2023年01月07日

高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・

坂を上りて赤坂町
長松恵徳両寺院
北に曲れば三国道
四ッ谷相生住吉町

「群馬県営業便覧」で見る、明治三十七年(1904)の赤坂町です。
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・
意外なのは、「木賃宿」とか「旅人宿」とかが多いことです。
8軒もの宿が並んでいます。
それと、お菓子屋さんが4軒もあります。
いずれのお菓子屋さんも宿の近くにあるというのは、何か意味がありそうです。

町の中ほど、旧中山道を挟んで北に「長松寺」、南に「恵徳寺」(営業便覧に威徳寺とあるのは間違い)があります。
「長松寺」の隣には「高崎北尋常小学校分教場」と書かれています。
「北尋常小学校」は、児童数が増えた「高崎尋常小学校」の分校として明治三十三年(1900)請地町(うけちまち)に開校しますが、そこに収容しきれない児童のために充てたのが「長松寺」の分教場でした。

ところが、当時は貧困のため就学できない児童が多かったようで、とくに女子の多くは家事に従事しているか、子守奉公に出されていたと言います。
「高崎市教育史 上巻」には、こんな記述があります。
当時、赤坂町の長松寺は、高崎市北尋常小学校の仮分教室として使用されていた。
寺内では、毎日、北小学校の児童たちが勉強しているのであるが、境内では、いつも数人の子守が、あるものは赤ん坊を背負い、あるものは幼児を連れて遊んでいる。
その言動を見るとまことに粗野であるから、知らず知らずのうちに幼児に悪影響を及ぼし、また、子守自身の将来にとっても良くないことは明らかである。」

その状況を見ていた長松寺住職・山端息耕(やまはた そっこう)は、北小学校校長・小林茂と協力して、明治三十六年(1903)分教場内に「樹徳子守学校」を開校します。
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・
同校の基本方針は、
「お守り第一」(幼児を大切にすること)
「勉強第二」(幼児の機嫌のよい時に勉強する)
だそうです。

義務教育の普及により子守児童も減少してきた昭和十四年(1939)に「高崎樹徳学校」と改称しますが、昭和十九年(1944)に閉校となります。

その校舎は昭和十六年(1941)に創設された「日の丸保育園」の園舎としても使用され、平成十三年(2001)に閉園された現在もその姿は残されています。
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・

ふと山門の足元を見ると、こんな石碑がありました。
高崎唱歌散歩-21番 ♪坂を上りて赤坂町・・・
サインを見ると、あの石澤久夫氏の作でした。
そうだ、「長松寺」石澤氏の菩提寺でした。
なので、寺には石澤氏の作品がたくさん残っています。

引き返してその写真を撮らせて頂いたので、次回、ご覧頂くことといたしましょう。





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Posted by 迷道院高崎 at 06:00
Comments(2)高崎唱歌
この記事へのコメント
長松寺と申せば思い出すのが「日本伝承大鑑」にまとめられている怪談チックな記事です。
>長松寺が現在地に移転したのは寛永元年(1624年)。創建は永正4年(1507年)とされるが荒廃、移転と共に臨済宗から曹洞宗に改宗もしている。庫裏は高崎城本丸の不要材を移築したもので、書院は徳川忠長が自刃した部屋であると伝えられている。
(中略)

>この寺の墓地の一角に、非常に不気味な伝承を持つ墓がある。

以下は日本伝承大鑑をご覧ください。https://japanmystery.com/gunma/chosyoji.html
Posted by 磯城津彦玉手看尊  at 2025年01月13日 17:40
>磯城津彦玉手看尊さん

いつも情報ありがとうございます。

「血の出るお墓」の話は、田島武夫氏著「高崎の名所と伝説」にも載っていますね。
ご紹介いただいた「日本伝承大鑑」の「異説」の方の話になっていますが。
いずれにしても、伝承としては面白いですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2025年01月13日 19:24
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