
そこを倉賀野方面に向かって少し行った左側に、写真のような石碑が建っている。
石碑に書かれたご利益は、
「女の神、安産、子宝、男女の和合、霊験あらたかの大願成就」と、まるでご利益の総合商社のようである。

「庚申さま」に限らず、神様は東か南向きに祀るものだが、ここは北向きに祀られている。
北向きの観音堂や地蔵、神社は各地にあり、何らかの訳があるのであろうがよく分からない。
「庚申塔」という石碑は、結構あちこちで目にする。

その報告によって、その人間の寿命が決められるというのだから恐ろしい。
そこで、「庚申の日」の夜は「三尸の虫」が抜け出さないように、「庚申待ち」とか「庚申講」とか言って、夜通しお経を唱えたりして眠らずにいたのだそうだ。
どうも実態は、村人たちの社交パーティであったようだが・・・。
「庚申塔」は、「庚申待ち」を18回(3年)やった記念に造られることが多いそうである。
普通は野ざらしになっているものが多いのだが、この「北向庚申」は立派な覆い屋の中にある。
それには、こんな話が伝わっている。
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一人の旅人が、倉賀野宿の出外れに近い、小さな塚の上の石に腰をおろして一服していました。
ところが、「さて、出かけようか」と腰を上げようとすると、いくら踏ん張ってみても足腰が立ちません。
困り果てた旅人が、ふと腰かけた石を見ると、その石には何か文字が彫ってありました。
よく見ると、それは「庚申さま」でした。
「しまった!」
知らぬこととは言え、神様に腰をかけてしまった旅人は、
「お許し下さい。許して頂ければ、立派に庚申さまを立て直します。」
と、一生懸命祈りました。
すると不思議にも、旅人は何事もなかったように、立ち上がることができました。
このことが大変な評判になって、遠方から沢山の人がお参りに来るようになったという。
そして、覆い屋ができ、大願成就の赤い旗や幟(のぼり)が幾本も立つようになったのだそうだ。
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昔は恐れられた「三尸の虫」も、いつの間にか絶滅してしまったようだ。
嘘をつこうが、悪事を働こうが、天帝に告げ口をする「三尸の虫」はもういない。
おかげで日本人は、困ってしまうぐらい長寿になった。
幸せのような、不幸せのような・・・。
(参考図書:「徐徐漂(ぶらり)たかさき」)
【北向庚申】