
吉井町岩井の「眞光寺」まで来たところでした。
舗装されてない部分が旧道で鎌倉街道だったというので、少し進んでみましょう。

失礼して中を覗きこんでみると、木のお宮の中に大黒様がいらっしゃいましたが・・・。

その下に、ぽっかりと穴が開いています。
どうやら、井戸の跡のようです。

これは、あとで地元の方から教えて頂いたのですが、「飯野の井戸神様」と呼んでいるものだそうです。
命の源である水を与えてくれていた井戸は、大切にされ、井戸神様の住む神聖な場所とされていました。
昔から、「使わなくなった井戸をそのまま埋めてはいけない。」と言われています。
そういえば、ここの地名は「岩井」といいますが、これも井戸に関係するようです。
明徳年中(1390~93)新田の浪人で岡野という人がこの地に住み、岩の間から滴り落ちる水を見て井戸を掘り、この地を「岩井」と名付けたと伝えられています。(入野村郷土誌)
岡野という名で思い出すのは、「眞光寺」を建立したのも、名主の岡野氏でした。
もしかすると、「飯野の井戸神様」ではなくて、「岡野の井戸神様」かも知れないと勝手に思ってみたのですが・・・。

ひとつだけ大きくて、他の石組みに較べてやけに飛び出しています。
しかも、模様が何となく蛇の頭に見えませんか?
井戸にはよく蛇が住みついていたりするもんですが、昔の人は、それを水を守る龍神の化身として崇めたようです。
蛇の頭に似たこの石も、きっとそんな意味があるに違いない、と、またまた勝手に思ってみました。

そのことを教えてくれたのは、社長の飯野忠治さんでした。
この辺を行ったり来たりしている私を見て、よっぽど気になったのでしょう。


うーん、そう見ればそんな雰囲気でもあるような・・・。

土の道を進んでいくと、どうみても畑の中の農道へ出てきてしまった感じです。
あー、やっぱり幻の鎌倉街道か、と諦めかけたのですが・・・。

ここが昔、街道であったことの証でしょう。
ここまで来ると、鏑川は目と鼻の先です。
ここから渡船場へ下りたとも思われますが、飯野さんの話では渡船場はもう少し上流だったそうです。
そう言われてみると、畑道は前方の白い家に向かってまだ続いています。


ここに、昭和の初期まで「岩井の渡し」と呼ばれる渡船場があったのだそうです。
明治三十五年(1902)対岸の三ツ木に撚糸工場ができ、女工さんたちが通うために「岩井の渡し」ができたたといいます。
渡し舟が出たのは春から秋までで、水の減る冬には平板二枚を並べただけの仮橋を、太い針金につかまりながら渡ったようです。(春山基二氏著「三ツ木物語」)
鏑川を渡れば藤岡市です。
三ツ木→白石→緑埜から庚申山の麓を通って本郷へ向かうのが、鎌倉街道の一つと伝わっています。
さて、昨年10月から歩き始めた鎌倉街道、やっと高崎の南端にたどり着きました。
途中ずいぶん寄り道をしましたが、ずっとお付き合い頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。
願わくば、鎌倉街道の案内板が整備され、多くの方に楽しみながら歩いて頂けたらな、と思います。
【今日の散歩道】

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