歴史民俗資料館の矢島館長が、わざわざ拙宅までチラシを届けて下さり、恐縮してしまいました。
10月13日(水)から始まる、高崎の幕末維新シリーズ企画展のチラシです。
記念事業として、講演会と史跡めぐりが予定されていて、9月22日から申し込み受付が始まっています。
いつも大盛況なので、ご希望の方は、なるべく早く申し込まれた方がよいと思います。
チラシの裏面には、次のような案内文が書かれています。
時はさかのぼること幕末維新期、全国の藩が優秀な人材を求めて「藩校」を設置する中、高崎藩も「遊芸館」や「文武館」を開設します。
一方、慶応四年(明治元年)の小栗上野介忠順の斬首、三国戦争や北越戦争への出兵、翌明治二年の高崎五万石騒動の勃発と、高崎藩には幕末維新の動乱の火種がくすぶり続けていました。
そういった状況の中で、知藩事である大河内輝聲(おおこうち・てるな)は、明治三年(1870)に「英学校」を開校し、若き日の内村鑑三や尾崎行雄といった人々が学びます。
後に彼らは日本や世界を舞台に活躍していきます。
今年は「英学校」開校から百四十年目にあたります。
明治三年といえば、高崎藩の台所は火の車だったはずです。
その中で、わざわざ作楽戸痴鶯(さらくど・ちおう)という静岡藩士を雇ってまで英語を学ばせたということは、当時、いかに西欧の文化・文明の吸収が急務であったかということでしょう。
高崎藩英学校は、最初、鞘町の石上寺(せきじょうじ)に設置されたそうです。
石上寺とは、お堀端の時の鐘があったお寺です。
その後、そこには中央小学校の前身である鞘町小学校ができました。
高崎は、なかなかの教育都市だったのです。
歴史民俗資料館で、そんな高崎に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
10月13日(水)から始まる、高崎の幕末維新シリーズ企画展のチラシです。
記念事業として、講演会と史跡めぐりが予定されていて、9月22日から申し込み受付が始まっています。
いつも大盛況なので、ご希望の方は、なるべく早く申し込まれた方がよいと思います。
チラシの裏面には、次のような案内文が書かれています。
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時はさかのぼること幕末維新期、全国の藩が優秀な人材を求めて「藩校」を設置する中、高崎藩も「遊芸館」や「文武館」を開設します。
一方、慶応四年(明治元年)の小栗上野介忠順の斬首、三国戦争や北越戦争への出兵、翌明治二年の高崎五万石騒動の勃発と、高崎藩には幕末維新の動乱の火種がくすぶり続けていました。
そういった状況の中で、知藩事である大河内輝聲(おおこうち・てるな)は、明治三年(1870)に「英学校」を開校し、若き日の内村鑑三や尾崎行雄といった人々が学びます。
後に彼らは日本や世界を舞台に活躍していきます。
今年は「英学校」開校から百四十年目にあたります。
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明治三年といえば、高崎藩の台所は火の車だったはずです。
その中で、わざわざ作楽戸痴鶯(さらくど・ちおう)という静岡藩士を雇ってまで英語を学ばせたということは、当時、いかに西欧の文化・文明の吸収が急務であったかということでしょう。
高崎藩英学校は、最初、鞘町の石上寺(せきじょうじ)に設置されたそうです。
石上寺とは、お堀端の時の鐘があったお寺です。
その後、そこには中央小学校の前身である鞘町小学校ができました。
高崎は、なかなかの教育都市だったのです。
歴史民俗資料館で、そんな高崎に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
【高崎市歴史民俗資料館】