倉賀野町の西外れに「安楽寺」というお寺があります。
ちょうど歩道橋があって、その上から撮ったのが左の写真ですが、本堂の後ろに小山のようなものがあります。
この小山は、7世紀後半につくられた横穴式の古墳だそうです。
普通、お寺のご本尊というのは本堂に安置されているものですが、このお寺のご本尊は古墳の石室の壁に掘られた七体の薬師様です。
一般的には「七仏薬師」と呼ばれていますが、穴の中の薬師様なので「穴薬師」と言われることもあるようです。
右の写真を見ると、古墳の横腹に建物が食い込んでいるのがよくわかるでしょう。
「穴薬師」のお姿を見ることができるのは、12年に1度の御開帳の時だけです。
巳年の4月8日と決まっているそうですから、あと4年後ということですね。
4年も待てないという方は、左の写真を見てください。
いつもお世話になっている「あさを社」様のご厚意で、「続・徐徐漂(ぶらり)たかさき」掲載の写真を複写させていただきました。
安楽寺に伝わる話によると、奈良時代の天平九年(737)に、諸国行脚をしていた行基(ぎょうき)という偉いお坊さんが、一夜で七体の薬師様を彫ったと言われています。
真偽の程は分かりませんが、暗い穴の中に七体もの薬師像を彫るには、それなりの理由があったのでしょう。
薬師如来は、東方の「浄瑠璃浄土」に住んでいて、「瑠璃光を以て衆生を病苦から救う」と言われています。
安楽寺の山門には、「瑠璃光殿」と書かれた立派な額が掛けられています。
「瑠璃」とは、深い青色の宝石「ラピスラズリ」のことだそうです。
医薬の無い時代、病に苦しみ暗澹たる思いの人々の前に、瑠璃色の光の中から薬師様が現れたとしたら、どんなに救われることでしょう。
そんな思いが「穴薬師」を刻ませ、行基伝説を生んだのだと思います。
実は、薬師様のおかげで病が治ったという証が、安楽寺には残っているのです。
そのお話は、また次回。
ちょうど歩道橋があって、その上から撮ったのが左の写真ですが、本堂の後ろに小山のようなものがあります。
この小山は、7世紀後半につくられた横穴式の古墳だそうです。
普通、お寺のご本尊というのは本堂に安置されているものですが、このお寺のご本尊は古墳の石室の壁に掘られた七体の薬師様です。
一般的には「七仏薬師」と呼ばれていますが、穴の中の薬師様なので「穴薬師」と言われることもあるようです。
右の写真を見ると、古墳の横腹に建物が食い込んでいるのがよくわかるでしょう。
「穴薬師」のお姿を見ることができるのは、12年に1度の御開帳の時だけです。
巳年の4月8日と決まっているそうですから、あと4年後ということですね。
4年も待てないという方は、左の写真を見てください。
いつもお世話になっている「あさを社」様のご厚意で、「続・徐徐漂(ぶらり)たかさき」掲載の写真を複写させていただきました。
安楽寺に伝わる話によると、奈良時代の天平九年(737)に、諸国行脚をしていた行基(ぎょうき)という偉いお坊さんが、一夜で七体の薬師様を彫ったと言われています。
真偽の程は分かりませんが、暗い穴の中に七体もの薬師像を彫るには、それなりの理由があったのでしょう。
薬師如来は、東方の「浄瑠璃浄土」に住んでいて、「瑠璃光を以て衆生を病苦から救う」と言われています。
安楽寺の山門には、「瑠璃光殿」と書かれた立派な額が掛けられています。
「瑠璃」とは、深い青色の宝石「ラピスラズリ」のことだそうです。
医薬の無い時代、病に苦しみ暗澹たる思いの人々の前に、瑠璃色の光の中から薬師様が現れたとしたら、どんなに救われることでしょう。
そんな思いが「穴薬師」を刻ませ、行基伝説を生んだのだと思います。
実は、薬師様のおかげで病が治ったという証が、安楽寺には残っているのです。
そのお話は、また次回。
【安楽寺】