久々の鎌倉街道です。
「鎌倉街道探訪記(34)」から続けてご覧ください。
西山名駅から真っ直ぐ東南へ向かったところの三叉路です。
ここを右に入ります。

曲がるとすぐ、大きな石碑がありました。
よく分からないのですが、富士山に八十回登ったという記念碑のようです。
三叉路から100mほど行くと、左に入る道があります。

水路に架かる橋のたもとに、「山名八幡宮 塞三柱大神守護處」と書かれたオンベロの付いた笹竹が建っていました。
悪霊や疫病神に、「三柱の塞の神が守護している土地だから、入ってくるんじゃないよ。」と言ってるわけですね。 ※塞三柱神
240mほど行くと、大正十二年(1923)の道標が建っています。
今来た方は「福言寺 山名」とあり、このまま行けば「渡船場ヲ経テ三ツ木」、右に曲がると「小暮 馬庭」になっています。
「渡船場」へ向かいましょう。

100mほどで新しくできた広い道に出ます。

少し進むと、道の向こう側に、新しい道で分断されてしまった旧道が、再び姿を現します。→
旧道の傍らに、道祖神がひっそりと建っています。
裏面に「寛政十二庚申」(1800)と刻まれていますので、200年以上もの間、雨風に耐えて立ち続けていたんですね。

道祖神から100mほど行くと、左前方にお寺の屋根が見えてきます。

吉井町岩井の「稲荷山聖天院眞光寺」です。
山号が「稲荷山」というので、寺には珍しくお稲荷さんでも祀ってあるのかと思いましたが、ご本尊は「十一面観世音菩薩」だそうです。
この一帯あちこちに古墳があるので、もしかすると「稲荷山」という古墳でもあったのでしょうか。
院号の「聖天院」は、秘仏の「歓喜天」(聖天)からでしょう。
上毛新聞社発行の「ぐんまのお寺」によると、「風紀上の観点からか、現在は見当たらない。」とあります。
「風紀上」なんですね。
そういえば、足門の徳昌寺にある「聖天様」も、やはり秘仏になっていましたっけ。↓
◇旧三国街道 さ迷い道中記(14)

真新しい本堂ですが、開山は寛永年間(1624~44)だそうです。
岩井村へ布教に訪れた深誉上人の説法を聞いて仏門に帰依した名主・岡野氏が、上人を迎えるために建立したということです。
寺伝によると、当初は別の場所(古屋舗)にあったようですが、元禄十三年(1700)現在地に移したとあります。
昭和二年(1927)に改修された本堂も傷みが激しくなったため、住民や檀家の浄財により平成二十二年(2010)に建て替えられました。
手前の旧本堂を取り壊して間がないので、新本堂の開眼式はまだ行っていないとのことです。
眞光寺に沿った旧道は、ここで新道と合流します。
「マックス吉井工場」建設のために開通した(?)新道ができるまでは、ちょうど砂利敷きの部分が旧道だったと、地元の方に教えて頂きました。
これが鎌倉街道だったようです。
長くなりました。今日はここまでと致します。
「鎌倉街道探訪記(34)」から続けてご覧ください。

ここを右に入ります。

曲がるとすぐ、大きな石碑がありました。
よく分からないのですが、富士山に八十回登ったという記念碑のようです。


この道が鎌倉街道のようです。→

悪霊や疫病神に、「三柱の塞の神が守護している土地だから、入ってくるんじゃないよ。」と言ってるわけですね。 ※塞三柱神

今来た方は「福言寺 山名」とあり、このまま行けば「渡船場ヲ経テ三ツ木」、右に曲がると「小暮 馬庭」になっています。
「渡船場」へ向かいましょう。

100mほどで新しくできた広い道に出ます。

少し進むと、道の向こう側に、新しい道で分断されてしまった旧道が、再び姿を現します。→

裏面に「寛政十二庚申」(1800)と刻まれていますので、200年以上もの間、雨風に耐えて立ち続けていたんですね。

道祖神から100mほど行くと、左前方にお寺の屋根が見えてきます。

吉井町岩井の「稲荷山聖天院眞光寺」です。
山号が「稲荷山」というので、寺には珍しくお稲荷さんでも祀ってあるのかと思いましたが、ご本尊は「十一面観世音菩薩」だそうです。
この一帯あちこちに古墳があるので、もしかすると「稲荷山」という古墳でもあったのでしょうか。
院号の「聖天院」は、秘仏の「歓喜天」(聖天)からでしょう。
上毛新聞社発行の「ぐんまのお寺」によると、「風紀上の観点からか、現在は見当たらない。」とあります。
「風紀上」なんですね。
そういえば、足門の徳昌寺にある「聖天様」も、やはり秘仏になっていましたっけ。↓
◇旧三国街道 さ迷い道中記(14)

真新しい本堂ですが、開山は寛永年間(1624~44)だそうです。
岩井村へ布教に訪れた深誉上人の説法を聞いて仏門に帰依した名主・岡野氏が、上人を迎えるために建立したということです。
寺伝によると、当初は別の場所(古屋舗)にあったようですが、元禄十三年(1700)現在地に移したとあります。
昭和二年(1927)に改修された本堂も傷みが激しくなったため、住民や檀家の浄財により平成二十二年(2010)に建て替えられました。
手前の旧本堂を取り壊して間がないので、新本堂の開眼式はまだ行っていないとのことです。

「マックス吉井工場」建設のために開通した(?)新道ができるまでは、ちょうど砂利敷きの部分が旧道だったと、地元の方に教えて頂きました。
これが鎌倉街道だったようです。
長くなりました。今日はここまでと致します。
【今日の散歩道】