天狗党事件の次に田村仙岳の名前が登場するのは、「高崎五万石騒動」です。
「高崎五万石騒動研究会」の活動によって、知る人も多くなってきたこの事件ですが、簡単におさらいをしておきましょう。
と、思ったのですが、私が書くと長くなってしまいそうなので、その昔、ブログ仲間の弥乃助さんが書いた記事を読んでください。
ついでに、私の駆け出しのころの記事も読んで頂けたら、嬉しいです。
さて、田村仙岳です。
細野格城著「高崎五万石騒動」を読まれた方の中には、仙岳さんにあまり良い印象を持っていない方もいるかも知れません。
この中に出てくる「西光寺の大根投げ」という話で、仙岳さんがこんな登場のしかたをしてくるからでしょう。

仙岳さん、農民にはえらく評判が悪いです。
「蛇蝎」、つまり蛇か蠍(さそり)のように見られていたというんですから。
ところで、なぜ仙岳さんが、この騒動の舞台に登場してくるのかということです。
格城は、このように書いています。
藩の相談役というか知恵袋というか、事件が起こればいつもそこに仙岳さんがいた訳です。
だから、天狗党の騒動の時にも下妻まで武器を回収に行ったりしたんですね。
農民の言う「藩の隠密だ。」という言葉も、当たっているように思えます。
しかし格城は、同じ「高崎五万石騒動」の〔最後の顛末〕の項で、こう言っています。
自分を捨てても人を憐れむという、俗世間にはめったにいない得難い人物である。
普通の人なら悪しざまに言われればすぐ怒って、「勝手にしろ!」と放り投げてしまうところだが、仙岳さんはそんなことはせず、どうにかして農民の苦悩を軽くしたいと思っていた人物なんだ、と言っているのです。
さらに、
と、仙岳の功績を認めています。
仙岳の慈悲心は、騒動が終焉した後も引き続き農民に向けられています。
五万石騒動で罪に問われた人が獄中の懲役で苦しまないよう、獄の外で農家の手伝いをする「外役」に就けるよう、仙岳さんは岩鼻監獄にまで出向いてお願いしたというのです。
これには、仙岳さんに悪感情を抱いていた農民たちも、仙岳さんの本当の慈悲心を悟ることができたようです。
細野格城は、とかく世間では仙岳さんを毀誉褒貶の人物であると言っているが、それは余りに狭い偏見である、と信念を以て語っています。
だいぶ引用が長くなりましたが、「高崎五万石騒動」に書かれている仙岳さんをご紹介しました。
次回は、その後の仙岳さんについてお話ししようと思います。
「高崎五万石騒動研究会」の活動によって、知る人も多くなってきたこの事件ですが、簡単におさらいをしておきましょう。
と、思ったのですが、私が書くと長くなってしまいそうなので、その昔、ブログ仲間の弥乃助さんが書いた記事を読んでください。
ついでに、私の駆け出しのころの記事も読んで頂けたら、嬉しいです。
さて、田村仙岳です。

この中に出てくる「西光寺の大根投げ」という話で、仙岳さんがこんな登場のしかたをしてくるからでしょう。

(句読点は迷道院加筆)
「 | 役人の方では突然の事ではあり、大根が雨霰れの如くに降り來り、避け樣とも何とも詮(せん)術(すべ)なく呆然(ぼんやり)として惘(あき)れて居られました。 |
此時も矢張り田村仙岳師も居りましたので、百姓方は日頃田村師を蛇蝎視して居たもので在るから、大勢は張り烈(裂?)けん斗(ばか)りの大音聲にて、淸水寺の田村坊主は隱密に來て居るのだ。 |
「 | 坊主を引き摺り出して歐(たた)き殺せ抔(など)と口々に罵り、中には師を目かけて瓦礫抔を投げる樣な事に成りましたので、役人の方も今や迚(とて)も鎭撫處(どころ)でなく、浮か浮かして居ては其身が危うくなり恁(かかっ)て來たものだから、寺の裏口の雨戸を破り逃げ走って脱(のが)れましたが、其中には寺の裏の溝(どぶ)へ落ち込み、履物は勿論大切なるものを遺夫(失?)して、雫の滴下(したた)る衣服を其儘絞りもせず、逢々(ほうほう)の体で城下指して駆け付け、右の旨を重役に訴えた。」 |
仙岳さん、農民にはえらく評判が悪いです。
「蛇蝎」、つまり蛇か蠍(さそり)のように見られていたというんですから。
ところで、なぜ仙岳さんが、この騒動の舞台に登場してくるのかということです。
格城は、このように書いています。
「 | 當時藩士以外に於いて藩主に御目見へ以上の優待を受けし者數多(あまた)在りしと雖(いえど)も、石原村淸水寺の住職田村仙岳、南大類村觀音の別當小園江丹宮(おぞのえ・たみや)の両氏程、城内に對し信用を得た者は殆ど無った。 |
斯樣(かよう)な譯で在ったから、藩の重要事件には何時も諮問に與(あずか)り、此減納訴願に就ひても初めより諮問が有った。」 |
藩の相談役というか知恵袋というか、事件が起こればいつもそこに仙岳さんがいた訳です。
だから、天狗党の騒動の時にも下妻まで武器を回収に行ったりしたんですね。
農民の言う「藩の隠密だ。」という言葉も、当たっているように思えます。
しかし格城は、同じ「高崎五万石騒動」の〔最後の顛末〕の項で、こう言っています。
「 | 尚ほ申上げ殘した事柄が少しござります、夫れは斯うである。 |
田村仙岳師の事は、本編所々に顕るゝが如き無髪の偉僧にて、水滸傳中の「ゝ(ちゅ)大和尚」の如き磊落率直な謂はば一種の變人で、氣骨稜々人世百般の出來事には自己を損(すて)て相怜(あわれ)むてふ、復(また)得易からざる脱俗僧である。 | |
何條本件の樣な事柄に默止して居られ樣、藩と農民側の表裏に亘って斡旋した事は一両度ではなかったが、誠意赤心(偽りのない真心)のある所が間々一汎より曲解誤認されて徹底しない所が西光寺大根投げの時の様に反って惡感情を惹起せしめたこともあるが、此は農民側の觀測(おもい)が足らない誤解邪推より起こったこと。 | |
尋常普通の人なら一遍に怒ってしまう。自分が是れ程に盡力するのに、何故其れが知了(わから)ない乎(か)、了解(わから)なければ己れには己れの考が有ると見切をつけるが普通であるが、田村氏は却々(なかなか)さうでない。 万望(どうか)して百姓の苦惱の輕量(かるから)むことを衷心より思って居られた・・・」 |
自分を捨てても人を憐れむという、俗世間にはめったにいない得難い人物である。
普通の人なら悪しざまに言われればすぐ怒って、「勝手にしろ!」と放り投げてしまうところだが、仙岳さんはそんなことはせず、どうにかして農民の苦悩を軽くしたいと思っていた人物なんだ、と言っているのです。
さらに、
「 | 兎に角、東鄕に小園江師あり西鄕に田村師在って、圓滿なる勞を執(と)られました爲め、東鄕二十三ヶ村、西鄕の内田村師の居村石原村それに乘附村等より一人として罪人を出さなかったのは、僥倖な事でござりました。」 |
仙岳の慈悲心は、騒動が終焉した後も引き続き農民に向けられています。
「 | 段々方がついて、夫れぞれ處分せらるべきものは罪の多少を酌量して懲役に服される者が出來たので、田村師は平素の俠氣傍觀するに忍びず、氣の毒である可愛相であると測隱の心禁ぜんとして禁ずる能わず、千思万考種々胸中に畫た末、碓井郡神山驛の名主岡田平六、並に群馬郡(現今佐波郡)南玉村の名主町田孝五郎の両人に懇談する所あって、外役として使役いたしたいと岩鼻監獄へ出頭に及んだ處遂に聞届けになりて、十余人の入監者は外役との事で非常に喜んだと云ふ。 |
何んで囚人が外役を喜んだと云に、監督が緩やかである斗(ばか)りでなく食事の際抔(など)雇主より雑菜御馳走を與へらるゝも亦因をなして居ると云ふ。 | |
尤も百姓騒動の懲役囚斗でなく、半分は他の囚人を交へ使ったので、懲役人の内には多少自己の誤解を知らずして田村師を恨んで居る者もあったが、この事が知れてからは恨む所か、田村師の慈悲深い温ひ情愛に富だ坊さんであると謂ふことが心中へ徹底したので、今迄僻見(ひがみ)根性を起して愁(うれい)て居た連中も、ガラリと悟る所があったと云ふが左(さ)もあるべき筈で、慈愛の同情は何時かは同化さすと云ふ事だが、之れが眞に僧侶の云ふ菩薩行とでも謂ふのでございませう。 | |
田村師の行動に就ては、世間毀譽褒貶の辭(ことば)に富んだ人だが、人の善事は美擧として賞讃するは當然の事で、功過相刹の偏見は余りに狭量かと、自分は自己の信じたこと丈けを申上げる次第であります。」 |
五万石騒動で罪に問われた人が獄中の懲役で苦しまないよう、獄の外で農家の手伝いをする「外役」に就けるよう、仙岳さんは岩鼻監獄にまで出向いてお願いしたというのです。
これには、仙岳さんに悪感情を抱いていた農民たちも、仙岳さんの本当の慈悲心を悟ることができたようです。
細野格城は、とかく世間では仙岳さんを毀誉褒貶の人物であると言っているが、それは余りに狭い偏見である、と信念を以て語っています。
だいぶ引用が長くなりましたが、「高崎五万石騒動」に書かれている仙岳さんをご紹介しました。
次回は、その後の仙岳さんについてお話ししようと思います。