「長松寺」山門にある、石澤久夫氏作の石碑。
銘板の「吾唯知足 足る足らざるは心にある」は、如何にも石澤氏らしい言葉です。
石澤久夫氏をご存じない方もいらっしゃるでしょうか。
私が石澤久夫氏に初めてお会いしたのは、12年前に江木町の敬西寺で行われたJAZZライブでした。
◇土徳のご縁から
その後も何度かお会いする機会を得たのですが、ある時「長松寺の襖絵も描いたんだよ。」とお聞きして見に行ったことがあります。
平成二十六年(2014)の九月でした。
それは、本堂の須弥壇を挟んだ左右の間の襖に描かれていました。
「自然の説法」対話 朝~昼(静寂の哲学)という題が付いています。
面白いのは裏面です。
一見、海面に突き出る岩を描いているように見えますが・・・、
海に見えたのは、たくさんの女性の顔でした。
「人間帰化」現代千体人覚えの書(女面の図)という題が付けられています。
その西面の襖絵は至極シンプルで、題は「地中訓」です。
須弥壇西側の間の襖絵は、
「自然の説法」対話 夕~夜(静寂の哲学)。
その裏面、
「人間帰化」現代千体人覚えの書(男面の図)。
東面は、「天中訓」です。
本堂の西の壁面に絵画が掛かっていたので見ると、これも石澤氏の作品で「集まる人々」という題が付いていました。
山門の石碑は平成二十七年(2015)の作品ですが、その年の上毛新聞にこんな記事が載っていました。
今回伺ってその油彩画も写真に収めたかったのですが、ちょうど額装に出しているところだそうで、見ることができませんでした。
その代わりというと変ですが、たしか以前訪ねた時は無かったと思う「忠長自刃の間」の襖絵が、石澤氏の作になっていました。
平成二十九年(2017)二月、巨匠・石澤久夫氏は八十四年の生涯を全うしました。
いま、「長松寺」墓地のいかにも石澤氏らしい墓石の下で、安らかに眠っています。
銘板の「吾唯知足 足る足らざるは心にある」は、如何にも石澤氏らしい言葉です。
石澤久夫氏をご存じない方もいらっしゃるでしょうか。
私が石澤久夫氏に初めてお会いしたのは、12年前に江木町の敬西寺で行われたJAZZライブでした。
◇土徳のご縁から
その後も何度かお会いする機会を得たのですが、ある時「長松寺の襖絵も描いたんだよ。」とお聞きして見に行ったことがあります。
平成二十六年(2014)の九月でした。
それは、本堂の須弥壇を挟んだ左右の間の襖に描かれていました。
「自然の説法」対話 朝~昼(静寂の哲学)という題が付いています。
面白いのは裏面です。
一見、海面に突き出る岩を描いているように見えますが・・・、
海に見えたのは、たくさんの女性の顔でした。
「人間帰化」現代千体人覚えの書(女面の図)という題が付けられています。
その西面の襖絵は至極シンプルで、題は「地中訓」です。
須弥壇西側の間の襖絵は、
「自然の説法」対話 夕~夜(静寂の哲学)。
その裏面、
「人間帰化」現代千体人覚えの書(男面の図)。
東面は、「天中訓」です。
本堂の西の壁面に絵画が掛かっていたので見ると、これも石澤氏の作品で「集まる人々」という題が付いていました。
山門の石碑は平成二十七年(2015)の作品ですが、その年の上毛新聞にこんな記事が載っていました。
今回伺ってその油彩画も写真に収めたかったのですが、ちょうど額装に出しているところだそうで、見ることができませんでした。
その代わりというと変ですが、たしか以前訪ねた時は無かったと思う「忠長自刃の間」の襖絵が、石澤氏の作になっていました。
平成二十九年(2017)二月、巨匠・石澤久夫氏は八十四年の生涯を全うしました。
いま、「長松寺」墓地のいかにも石澤氏らしい墓石の下で、安らかに眠っています。
合掌。