「天満宮入口」の角から南へ、さして面白そうなものもない道を、500mほどひたすら歩きます。
左上に、消えそうな字で「西光寺」と書かれた看板がありました。
殺風景な参道の向こうに見える本堂は、新しく建てたもののようで、「西光寺」と刻まれた石板も、コンクリートの参道も、最近造られたもののようです。
境内に入ると、えらく大きな台石に乗った句碑が目に留まります。
「寒椿 赤し一揆の 血を享(う)けて」という句が刻まれています。
作者は、「ふさの」とあります。
群馬県俳句作家協会々長の、関口ふさのさんです。
関口ふさのさんは、句会「麻苧」(あさお)の主宰でもあり、出版社「あさを社」の社長さんでもあります。
「あさを社」は高崎市乗附町にあり、群馬県の郷土書籍をたくさん出版されているので、ご存知の方も多いと思います。
私も、よく昔の写真を「あさを社」さんにお願いして、ブログに使わせて頂いております。
ちょっと話しが横道にそれますが、「あさを社」という社名も、「麻苧」という句会の名前も、横川にある「麻苧の滝」からきています。
「麻苧の滝」の吊り橋を渡ったところの大岩に、「あさを俳句會發祥之地」という石板が埋め込まれています。
由来の石板には、こう刻まれています。
「ここ松井田町横川に生まれ育った清水寥人(しみず・りょうじん)が、俳句誌を同好とともに創刊するに当たって、仰ぎ見ていた麻苧の滝の精の、啓示にも似たひらめきによって誌名を「あさを」と名づけた。創刊は昭和二十八年一月のことである。」
その俳句詩の450号刊行を記念して、碑を建立したものだそうです。
清水寥人氏の句も、埋め込まれています。
「 天眷の 瀧ひっさげて 裏妙義」
話を戻しましょう。
関口ふさのさんの「寒椿 赤し一揆の 血を享けて」という句ですが、ここにある「一揆」とは高崎五万石騒動のことです。
ここ、西光寺も五万石騒動の舞台となったお寺のひとつです。
「高崎五万石騒動かるた」に、
抜いたなと、大根投げは 西光寺
というのがあります。
かるたをクリックして解説をご覧ください。
西光寺は平成十二年(2000)に、開山400年を記念して本堂を改築していますが、その時に、西光寺を菩提寺とする関口ふさのさんの句碑を建てたのだそうです。
驚いたことに、ふさのさんの曽祖父が五万石騒動の旗頭だったんだということを、ふさのさんご自身が仰っています。
そういえば、細野格城著「五万石騒動」には、高崎藩の大目付たち役人が、西光寺に百姓たちを集めて説明する中、上佐野村の関口源七という人が立ち上がると、居合わせた数百人の者が一度に立ち上がった、という件りがあります。
そのあとに、かるたにある「大根投げ」騒動が起きるわけです。
もしかすると、その関口源七さんが、ふさのさんの曽祖父なんでしょうか。
他にも上佐野の関口弥蔵、関口久次郎という人もいますので、そちらかも知れません。
西光寺では、「大根投げ」騒動に因んで、毎年11月に五万石騒動犠牲者の追悼法要を行い、その時に婦人会が慰霊の「大根炊き」をするそうです。
とても美しい曲線の屋根を持つ本堂です。
中へ入ると、「欅根七福神」と書かれた、ものすごい彫刻が奉納されていました。
右下の大理石の球は、水に浮いてくるくると回っています。
本堂の正面に、昔からの参道と立派な山門がありました。
どうやら、脇から境内に入ってきてしまっていたようです。
正門の掲示板には、「善因善果・悪因悪果」という言葉がありました。
すべて、自分のせいなんですね。
左上に、消えそうな字で「西光寺」と書かれた看板がありました。
殺風景な参道の向こうに見える本堂は、新しく建てたもののようで、「西光寺」と刻まれた石板も、コンクリートの参道も、最近造られたもののようです。
境内に入ると、えらく大きな台石に乗った句碑が目に留まります。
「寒椿 赤し一揆の 血を享(う)けて」という句が刻まれています。
作者は、「ふさの」とあります。
群馬県俳句作家協会々長の、関口ふさのさんです。
関口ふさのさんは、句会「麻苧」(あさお)の主宰でもあり、出版社「あさを社」の社長さんでもあります。
「あさを社」は高崎市乗附町にあり、群馬県の郷土書籍をたくさん出版されているので、ご存知の方も多いと思います。
私も、よく昔の写真を「あさを社」さんにお願いして、ブログに使わせて頂いております。
ちょっと話しが横道にそれますが、「あさを社」という社名も、「麻苧」という句会の名前も、横川にある「麻苧の滝」からきています。
「麻苧の滝」の吊り橋を渡ったところの大岩に、「あさを俳句會發祥之地」という石板が埋め込まれています。
由来の石板には、こう刻まれています。
「ここ松井田町横川に生まれ育った清水寥人(しみず・りょうじん)が、俳句誌を同好とともに創刊するに当たって、仰ぎ見ていた麻苧の滝の精の、啓示にも似たひらめきによって誌名を「あさを」と名づけた。創刊は昭和二十八年一月のことである。」
その俳句詩の450号刊行を記念して、碑を建立したものだそうです。
清水寥人氏の句も、埋め込まれています。
「 天眷の 瀧ひっさげて 裏妙義」
話を戻しましょう。
関口ふさのさんの「寒椿 赤し一揆の 血を享けて」という句ですが、ここにある「一揆」とは高崎五万石騒動のことです。
ここ、西光寺も五万石騒動の舞台となったお寺のひとつです。
「高崎五万石騒動かるた」に、
抜いたなと、大根投げは 西光寺
というのがあります。
かるたをクリックして解説をご覧ください。
西光寺は平成十二年(2000)に、開山400年を記念して本堂を改築していますが、その時に、西光寺を菩提寺とする関口ふさのさんの句碑を建てたのだそうです。
驚いたことに、ふさのさんの曽祖父が五万石騒動の旗頭だったんだということを、ふさのさんご自身が仰っています。
そういえば、細野格城著「五万石騒動」には、高崎藩の大目付たち役人が、西光寺に百姓たちを集めて説明する中、上佐野村の関口源七という人が立ち上がると、居合わせた数百人の者が一度に立ち上がった、という件りがあります。
そのあとに、かるたにある「大根投げ」騒動が起きるわけです。
もしかすると、その関口源七さんが、ふさのさんの曽祖父なんでしょうか。
他にも上佐野の関口弥蔵、関口久次郎という人もいますので、そちらかも知れません。
※ | いちじんさんのコメントにより、関口弥蔵さんであることが分かりました。(12月17日追記) |
西光寺では、「大根投げ」騒動に因んで、毎年11月に五万石騒動犠牲者の追悼法要を行い、その時に婦人会が慰霊の「大根炊き」をするそうです。
とても美しい曲線の屋根を持つ本堂です。
中へ入ると、「欅根七福神」と書かれた、ものすごい彫刻が奉納されていました。
右下の大理石の球は、水に浮いてくるくると回っています。
本堂の正面に、昔からの参道と立派な山門がありました。
どうやら、脇から境内に入ってきてしまっていたようです。
正門の掲示板には、「善因善果・悪因悪果」という言葉がありました。
すべて、自分のせいなんですね。
【今日の散歩道】
【麻苧の滝】