また、高崎市歴史民俗資料館で面白い企画展やってます。
いつもながら、勉強になります。
「兵隊さかずき・・・」というタイトルではありますが、高崎のかつての有名料理店の盃や、芸者さんの盃、子ども茶碗など興味深いものもたくさん展示されています。
私が「おっ!」と思ったのはこれ。
「高崎館 寿美余志」は、高崎の浮世絵師・一椿斎芳輝の養子が開いた駅前の旅館・割烹。
そのまた子が開いたのが、「錦山荘」や「宇喜代」です。
◇駅から遠足 観音山(35)
もうひとつ、「おっ!」と思ったもの。
「清香庵」の亭主は学問好きで、本を片手に読みながら鰻を焼いていたと言います。
◇駅から遠足 観音山(37)
まだあります。
「岡源」については、こんな話があります。
◇駅から遠足 観音山(3)
その話に関係している盃が、これなんじゃないかなって思うんですが・・・。
読めない文字もあるのですが、こう書いてあるみたいです。
子寶の 三番素ふ續きし 孫々の
三夫婦揃ふ 家そ免てたき
「子宝の 三番叟(さんばそう)続きし 孫々の
三夫婦揃う 家ぞめでたき」かな?
高崎にこのように多種多様な盃が生まれたのは、歩兵第十五連隊があったことと関係があるのは間違いありません。
連雀町にある「さいち民芸店」のご主人から、田中友次郎著「大手前の子」に「盃屋」の話が載ってたよ、と教えて頂きました。
兵隊からの需要が少なくなる季節には、商家などからの注文を捌いていたのでしょう。
それにしても、よくこれだけの数の盃が歴史民俗資料館に残っていたものです。
また、それを掘り起こしてくれた、学芸員の大工原美智子さんには心から敬意を表します。
その大工原さん自身、見つけて驚いたというのが、これ。
古城塁研究家の山崎一氏の「軍用行李」です。
山崎一氏の素晴らしい歩測技術は、兵隊に行って身に付けられたものだとか。
ぜひ、歴史民俗資料館へお出かけくださいませ。
きっと、あなただけのお宝が発見できると思いますよ。
9月1日までです。
いつもながら、勉強になります。
「兵隊さかずき・・・」というタイトルではありますが、高崎のかつての有名料理店の盃や、芸者さんの盃、子ども茶碗など興味深いものもたくさん展示されています。
私が「おっ!」と思ったのはこれ。
「高崎館 寿美余志」は、高崎の浮世絵師・一椿斎芳輝の養子が開いた駅前の旅館・割烹。
そのまた子が開いたのが、「錦山荘」や「宇喜代」です。
◇駅から遠足 観音山(35)
もうひとつ、「おっ!」と思ったもの。
「清香庵」の亭主は学問好きで、本を片手に読みながら鰻を焼いていたと言います。
◇駅から遠足 観音山(37)
まだあります。
「岡源」については、こんな話があります。
◇駅から遠足 観音山(3)
その話に関係している盃が、これなんじゃないかなって思うんですが・・・。
読めない文字もあるのですが、こう書いてあるみたいです。
子寶の 三番素ふ續きし 孫々の
三夫婦揃ふ 家そ免てたき
「子宝の 三番叟(さんばそう)続きし 孫々の
三夫婦揃う 家ぞめでたき」かな?
高崎にこのように多種多様な盃が生まれたのは、歩兵第十五連隊があったことと関係があるのは間違いありません。
連雀町にある「さいち民芸店」のご主人から、田中友次郎著「大手前の子」に「盃屋」の話が載ってたよ、と教えて頂きました。
「 | 坂東日報の向こう側(東側)に盃屋があった。 |
秋の頃、除隊を控えて、そこの店先の作業場では、日章旗の星章を組ませた沢山の盃に、真かきで細い文字を書き入れたりしていた。」 |
それにしても、よくこれだけの数の盃が歴史民俗資料館に残っていたものです。
また、それを掘り起こしてくれた、学芸員の大工原美智子さんには心から敬意を表します。
その大工原さん自身、見つけて驚いたというのが、これ。
古城塁研究家の山崎一氏の「軍用行李」です。
山崎一氏の素晴らしい歩測技術は、兵隊に行って身に付けられたものだとか。
ぜひ、歴史民俗資料館へお出かけくださいませ。
きっと、あなただけのお宝が発見できると思いますよ。
9月1日までです。
【高崎市歴史民俗資料館】