2025年02月08日

八島町の「高崎市美術館」前に、こんなブロンズ像があります。


美術にはとんと疎い迷道院が、このブロンズ像の存在を知ったのは、その作者が観音山にある「矢島八郎」像(二代目)と同じ分部順治だったからです。

もうひとつ、興味を持ったのは「碩」というタイトルです。
はじめ、何と読むのかも分かりませんでした。
辞書(角川新字源)を引くと「せき」と読むんだそうで。
意味は、「おおきい。すぐれている。りっぱな。」とあります。
うーん、何かピンときません。

別の辞書(集英社広辞典)を見てみると、「みちる。充実する。盛んな様子。」という意味もありました。
ははー、「満ちる。充実する。」かぁ、と膝を叩きました。
たしかに・・・、豊満ではあります。


ひとり納得して、ずっとそう思ってきたのですが・・・。

最近、「漢語百題」という本を読んでいたら、「凝脂」という項で「碩人」(せきじん)という文字が目に留まりました。
凝脂とは文字通り、凝固した脂肪の意であるが、中国では古くから白くなめらかな肌のたとえに用いられてきた。
『詩経』衛風の「碩人」の詩に次の句がある。
手は柔荑(じゅうい)のごとく、膚(はだ)は凝脂のごとし。
碩人は美人の意。その手は生えたばかりの木の芽のように柔らかく、肌は固まった脂のようになめらかだという。」

「肌は固まった脂のように滑らか」、まさにあのブロンズ像のようじゃありませんか。
でも、これって誉め言葉なんでしょうか。
「美人の意」とは書いてありますが・・・。

で、その出典の「碩人」の詩を見てみることにしました。
この詩は、衛の国の君主・荘公(そうこう)に嫁ぐ斉の国の姫・荘姜(そうきょう)を、衛の国の人びとが賛辞で祝したものだそうです。
加納喜光訳・藤堂明保監修「中国の古典18 詩経上」から抜粋します。

碩人其頎 碩人それ頎(き)たり
(麗しき人はすらりと高く)
衣錦褧衣 錦を衣(き)て褧衣(けいい)す
(錦の晴れ着に薄いうちかけ)
(略)
手如柔荑 手は柔荑(じゅうてい)の如く
(手の柔らかさはつばなの如く)
膚如凝脂 膚は凝脂(ぎょうし)の如く
(肌の艶やかさは獣の脂身の如く)
領如蝤蠐 領(うなじ)は蝤蠐(しゅうせい)の如く
(うなじの細さはテッポウムシの如く)
齒如瓠犀 歯は瓠犀(こさい)の如く
(白い歯並びは夕顔の実のよう)
螓首蛾眉 螓(せみ)の首(こうべ)と蛾の眉
(蝉のような額に蛾のような細い眉)
巧笑倩兮 巧笑(こうしょう)倩(せん)たり
(にっこり笑えば愛らしく)
美目盼兮 美目盼(はん)たり
(黒い瞳は涼やかだ)
(以下省略)

美しさを表現するのに、獣の脂身やテッポウムシに夕顔の実、蝉や蛾に例えるというのも、すごいなぁと思うのですが・・・。

ま、こんなことを知ったうえで見ると、あのブロンズ像、なかなか味わい深いと思いませんか。


【ブロンズ像「碩」】



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タグ :分部順治


Posted by迷道院高崎at 06:00
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