倉賀野の「九品寺」、参道左の塀際に石塔や石仏が並んでいます。
その左端のお地蔵様の卒塔婆には、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼」と書かれています。
お地蔵様の光背正面には、「奉造地蔵爲顯光照道信士菩提 大正拾弐年九月四日」、裏面には、「大正拾四年四月四日 建立 倉賀野町民」と刻まれています。
このお地蔵さまが建立されるについては、こんな事件があったのです。
「事件の内容については、その筋に於いて厳秘となっていたが上毛新聞社の探知によって記事にした」とありますね。
大正十三年(1924)三月十日前橋地方裁判所高崎支部に於いて下された判決文と照らし合わせてもほぼ同じ内容で、取材力の高さに驚きます。
ただ、ひとつ気になるところがあって、新聞記事では「巡査が鮮人を保護中・・・」とありますが、判決文では「保護中ノ年齢二十歳氏名不詳ノ男子」となっています。
つまり、裁判では被害者が鮮人とは断定していないのです。
さらに「群集ハ・・・鮮人ナリトシ 右駐在所ヨリ引出シタルヲ以テ 右群衆中ニ居合セタル被告等ハ全テ不逞鮮人ナリト思推シ・・・」と書かれています。
つまり群衆が思い込んだだけで、もしかすると、不逞鮮人どころか鮮人ですらなかったかも知れないのです。
現に、塚沢村では鮮人と誤認された日本人が殺害されています。
実にひどい話ですが、なぜこのような残虐なことが起きたのでしょう。
「新編高崎市史通史編4」の「震災下のデマ 朝鮮人暴動」という項に、こう書かれています。
倉賀野でも多くの人が暴行に加わったのですが、刑を申し渡されたのは次の被告四名だけでした。
ずいぶんと軽い刑だなぁと感じます。
しかも、大正十三年(1924)裕仁親王(後の昭和天皇)ご成婚により、その恩赦で大正十四年(1925)五月二十九日付で刑の言い渡しは効力を失っています。
その直前の大正十四年四月四日に供養地蔵を建立したのは誰なのか。
「倉賀野町民」とあるだけで、個人なのか複数人なのかも分かりません。
しかし、このお地蔵さんがあることで、人間が如何に扇動されやすい動物かということを知ることが出来ます。
関東大震災から100年を経た今、この事件を忘れずに、人間の心の弱点を胸に刻んでおきたいと思います。
その左端のお地蔵様の卒塔婆には、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼」と書かれています。
お地蔵様の光背正面には、「奉造地蔵爲顯光照道信士菩提 大正拾弐年九月四日」、裏面には、「大正拾四年四月四日 建立 倉賀野町民」と刻まれています。
このお地蔵さまが建立されるについては、こんな事件があったのです。
「事件の内容については、その筋に於いて厳秘となっていたが上毛新聞社の探知によって記事にした」とありますね。
大正十三年(1924)三月十日前橋地方裁判所高崎支部に於いて下された判決文と照らし合わせてもほぼ同じ内容で、取材力の高さに驚きます。
ただ、ひとつ気になるところがあって、新聞記事では「巡査が鮮人を保護中・・・」とありますが、判決文では「保護中ノ年齢二十歳氏名不詳ノ男子」となっています。
つまり、裁判では被害者が鮮人とは断定していないのです。
さらに「群集ハ・・・鮮人ナリトシ 右駐在所ヨリ引出シタルヲ以テ 右群衆中ニ居合セタル被告等ハ全テ不逞鮮人ナリト思推シ・・・」と書かれています。
つまり群衆が思い込んだだけで、もしかすると、不逞鮮人どころか鮮人ですらなかったかも知れないのです。
現に、塚沢村では鮮人と誤認された日本人が殺害されています。
実にひどい話ですが、なぜこのような残虐なことが起きたのでしょう。
「新編高崎市史通史編4」の「震災下のデマ 朝鮮人暴動」という項に、こう書かれています。
「 | 大震災の混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こし、略奪・放火・投毒などをほしいままにしている』とのデマが流れた。 |
このため東京・神奈川をはじめ関東各県において、軍隊・警察・住民で組織した自警団の手で、罪なき約6700人の朝鮮人が虐殺され、約650人の中国人も犠牲となった。(略) | |
当初、警察や行政機関はこのデマを流布する役割を果し、人々に『自衛自警』を呼びかけ、住民による自警団の組織化を促した。」 |
倉賀野でも多くの人が暴行に加わったのですが、刑を申し渡されたのは次の被告四名だけでした。
被告A | 懲役8ヶ月 執行猶予2年 |
被告B | 懲役1年6ヶ月 実刑 |
被告C | 懲役4ヶ月 執行猶予2年 |
被告D | 懲役8ヶ月 執行猶予2年 |
ずいぶんと軽い刑だなぁと感じます。
しかも、大正十三年(1924)裕仁親王(後の昭和天皇)ご成婚により、その恩赦で大正十四年(1925)五月二十九日付で刑の言い渡しは効力を失っています。
その直前の大正十四年四月四日に供養地蔵を建立したのは誰なのか。
「倉賀野町民」とあるだけで、個人なのか複数人なのかも分かりません。
しかし、このお地蔵さんがあることで、人間が如何に扇動されやすい動物かということを知ることが出来ます。
関東大震災から100年を経た今、この事件を忘れずに、人間の心の弱点を胸に刻んでおきたいと思います。
【福田村事件からの教訓】
【朝鮮人犠牲者供養地蔵】