渡らねばならなかった。 |
「 | 或る夜淺瀬を見付けて川越しをした。 だが不幸にも足はすべって河中に・・・・怒り狂ふ荒波の中に! |
明くる朝河岸近くの河原に多くの人が集まってゐた。 近寄って見れば何と互ひに胴を結びし男女の溺死體であった。然も可憐にも女の體には新しい肉塊の動きさへ見受けられた。 |
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純朴な村人の目には涙さへ催された。 |
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「 | やがて二人のために河岸近くの高臺に比翼塚が建立された。 |
兩親も江戸より馳付けた。此の二人のいぢらしさに肉親の愛情がこみ上げてきた。 |
「 | 一切を許して立派な塚が立てられ、その上に二本の杉が植ゑられた。 一本は大きく一本は小さくとは優しい村人の心遣ひの表象(あらわれ)であった。 さゝやか乍も石塔も立てられた。 |
よく其處には訪れる人の供へた、だんご草花の供養も見出だされる。 | |
其の邊を荒神山(くわうしんやま)と云ひ、人々はあの杉を荒神山の二本杉と呼び慣らした。 | |
それから荒神山はただ荒れるに委せられて狐や貉の巣くふ荒山となった。 |
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星移り年も幾度か改まって明治となった。 さしも荒れに荒れた荒神山一帶も文明開化の叫びと共に、次第に開墾され田畑となった。荒神と名づけた田も出來た。 |
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だがどうした理由か、水田の水掛りが悪い上によく人々が怪我をする。 又其の田を耕す者の家には必ず不幸が見舞ふとさへ云はれた。 |
「 | 人々は古老の言に從って二人の供養塔を立てゝ懇ろに弔った。 其れ以來惡い事もなくなったと人々は喜んだのである。 |
植ゑた二本杉は年を經て、すくすくと靑天に聳ゆる大木となった。 |
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或る年雷が落って一本が真二つに割れてしまった。 |
「 | 幸ひ枯れはしなかったが、その空洞になった所に、時々乞食どもが集まって火を燃してゐた。 |
或る冬の朝、村人たちは怒って追出したが、すぐに又集まって來た。 | |
遂に一本は枯れた、だが抜目のない乞食どもは、他の一本にも空洞を見付けて、相變らず火を燃やしてゐた。 |
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訪れる人々はその一本杉の根元に黒くこげた、むごたらしい痕跡を見つけて、風雨幾星霜にさらされて立つ梢を、深い感槪を以って眺めることであらう。」 |
もとは「二本杉」だったという、「一本杉」の悲恋物語でした。
【一本杉】