10月3日、高崎市総合福祉センターで、「今、語り継ぐ高崎五万石騒動 140周年記念の集い」という催しがありました。
大総代三人が処刑されてから、ちょうど140年なのだそうです。
舞台に飾られていたこの絵画は、上中居村の第二総代・丸茂元次郎のご子孫、丸茂利夫さんの作です。
こちらを向いて立っているのは、五万石騒動に参加した百姓衆、背景には上毛三山や浅間山、谷川岳が描かれています。
不思議に感じるのは、左手前に座って頭を下げている白いシャツの人物です。
丸茂利夫さんのご説明によると、ご自身の姿なのだそうです。
五万石騒動で、我が身をいとわずに粘り強く訴え続けた先人たちへの、尊敬と感謝の思いがこもっている作品と感じました。
丸茂利夫さんは16歳の時、群馬勤労者集団によって制作された「高崎五万石騒動-消えない足あと」という紙芝居の原画を描いています。
「高崎五万石騒動」を初めて本にした細野格城が、高崎城への押し出しに加わったのが、同じ16歳の時でしたから、何か因縁めいたものを感じます。
記念講演は、研究会事務局長の萩原慧(さとし)先生です。
実に熱のこもった分かりやすいお話で、あっという間の1時間20分でした。
五万石騒動は、とかく農民の戦いの部分がクローズアップされがちですが、今回、萩原先生は次のような言葉で話を締めくくりました。
子どもにも五万石騒動のことを伝えたいと、研究会の皆さんが「高崎五万石騒動かるた」を作りました。
当ブログでは、これから毎回、一枚づつご紹介していこうと思います。
研究会にはお断りしていませんが、この位なら許して頂けるのではないかと、勝手に思うことに致しました。
研究会では、「高崎五万石騒動義民記念館」の設立にも取り組もうとしています。
これは、拙ブログのコメンテータで、丸茂元次郎のご子孫でもある “いちじん”さんの発案で、燕岳登山へ行く途中で寄った、安曇野市の「貞享義民記念館」に触発されたものだそうです。
活動はこれからですが、広く市民の皆さんのご協力を頂きたいものです。
最後に、下小鳥町舞踏保存会の皆さんによる、八木節「義民・五万石騒動」のさわりをご覧頂きましょう。
大総代三人が処刑されてから、ちょうど140年なのだそうです。
舞台に飾られていたこの絵画は、上中居村の第二総代・丸茂元次郎のご子孫、丸茂利夫さんの作です。
こちらを向いて立っているのは、五万石騒動に参加した百姓衆、背景には上毛三山や浅間山、谷川岳が描かれています。
不思議に感じるのは、左手前に座って頭を下げている白いシャツの人物です。
丸茂利夫さんのご説明によると、ご自身の姿なのだそうです。
五万石騒動で、我が身をいとわずに粘り強く訴え続けた先人たちへの、尊敬と感謝の思いがこもっている作品と感じました。
丸茂利夫さんは16歳の時、群馬勤労者集団によって制作された「高崎五万石騒動-消えない足あと」という紙芝居の原画を描いています。
「高崎五万石騒動」を初めて本にした細野格城が、高崎城への押し出しに加わったのが、同じ16歳の時でしたから、何か因縁めいたものを感じます。
記念講演は、研究会事務局長の萩原慧(さとし)先生です。
実に熱のこもった分かりやすいお話で、あっという間の1時間20分でした。
五万石騒動は、とかく農民の戦いの部分がクローズアップされがちですが、今回、萩原先生は次のような言葉で話を締めくくりました。
「 | 今までの過酷な税が減ったことによって、百姓の取り分が増えました。百姓衆はそれを元手に、新しい商業的農業・養蚕業を始めるんです。 それを始める土台が、ここでできたんです。」 |
子どもにも五万石騒動のことを伝えたいと、研究会の皆さんが「高崎五万石騒動かるた」を作りました。
当ブログでは、これから毎回、一枚づつご紹介していこうと思います。
研究会にはお断りしていませんが、この位なら許して頂けるのではないかと、勝手に思うことに致しました。
研究会では、「高崎五万石騒動義民記念館」の設立にも取り組もうとしています。
これは、拙ブログのコメンテータで、丸茂元次郎のご子孫でもある “いちじん”さんの発案で、燕岳登山へ行く途中で寄った、安曇野市の「貞享義民記念館」に触発されたものだそうです。
活動はこれからですが、広く市民の皆さんのご協力を頂きたいものです。
最後に、下小鳥町舞踏保存会の皆さんによる、八木節「義民・五万石騒動」のさわりをご覧頂きましょう。