「実政街道」の3つのルートを辿ってみて、③のルートは①のルートに合流して井野川を渡っていることが分かりました。
分からないのは②のルートで、「五霊神社」から先いくつかのコースが考えられます。
①に合流するコースも考えられるのですが、「不動寺」の南あるいは北に沿って井野川を渡るコースもありそうです。
ということで、「不動寺」に沿って進むコースを辿ってみることにしました。
まずは、「五霊神社」から「貝沢歩道橋」を渡って、南側に沿って進むコースです。
すぐに「不動寺」の立派な山門前に出ます。
「不動寺」の開基は文亀元年(1501)ですが、この山門は令和四年(2022)に天田實氏が米寿を祝して寄贈したものだそうです。
これまた立派な、女人講の「子安観音」塔です。
境内に入ってみたくなりました。
本堂の破風・向拝の彫り物が見事です。
大棟に施された龍は漆喰の鏝絵なんでしょうか、すごいです。
山門入って左の一角に庚申塔がずらっと並んでいて、「庚申塚復元記録之碑」というのが建っています。
もとは寺東にあった天神山という古墳に登る道の両脇に並んで建っていた、と「貝沢町の民俗」に書いてありました。
墓地内には、高橋家の立派な墓石がたくさんあるのですが、その中にこんなのがあります。
「傑士」というのは、「優れた人物、卓越した人」のことだそうです。
他にも、こんなのがあります。
由緒ある家柄なんでしょうね。
さて、「不動寺」を出て少し歩きましょう。
二つ目の角を曲がった先に、相当な樹齢を重ねたらしい、梅の樹かなぁ、があります。
その先に、ちょっと傾いだ小屋があって、庚申塔や板碑などが祀ってあります。
正面の壁には「虚空蔵菩薩」と書いた紙が貼ってあります。
「貝沢町の民俗」に、この「虚空蔵様」のことが書いてありました。
また少し歩いて「ようざん」のところを左折します。
80mほど行くと、「不動寺」の北側から来る道と出会います。
角の窪みに隠れて、道祖神さんのカップルが仲睦まじくしておわします。
右折して50mほど行くと、こんどは馬頭観世音や可愛らしい石仏が。
本尊は一番後ろにある板碑で、「二十三夜様」だそうです。
さらに180mほど行った「井野川」のほとりに、また愛らしい双体道祖神。
ここに架かっているのは「町田橋」。
この橋は「メロディ橋」とも呼ばれていて、欄干に付けられた鉄琴を順番に叩くと、曲が奏でられるようになっています。
説明板もだいぶ文字が消えかかっていて、鉄琴を叩くマレットも無くなっちゃってますけど。
ちょうど「東部小学校」の下校時で、通りかかった児童に「これ叩いたことある?」って聞くと、「ある」と言ってくれたのでちょっぴりホッとしました。
ところがその時、迎えに来た若いお母さんが、その児の手をグイっと引き寄せながら、思いっきり私を睨み付けて去っていきました。
すっかり不審者と思われたようです。
母が子を守る迫力はすごい。
熊じゃなくてよかった。
それにしても、嫌な世の中になったもんだなぁ。
あ~あ。
分からないのは②のルートで、「五霊神社」から先いくつかのコースが考えられます。
①に合流するコースも考えられるのですが、「不動寺」の南あるいは北に沿って井野川を渡るコースもありそうです。
ということで、「不動寺」に沿って進むコースを辿ってみることにしました。
まずは、「五霊神社」から「貝沢歩道橋」を渡って、南側に沿って進むコースです。
すぐに「不動寺」の立派な山門前に出ます。
「不動寺」の開基は文亀元年(1501)ですが、この山門は令和四年(2022)に天田實氏が米寿を祝して寄贈したものだそうです。
これまた立派な、女人講の「子安観音」塔です。
境内に入ってみたくなりました。
本堂の破風・向拝の彫り物が見事です。
大棟に施された龍は漆喰の鏝絵なんでしょうか、すごいです。
山門入って左の一角に庚申塔がずらっと並んでいて、「庚申塚復元記録之碑」というのが建っています。
もとは寺東にあった天神山という古墳に登る道の両脇に並んで建っていた、と「貝沢町の民俗」に書いてありました。
墓地内には、高橋家の立派な墓石がたくさんあるのですが、その中にこんなのがあります。
「傑士」というのは、「優れた人物、卓越した人」のことだそうです。
他にも、こんなのがあります。
由緒ある家柄なんでしょうね。
さて、「不動寺」を出て少し歩きましょう。
二つ目の角を曲がった先に、相当な樹齢を重ねたらしい、梅の樹かなぁ、があります。
その先に、ちょっと傾いだ小屋があって、庚申塔や板碑などが祀ってあります。
正面の壁には「虚空蔵菩薩」と書いた紙が貼ってあります。
「貝沢町の民俗」に、この「虚空蔵様」のことが書いてありました。
「 | 昔は大きい寮があったというから虚空蔵堂であったのである。 |
現在の小祠は松本家が母屋を新築した時に建てたものである。 | |
虚空蔵様は松本イッケの守り本尊で、祀れば衣食に不自由しないといわれ、松本イッケの者は御眷属である鰻を食べてはいけないとされている。(略) | |
戦前には講があって、埼玉県など遠くから参詣者が来たほど賑わった。 | |
立派な賽銭箱があったが盗難に遭って今はない。」 |
また少し歩いて「ようざん」のところを左折します。
80mほど行くと、「不動寺」の北側から来る道と出会います。
角の窪みに隠れて、道祖神さんのカップルが仲睦まじくしておわします。
右折して50mほど行くと、こんどは馬頭観世音や可愛らしい石仏が。
本尊は一番後ろにある板碑で、「二十三夜様」だそうです。
さらに180mほど行った「井野川」のほとりに、また愛らしい双体道祖神。
ここに架かっているのは「町田橋」。
この橋は「メロディ橋」とも呼ばれていて、欄干に付けられた鉄琴を順番に叩くと、曲が奏でられるようになっています。
説明板もだいぶ文字が消えかかっていて、鉄琴を叩くマレットも無くなっちゃってますけど。
ちょうど「東部小学校」の下校時で、通りかかった児童に「これ叩いたことある?」って聞くと、「ある」と言ってくれたのでちょっぴりホッとしました。
ところがその時、迎えに来た若いお母さんが、その児の手をグイっと引き寄せながら、思いっきり私を睨み付けて去っていきました。
すっかり不審者と思われたようです。
母が子を守る迫力はすごい。
熊じゃなくてよかった。
それにしても、嫌な世の中になったもんだなぁ。
あ~あ。
【本日のルート】