「穴薬師」のある、倉賀野町の安楽寺に「大願成就」と書かれた額が奉納されています。
よく見ると、その文字は古銭の「寛永通宝」を並べて作られています。
「寛永通宝」には一文銭と四文銭があるそうですが、どちらなのでしょう。
因みに、銭形平次が投げつけていたのは四文銭の方だそうです。
ついでに調べてみると、四文銭1,000枚で一両になるとか。
「寛永通宝」と聞くと、江戸時代の通貨という気がしますが、何と、昭和二十八年(1953)まで法的には通用していたというから驚きです。
実際に使われていたのは、明治中ごろまでということです。
「大願成就」額の奉納は明治二十六年(1893)とありますから、使わなくなった「寛永通宝」を無駄にせず、御礼に使ったものでしょう。
どんな大願が成就したのかが、額の下の紙に書かれています。
「明治26年(1893)高崎市八幡原町菓子製造業 原田常八氏が、妻女の眼病平癒を当山の本尊七仏薬師如来に祈願したところ、霊験あらたかに快癒し、その御礼参りに「寛永通宝」で上記の文字を書き、御本尊さまに奉納してくれたものです。」
原田常八夫妻の喜びが、伝わってくるようではありませんか。
安楽寺には古銭で書かれた奉納額がもうひとつあります。
大正六年(1917)高崎市菓子商の奉納とありますから、先の原田常八氏と何か関係があるのでしょうか。
こちらは、一厘銭を使っています。
この明治生まれのちっちゃな通貨も、「寛永通宝」と同じく昭和二十八年(1953)まで通用していました。
因みに、一厘銭1,000枚で1円だそうです。
ところが現在、古銭ショップでは900円の値が付いています。
わからんもんですねー。
実は、安楽寺には、もうひとつ立派な献額があるんです。
それは、また次回ということに・・・。(ひっぱりますねー)
よく見ると、その文字は古銭の「寛永通宝」を並べて作られています。
「寛永通宝」には一文銭と四文銭があるそうですが、どちらなのでしょう。
因みに、銭形平次が投げつけていたのは四文銭の方だそうです。
ついでに調べてみると、四文銭1,000枚で一両になるとか。
「寛永通宝」と聞くと、江戸時代の通貨という気がしますが、何と、昭和二十八年(1953)まで法的には通用していたというから驚きです。
実際に使われていたのは、明治中ごろまでということです。
「大願成就」額の奉納は明治二十六年(1893)とありますから、使わなくなった「寛永通宝」を無駄にせず、御礼に使ったものでしょう。
どんな大願が成就したのかが、額の下の紙に書かれています。
「明治26年(1893)高崎市八幡原町菓子製造業 原田常八氏が、妻女の眼病平癒を当山の本尊七仏薬師如来に祈願したところ、霊験あらたかに快癒し、その御礼参りに「寛永通宝」で上記の文字を書き、御本尊さまに奉納してくれたものです。」
原田常八夫妻の喜びが、伝わってくるようではありませんか。
安楽寺には古銭で書かれた奉納額がもうひとつあります。
大正六年(1917)高崎市菓子商の奉納とありますから、先の原田常八氏と何か関係があるのでしょうか。
こちらは、一厘銭を使っています。
この明治生まれのちっちゃな通貨も、「寛永通宝」と同じく昭和二十八年(1953)まで通用していました。
因みに、一厘銭1,000枚で1円だそうです。
ところが現在、古銭ショップでは900円の値が付いています。
わからんもんですねー。
実は、安楽寺には、もうひとつ立派な献額があるんです。
それは、また次回ということに・・・。(ひっぱりますねー)
【安楽寺】