2010年12月16日

鎌倉街道探訪記(13)

「天満宮入口」の角から南へ、さして面白そうなものもない道を、500mほどひたすら歩きます。

鎌倉街道探訪記(13)左上に、消えそうな字で「西光寺」と書かれた看板がありました。

鎌倉街道探訪記(13)



殺風景な参道の向こうに見える本堂は、新しく建てたもののようで、「西光寺」と刻まれた石板も、コンクリートの参道も、最近造られたもののようです。

鎌倉街道探訪記(13)境内に入ると、えらく大きな台石に乗った句碑が目に留まります。

「寒椿 赤し一揆の 血を享(う)けて」という句が刻まれています。
作者は、「ふさの」とあります。

群馬県俳句作家協会々長の、関口ふさのさんです。

関口ふさのさんは、句会「麻苧」(あさお)の主宰でもあり、出版社「あさを社」の社長さんでもあります。
「あさを社」高崎市乗附町にあり、群馬県の郷土書籍をたくさん出版されているので、ご存知の方も多いと思います。
私も、よく昔の写真を「あさを社」さんにお願いして、ブログに使わせて頂いております。

ちょっと話しが横道にそれますが、「あさを社」という社名も、「麻苧」という句会の名前も、横川にある「麻苧の滝」からきています。

鎌倉街道探訪記(13)「麻苧の滝」の吊り橋を渡ったところの大岩に、「あさを俳句會發祥之地」という石板が埋め込まれています。
鎌倉街道探訪記(13)



由来の石板には、こう刻まれています。
「ここ松井田町横川に生まれ育った清水寥人(しみず・りょうじん)が、俳句誌を同好とともに創刊するに当たって、仰ぎ見ていた麻苧の滝の精の、啓示にも似たひらめきによって誌名を「あさを」と名づけた。創刊は昭和二十八年一月のことである。」
その俳句詩の450号刊行を記念して、碑を建立したものだそうです。

清水寥人氏の句も、埋め込まれています。
       「 天眷の 瀧ひっさげて 裏妙義」

話を戻しましょう。
関口ふさのさんの「寒椿 赤し一揆の 血を享けて」という句ですが、ここにある「一揆」とは高崎五万石騒動のことです。
ここ、西光寺五万石騒動の舞台となったお寺のひとつです。

鎌倉街道探訪記(13)「高崎五万石騒動かるた」に、
 抜いたなと、大根投げは 西光寺
というのがあります。
かるたをクリックして解説をご覧ください。

西光寺は平成十二年(2000)に、開山400年を記念して本堂を改築していますが、その時に、西光寺を菩提寺とする関口ふさのさんの句碑を建てたのだそうです。
驚いたことに、ふさのさんの曽祖父が五万石騒動の旗頭だったんだということを、ふさのさんご自身が仰っています。

そういえば、細野格城「五万石騒動」には、高崎藩の大目付たち役人が、西光寺に百姓たちを集めて説明する中、上佐野村関口源七という人が立ち上がると、居合わせた数百人の者が一度に立ち上がった、という件りがあります。
そのあとに、かるたにある「大根投げ」騒動が起きるわけです。
もしかすると、その関口源七さんが、ふさのさんの曽祖父なんでしょうか。
他にも上佐野関口弥蔵関口久次郎という人もいますので、そちらかも知れません。
いちじんさんのコメントにより、関口弥蔵さんであることが分かりました。(12月17日追記)

西光寺では、「大根投げ」騒動に因んで、毎年11月に五万石騒動犠牲者の追悼法要を行い、その時に婦人会が慰霊の「大根炊き」をするそうです。

鎌倉街道探訪記(13)とても美しい曲線の屋根を持つ本堂です。

鎌倉街道探訪記(13)




中へ入ると、「欅根七福神」と書かれた、ものすごい彫刻が奉納されていました。
右下の大理石の球は、水に浮いてくるくると回っています。

鎌倉街道探訪記(13)本堂の正面に、昔からの参道と立派な山門がありました。
どうやら、脇から境内に入ってきてしまっていたようです。

正門の掲示板には、「善因善果・悪因悪果」という言葉がありました。

すべて、自分のせいなんですね。

【今日の散歩道】



【麻苧の滝】






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Posted by 迷道院高崎 at 08:31
Comments(4)鎌倉街道
この記事へのコメント
関口ふさのさんは
細野格城の「高崎五万石騒動」の
復刻本を出版しています。
その折、
田島武夫先生、関口ふさのさん、
近藤章先生、わたしの母が
付録に記念の文章を書いています。

関口さんの文章のタイトルは
「曽祖父関口弥蔵」です。
ですから、弥蔵さんのヒコ孫となると
いうことです。

この復刻版の付録を
関口さんはお持ちで無いとのことなので
コピーを
お渡ししたいと
思っていたところでした。

そうでした。
西光寺に
「高崎五万石騒動かるた」を
持って行くことになったままでした。
行かなくちゃ・・・
本記事のお蔭で
すぐに行けそうです。
Posted by いちじん  at 2010年12月17日 10:26
隠士、記事はrssして愛読しております。

鎌倉街道探訪記も佳境に入ってきましたね。

今回の記事で感心したのが、「大根投げ」。
「高崎五万石騒動かるた」に、
  「抜いたなと、大根投げは 西光寺」

これは知りませんでした。

カルタを見て感じたことは、実に農民側の動きが統制が取れていて、戦略的であること。

事前にシミュレーションして、彼我の力関係と周辺の藩や世論の動向、また中央への伝わり方まで読みきっている感じですね。

高崎藩の役人たちの「上に判断を仰ぐ」と唱えるだけの無対応に対しても農民たちは激高せず、このくらいなら戦う意思を共有できて、なおかつ非暴力という立場を鮮明に印象づけることができる「大根投げ」の戦術は見事です。

実に生き生きとした調査と踏査のレポート、有難うございました。

  夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2010年12月17日 11:21
>いちじんさん

そうでしたか、早速記事に追記させていただきました。
流石というか、五万石騒動については一次資料をたくさんお持ちで、助かります。
これからも、いろいろお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。

貴重な資料を展示できる「五万石騒動記念館」も、ぜひ実現させたいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年12月17日 19:24
>夢寅さん

私も、夢寅さんのブログはRSSしてますよ!

高崎五万石騒動、本当に広範囲の農民が参加していたんだということが、よく分かります。

その大きな組織を動かす指導者のリーダーシップ、システム思考、そして危機管理能力、どれをとってもすごいと思います。

語り継ぎ、学んでいくべき騒動ですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年12月17日 19:48
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