2025年06月14日

室田街道 無いもの散歩(8)

並榎町にはもうひとつの有名料亭「望浅閣」(ぼうせんかく)がありました。
16年前、記事にしています。
  ◇五輪坂の名庭園

その記事にある通り、「望浅閣」跡にできた「護念寺」の庭は、当時まだ料亭庭園の面影を残していました。


ところが、令和五年(2023)に梅太郎一座さんから頂いたコメントに、びっくり仰天いたしました。


まったく残念な思いで、現地を見に行く気にもなりませんでしたが、「魚仲別館」跡からそう遠くないので、今回行ってみることにしました。

あちゃー、こんな風になってしまったのか。

何も無くなっちゃった・・・。

いや、ひとつだけ、昔のものが残ってました。
モルタルで塗り固められた崖の際にある、石づくりの丸テーブルです。


昔の写真の左端に写ってる、このテーブルですね。


床に埋め込まれたお洒落なタイルも健在でした。



崖の斜面は、白いモルタルでびっしり塗り固められています。

何だか雪山の風景にも見えて、これはこれで素敵に思えてきました。

崖下まで降りられるようになっています。




ずっと昔は崖下まで烏川の水がきてて、舟遊びができたそうです。


ちょっと前までは、こんなだったんですけどね。


いつの間にか樹木が伐採されて・・・。


万年雪みたいな景色になりました。


どんな経緯で、こうなったのか。
「護念寺」の所属する「本門佛立宗」(ほんもんぶつりゅうしゅう)のHPに書いてありました。
まずは由緒と「望浅閣」跡地に来るまでの経緯です。
「護念寺」のご弘通は昭和21年(1946)、高崎市内の民家を買収し「高崎布教所」として、ご弘通の第一歩を踏み出し、昭和23年(1948)9月に「入仏式」が佛立第15世講有日晨上人ご唱導のもとご奉修されました。
その後、昭和28年(1953)12月に現住所にあった料亭「望浅閣」の所有権を取得して、移転と同時に改修工事というご利益をいただきました。
当時の護念寺は、五輪坂を登った素晴らしい景勝の地にあり、購入前の所有者が経営されていた「望浅閣」という料亭は高崎市内で「3大料亭」のなかに入るほど大変賑わっていた料亭で、高崎市民は知らない人がいないほど有名な料亭であったと言います。」

樹木伐採については、こんな止むを得ぬ事情が書いてあります。
その後、昭和40年(1965)に「望浅閣」の一部を庫裡として残し、一部軽量鉄骨を使用して「本堂」を改築し、それ以来、昨年の令和4年(2022)まで約半世紀「旧本堂」として使用してきました。
しかし、本堂の老朽化(特に雨漏り)は著しく、また、ここ数年、ハクビシンが本堂内を駆け回る「ご不敬極まりない」体たらくとなってしまいました。
また、境内には長年剪定をせずにいた「大木」が30本ほどあり、その一部が境内地の下を通る国道に倒れんばかりの状態であり、信徒一同「もしも、その大木が倒れてしまったら大惨事になってしまう」ということで、先ずその大問題を解決すべく、大本寺である乗泉寺御高職の永江日盡師と宇都宮常照寺御高職の内田日孝師にご相談申しあげ、任期切れとなっていた責任役員にご就任いただき、樹木の伐採をさせていただきました。」

新本堂建設についても苦労が多かったようです。
この度の「新本堂建立」については、実は17年前(平成18年/2006)に建立される予定でしたが、諸般の理由により中止をせざるを得ない状況にありました。
その当時、本堂建立の建営ご有志者はもはや数人しかご存命ではなく、この度の「新本堂建立」は、お亡くなりになられた物故功労者への「追善供養」になると、信徒一同「感激の極み」でございます。
「落成式」に至るまでの経緯を申しあげると、昨年(令和4年/2022)の6月4日にご不敬になっていた「御本尊」「御尊像」を乗泉寺に先ず御遷座申しあげ、今年(令和5年/2023)の1月29日に「地鎮式」、 3月27日には「上棟式」を永江御導師に奉修いただきました。
そして、本年(令和5年/2023)の5月27日に施工業者より完成引き渡しとなり、大本寺・乗泉寺にお預かりしていただいていた「御本尊」「御尊像」の御遷座式を挙行させていただき、8月6日に「新本堂無事建立落成式」を執行させていただいた次第です。」

ものごとには、すべて、理由があるんですね。
そうそう、もう一つ残っているものがありました。

崖から流れ落ちる滝だったんでしょうね。
これを残した「護念寺」さんの思いが伝わってくるような気がします。

【護念寺】



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Posted by迷道院高崎at 06:00
Comments(0)◆高崎探訪