2010年08月18日

高崎扇

高崎扇柳家紫文師匠から、すんっごく素敵なストラップを頂戴しました。

8月8日(日)に東京谷中にある「全生庵」(ぜんしょうあん)で、落語協会恒例の「圓朝まつり」というのが開かれました。

そこでは芸人さん達による「芸人屋台」というのがあって、紫文師匠は「小間物シモン堂」という店を出したのだそうです。

大人気だったようで、用意したものは全て完売したとのことですが、有り難いことに、その中から確保して送って頂いたのです。

私如き者に、このような貴重なものを送って下さったのは、ストラップに「高崎扇」(たかさきおうぎ)という紋がデザインされているので、ということでした。
でも、紫文師匠が高崎出身だから「高崎扇」という訳ではないのです。

高崎扇「圓朝まつり」の所以である名人・三遊亭圓朝、そしてその一門の三遊派の芸人さんは、みな、この「高崎扇」の紋付きを着て、高座に上がっているのです。

三遊亭圓朝は、墓所が東京谷中全生庵であることで分かるように、生まれも活躍の場も江戸、東京です。
その圓朝の紋どころが、なぜ「高崎扇」なんでしょう?

高崎扇そもそも、「高崎扇」とはどんな紋なんでしょう?

「高崎扇」は、高崎藩主・大河内松平家替紋(かえもん)として用いられています。

替紋というのは、公式的な家紋以外に、分家が独自の家紋として使っているものです。

では、大河内氏の公式な家紋は何かというと、よく「浮線蝶」(ふせんちょう)と言われていますが、正しくは「臥蝶(ふせちょう)に十六菊」という紋です。
高崎城址発掘時に出てきたという、鬼瓦に刻まれているのがこの紋です。
高崎扇高崎扇

さて、この「高崎扇」と、三遊亭圓朝の関係です。

圓朝は、天保十年(1839)初代・橘家圓太郎と母・なかとの間に産まれます。
この母・なかが前夫との間につくった子ども、つまり圓朝の義兄にあたるのが、江戸小石川にある「是照院」(ぜしょういん)の十五世住職・永泉玄昌禅師でした。

「是照院」は、寛文三年(1663)に開山されましたが、享保年間(1716~35)の度重なる大火で、類焼の難に遭ってしまいます。
これを援助し再興させたのが、高崎藩主・大河内松平右京太夫輝貞公でした。
以来、「是照院」高崎藩藩士の菩提寺として護持されてゆくことになり、右京太夫輝貞公を中興の祖としています。
このことから、「是照院」の寺紋もまた「高崎扇」なのです。

圓朝は、義兄の務める「是照院」で見た「高崎扇」の紋が気に入ったのでしょう。
落語家の大事な小道具「扇」をあしらっていること、そして「扇」は末広がりで縁起がいいことなどが、その理由だろうと思います。
そこで、この「高崎扇」を自身の紋として使うことを希望して、高崎藩に許可を願い出たところ、時の藩主・大河内 輝声(てるな)から羽織を拝領し、以来、「高崎扇」を高座着に付けるようになったということです。
(参考:「是照院」HP
高崎扇
←このマークは、何のマークかご存知でしょうか。

これは、高崎経済大学の学章です。
このマークも、「高崎扇」を元にデザインされているそうです。

高崎扇←こんなTシャツだってあります。

「高崎扇亭」は、平成二十年(2008)の「緑化フェア」期間中に行われた、、「高崎まちなか寄席」の会場、旧名曲喫茶「あすなろ」です。

しかし翌年、「高崎まちなか寄席」は開かれたものの、「高崎扇亭」は会場とならず、平成22年には「高崎まちなか寄席」も開かれなくなってしまったようです。

紫文師匠は嘆きます。
「高崎藩主が名人三遊亭圓朝のバックで紋まであげたというのは、
高崎の文化都市としての宣伝には最高なんですがねえ。
六文銭のように「武勇」でなく、芸人、「文化」で名高い、
というのが商都高崎としていいと思うんですが…」

「そうそう「まちなか寄席」の幟、法被には高崎扇が入ってました。
ただそれを情報として発信していない、つたえられない、
故にだれも知らないというのが、高崎の現状ですよねえ。」

と。

高崎扇でも、伝えようとしている人がいない訳ではありません。

その一人が、高崎市観光課のKさん

もう一人が、高崎青年会議所のSさん

どちらの方も、大の落語ファンです。

また、圓朝の噺には、上州がよく舞台となります。
グンブロガー、風子さんの記事にも出てくる「安中草三郎」
その他にも、「霧陰伊香保湯煙」とか、「塩原多助旅日記」という噺もあります。

斯くの如く、三遊亭圓朝高崎は因縁浅からぬものがあり、そのシンボル「高崎扇」もいろいろな所で活躍しています。
城下町高崎のシンボルとして、「高崎扇」にもっと光を当てても良いのではないでしょうか。








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Posted by 迷道院高崎 at 22:50
Comments(12)◆高崎雑感
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。
高崎扇、龍広寺の大河内家のお姫様のお墓にもありますね。
そう言えば、女優の河内桃子さんでしたっけ?
親戚ということで、生前お参りに来た事があるそうです。
まあ、本家の方の出らしいのですが。
とはいえ、おいらの世代では知らない女優さんなんですが・・・。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2010年08月18日 23:02
>弥乃助さん

こちらこそ、ご無沙汰です!

河内桃子さん、旧姓の大河内から河内としたそうですね。
綺麗な方でしたよー!
同級生のお姉さんがそっくりで、いいなーっていつも思ってました。

ところで、今年のホラーナイトは大仕掛けになるそうですね。
私は、恐がりなのでちょっと・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月18日 23:16
拙ブログにリンクしていただき、恐れ入ります。
偶然ですが、私の方も『幻の銘酒』を追いかけていまして・・・迷道院さんの記事にリンクさせていただいちゃいました^^。
しかし・・・高崎扇、すごいですねー!どんどん繋がっていくのですねー。
「トリビアの泉」のへぇへぇボタンを何度も押したくなりました!
Posted by 風子  at 2010年08月19日 00:06
高崎扇、かっこいいですねえ。是非高崎のシンボルとして売り出したいですねえ。過日話題になった「マンホールのフタ」いまいちの図案の高崎まつりよりこの家紋を全面に打ち出して使えば見栄えがすると思うけどなあ。
紫文師匠といえば先日は本ブログのコメント欄、師匠からの直々のお答えの書き込みに感動してしまいました。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年08月19日 05:36
>風子さん

こちらこそ、いつもご紹介頂き嬉しく思っております。
風子さんのブログには、いつも刺激を受けながら自分を奮い立たせております。

グンブロでは少数派の歴史散歩ブログですので、倦まず弛まずやっていきましょうね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月19日 06:34
>柏木沢の農家おじさん様

あー、マンホールの蓋にですねー。
カッコいいかも知れませんね。

ただ、踏ん付けると打ち首になっちゃったりしないでしょうか(^^)

紫文師匠、ほんとに気さくな方です。
今度、高崎で公演がある時には、ぜひお会いになってみてください。

高崎観光大使に推薦しているんですがねぇ。
このブログをご覧になってる方で、それを推進できる方がいたら、ぜひ宜しくお願いしますよ!!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月19日 06:46
> 柏木沢の農家おじさん

「マンホールのフタ」いまいちの図案の高崎まつりよりこの家紋

それもいいですねえ、紫文は「だるま」がいいのではと思っていましたが、「高崎扇」いいですねえ。
ちなみに紫文はマンホールの写真を収集していますが、城主の家紋のマンホールは、上田市が「六連銭」をいれたものしか見たことがないです。これは「六連戦」が円形でなく、単純なせいか、マンホールのデザインの一つとして使っているだけなので、いまいち感がありますが、高崎扇は丸いマンホールにはぴったりだと思います。
Posted by 紫文  at 2010年08月19日 10:31
>紫文師匠

コメント、ありがとうございました!
おかげさまで、「高崎扇」のことを調べる機会になり、大変勉強になりました。

「高崎まつり」の山車巡行にしても、元はといえば大河内氏の祖霊・頼政公の慰霊祭から始まった訳ですから、「高崎扇」とは深い関わりがある訳ですよね。
単なる「夏まつり」では、勿体ないといつも思っています。

そもそも、神様抜きの「祀り(祭)」ってのは、どうなんでしょ?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月19日 19:31
>迷道院さま

>神様抜きの「祀り(祭)」ってのは、どうなんでしょ?

え、高崎まつりってイベントなんですか?
頼政神社とか高崎神社などとは関係なかったのですか?そういえば確かに祭りの由来って聞いたことなかったです。
それじゃ、歴史や文化が伝わらないですね。
そこら辺も高崎の問題点の一つかも、ですね。
神田祭でも三社祭でも由来を誇りにしてますし、もちろん氏子で知らない人はいないですから。
群馬は「上毛カルタ」のおかげで、郷土の歴史や文化をだれでも知っているわけですが、「上毛カルタ」以上の郷土の歴史や文化はしらない。それから先がない。高崎だけでなく群馬県人は「上毛かるた」で始まり「上毛かるた」で終わってるような気がします。
Posted by 紫文  at 2010年08月20日 05:15
あっどうも紫文師匠、またまたの直々の書き込み、痛み入ります。そーですか。見聞の広い師匠の事、家紋のフタ、上田市だけですかあ。
こうなりゃ発想の転換、上田市にならって高崎も。逆に話題性でトピックの発信になるかも。
まあ上毛かるたも内容よりも競技性に重点を置かれてましたから事務的な記憶って感じでしたね。例えば「心の灯台内村鑑三」も読み札として知ってても実際、宗教家としての功績は調べてみないとわからない。師匠のご指摘の通りそこから先が発展性がないんですよねえ。むずかしいですよねえ。
余談ですが、師匠のネタ、いつもNHKラジオの「真打ち競演」で布団のなかで爆笑させてもらってます。イヤホンなんで女房からいつも不審がられてます(笑)
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年08月20日 05:47
>紫文師匠

「高崎まつり」は、昭和50年に青年会議所が「郷土芸能祭り」を開催しようということから始まったようですので、イベントなんですね。
その後、名前が「ふるさと祭り」→「高崎まつり」と変わってきて、今日に至ってます。

「高崎まつり」も、それはそれで高崎の知名度を上げる素晴らしいイベントなので結構なんですが、折角の歴史・文化とのつながりも大切にしていって欲しいと思います。

祭りの由来、いつか記事にしてみたくなりました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月20日 07:49
>柏木沢の農家おじさん様

ねっ、紫文師匠、気さくな方でしょ?

柏木沢さんは、イヤホンでラジオを楽しんでるんですか。

ウチの奥さんも朝早くから、イヤホンでテレビを楽しんでるようです。
たまに、けたたましい笑い声で目が覚めることがあります。
笑点の録画だったらしいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月20日 08:03
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