高崎藩の相談役として重用されてきた田村仙岳ですが、明治四年(1871)の廃藩置県によって「高崎藩」がなくなったあと、どうなったのかが気になります。
そもそも清水寺は、檀家が数軒しかなかったそうです。
高崎城の裏鬼門にあたるということで、代々高崎藩の祈願寺として加護を受けることで経営が成り立っていたのでしょう。
その高崎藩が無くなったとなれば、寺の経営はさぞかし大変になったことと思われます。
加えて、明治新政府の発した「神仏分離令」や、それによる「廃仏毀釈」運動も、仙岳さんを悩ませたに違いありません。
石段下にあったという本堂が、明治になってから石段上の観音堂と兼ねるようになったというのも、理由はこの辺にありそうな気がします。
明治二十四年(1891)、意外なところに仙岳さんの名前が登場します。
「磯部鑑」という、磯部鉱泉の案内本のようなものですが、その中の「磯部名産」の項に仙岳さんの名前が出てきます。
いま一般に「磯部煎餅」と呼ばれているものは、大手氏により明治十九年(1886)に発明されたとありますが、仙岳さんはその翌年に「木の葉形煎餅」を発明したというんですね。
高崎でも売っていたというんですが、聞いたことがありません。
どなたかご存知の方は、情報をお寄せいただけると嬉しいです。
と、そんなことを思っていたら、いつもながらで吃驚するのですが、ひょんな所で「木の葉形煎餅」に遭遇することになりました。
「妙義山さくらの里」へ行った帰りに寄った道の駅、「みょうぎ物産センター」にそれはありました。
見慣れた「磯部煎餅」の隣に、木の葉形をした磯部煎餅風の「胡麻せん」が並べてあります。
食べてみると、柔らかくてパリパリする食感はまぎれもない「磯部煎餅」で、それに胡麻の風味が加わってとても美味しいお煎餅です。
製造しているのは妙義町の「高木製菓」とか。
磯部に近いとはいえ、どうなのかなと思いましたが、帰り道でもあったのでお店に寄ってみることにしました。
「高木製菓」さんでは、「磯部煎餅」に似た四角い「妙義煎餅」と、木の葉形の「胡麻せん」とを売っていました。
愛相のよい奥様にお聞きすると、「妙義煎餅」は昔からここで手作りをしているものだが、「胡麻せん」は金型がないので磯部の菓子店「ゆもと」さんに製造依頼しているということでした。
それでは、ということで磯部の「ゆもと」さんへ行ってみました。
あいにくご主人はお留守でしたが、後ほどお電話でお話を伺うことができました。
お話によると、「ゆもと」さんの創業は昭和四十年(1965)ということで、「磯部鑑」の「木の葉形煎餅」のことも初めて耳にしたと仰っていました。
残念ながら、仙岳さんとのつながりは確認できませんでしたが、ご主人からは「そういう由来があることを知って、有難かった。」と言って頂き、これも仙岳さんが残してくれたご縁のおかげと、嬉しい気持ちになりました。
廃藩置県から16年後の明治二十年、仙岳さんがどういう経緯で「木の葉形煎餅」を発明し売り出したのか、確かなことは分かりませんが、寺の経営のためであろうことは何となく察することができます。
仙岳さんは、その後も清水寺の経営のために策を打ち出します。
そのお話は、また次回に。
そもそも清水寺は、檀家が数軒しかなかったそうです。
高崎城の裏鬼門にあたるということで、代々高崎藩の祈願寺として加護を受けることで経営が成り立っていたのでしょう。
その高崎藩が無くなったとなれば、寺の経営はさぞかし大変になったことと思われます。
加えて、明治新政府の発した「神仏分離令」や、それによる「廃仏毀釈」運動も、仙岳さんを悩ませたに違いありません。
石段下にあったという本堂が、明治になってから石段上の観音堂と兼ねるようになったというのも、理由はこの辺にありそうな気がします。
明治二十四年(1891)、意外なところに仙岳さんの名前が登場します。
「磯部鑑」という、磯部鉱泉の案内本のようなものですが、その中の「磯部名産」の項に仙岳さんの名前が出てきます。
いま一般に「磯部煎餅」と呼ばれているものは、大手氏により明治十九年(1886)に発明されたとありますが、仙岳さんはその翌年に「木の葉形煎餅」を発明したというんですね。
高崎でも売っていたというんですが、聞いたことがありません。
どなたかご存知の方は、情報をお寄せいただけると嬉しいです。
と、そんなことを思っていたら、いつもながらで吃驚するのですが、ひょんな所で「木の葉形煎餅」に遭遇することになりました。

見慣れた「磯部煎餅」の隣に、木の葉形をした磯部煎餅風の「胡麻せん」が並べてあります。
食べてみると、柔らかくてパリパリする食感はまぎれもない「磯部煎餅」で、それに胡麻の風味が加わってとても美味しいお煎餅です。
製造しているのは妙義町の「高木製菓」とか。
磯部に近いとはいえ、どうなのかなと思いましたが、帰り道でもあったのでお店に寄ってみることにしました。
「高木製菓」さんでは、「磯部煎餅」に似た四角い「妙義煎餅」と、木の葉形の「胡麻せん」とを売っていました。
愛相のよい奥様にお聞きすると、「妙義煎餅」は昔からここで手作りをしているものだが、「胡麻せん」は金型がないので磯部の菓子店「ゆもと」さんに製造依頼しているということでした。
それでは、ということで磯部の「ゆもと」さんへ行ってみました。

お話によると、「ゆもと」さんの創業は昭和四十年(1965)ということで、「磯部鑑」の「木の葉形煎餅」のことも初めて耳にしたと仰っていました。
残念ながら、仙岳さんとのつながりは確認できませんでしたが、ご主人からは「そういう由来があることを知って、有難かった。」と言って頂き、これも仙岳さんが残してくれたご縁のおかげと、嬉しい気持ちになりました。
廃藩置県から16年後の明治二十年、仙岳さんがどういう経緯で「木の葉形煎餅」を発明し売り出したのか、確かなことは分かりませんが、寺の経営のためであろうことは何となく察することができます。
仙岳さんは、その後も清水寺の経営のために策を打ち出します。
そのお話は、また次回に。