2019年02月10日

史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

高崎経済大学の北500mほどの所に、「円性寺」(えんしょうじ)というお寺があります。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

本堂の右手前に、「行人塚」の卵型の石塔と史跡看板が建っています。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

「行人塚」の話は各地に残っていて、今は亡き捨蚕大人「江木町の行人堰」を紹介していましたし、私は「金古町の行人塚」の記事を書いてます。

史跡看板の最後に、「行人塚」は別の場所にあって平成に入ってから石塔だけ「円性寺」境内に移したとありますが、石塔の下の石板にはもう少し詳しく書かれています。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

ただ、元あったという「現在の下小塙町前原」の場所が分かりません。

ところが、ありがたいことに「高崎の散歩道第八集」にその場所の手書き地図が載っていました。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

高崎経済大学前の道を隔てた北側ですね。
同著に、こう書かれています。
大学の正門前を過ぎると、下小塙町のバス停がある。
そこから右(北)へ入る道、それは江戸時代に、窪八大尽といわれた酒造家金井八左衛門が開いたと伝えられる”八左衛門通り”である。
この道を入った左手、アパートの裏に松の木が生えている。
根元に卵塔が一基、草に埋もれて立っている。
ここは、”唐崎の松”(現在のは二世だが)と”行人塚”の跡である。」

その写真も掲載されていました。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

手書き地図を見ると、「行人塚」の東に「大焼場」と書かれています。
これについては、
(疫病が流行り)下小塙の村はずれでは、死人を焼く煙が毎日絶えなかった。
こゝは”大焼場”とよばれるようになり、無縁墓地として残された。
八左衛門道をはさんで、西側が行人塚、東側が大焼場である。
昔、この辺は人通りの少ないところだったので、人魂が飛んだとか、追いはぎが出たなどと、村人から気味悪がられた所だった。」
ということです。

さて「円性寺」に戻りまして、参道入り口に「地蔵菩薩」の説明板があります。
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚

この地蔵菩薩に関する行事に「ナイダー」というのがあるそうで、「開化高崎扣(ひかえ)帖」に、そのことが出てきます。
元来「ナムアミダブツ」「ナンマイダブ」のことである。
これを走りながら唱えるために「ナイダー」とか「ナイドー」と訛ったのである。
これは下小塙村に古くから行われてきた民間信仰で、円性寺に伝わる市指定文化財の、鎌倉期の金銅地蔵仏を信仰する念仏講(地蔵講)の行事の一つでもある。」

「ナイダー」の様子も詳しく描写されています。
夏が来ると、下小塙村の子ども達の楽しみは、何といっても七月二十三日の「ナイダー」である。
前夜はフロに入って体を清め、その日は朝から、純白のシャツとパンツを着て白手ぬぐいではち巻をし、ナイダーを待ちきれなくて、家の近くをハダシでとび回る。
昼近くになると、うでまんじゅう(ふかしまんじゅう)で腹ごしらえをして、三々五々真言宗円性寺へ集まる。(略)
午前中は、本堂の広間に子ども達が集まって、大きな数珠のまわりに座り、百万遍の数珠送りが行われる。(略)
史跡看板散歩-128 下小塙の行人塚
昼過ぎになると、「カンカンカン・・・・・」と境内から鉦(かね)の音が村中へ響き渡る。
しばらくすると「ナイドー」という歓声と共に「ボンデン」を高く先頭に掲げた子ども達の集団が、境内から元
気よくかけ出す。(略)
ボンデンを先頭に竹ザオにつるしたカネとタイコを中程にして、その前後に子ども達が列をつくる。
この行列が口々に「ナイドーナイドー・・・・・」とわめきながら、カネをたたき、タイコを打鳴らして、村内の家々をくまなく土足でかけ抜けて行く。」

なかなか面白い伝統行事ですが、昭和三十二年(1957)を最後に、行われなくなってしまったそうです。
残念ですね。


【円性寺】

【行人塚のあった所】





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この記事へのコメント
こんにちは。

ここ数日の空気は非常に冷たく感じます。家の中にいることが多くなっています。
こんな日々は好きな本と、ブログが楽しみの中心になります。そのブログを見る道具が変調をきたし、思い切って初期化してみました。W10は自動的に再インストールしますが、皆さんのブログは全部お気に入りに自分で登録しなおしです。
うまくいきました。スピードもかなり上がった感じで満足しています。

さて
最新のブログで行人塚について書いておられますね。青文字をクリックしながらたどっていくと、
「捨蚕大人」なる御方のブログに行き当たります。貴兄によれば今は亡き方のようですね。
そしてそのスタイルが貴ブログとよく似ていますね。
そう!
貴兄はの「捨蚕大人」氏の気持ちを汲まれてブログを継続したのではないのでしょうか?
我が家の近くの諏訪神社の行人塚の記事は2010年とありました。私がブログというものに出会う前の記事です。


素晴らしい!
Posted by toboketaG  at 2019年02月11日 16:11
詳しく読まないでコメントしてしまいました。
今は亡き・・と書かれていたのでてっきりどなたか故人なられた御方と思ってしまいました。
失礼しました。
Posted by toboketaG  at 2019年02月11日 16:16
>toboketaGさん

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

捨蚕大人は、すでに彼の地に旅立たれています。
そのブログを、息子さんが引き継いでくれているんです。
働き盛りの息子さんなので、頻繁に更新はできないようですが。
それでも、嬉しいことと思っております。

「隠居の思ひつ記」も、早や10年になりました。
ひとえに皆様の励ましのおかげと、感謝しております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2019年02月11日 20:31
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