高崎経済大学の北500mほどの所に、「円性寺」(えんしょうじ)というお寺があります。
本堂の右手前に、「行人塚」の卵型の石塔と史跡看板が建っています。
「行人塚」の話は各地に残っていて、今は亡き捨蚕大人も「江木町の行人堰」を紹介していましたし、私は「金古町の行人塚」の記事を書いてます。
史跡看板の最後に、「行人塚」は別の場所にあって平成に入ってから石塔だけ「円性寺」境内に移したとありますが、石塔の下の石板にはもう少し詳しく書かれています。
ただ、元あったという「現在の下小塙町前原」の場所が分かりません。
ところが、ありがたいことに「高崎の散歩道第八集」にその場所の手書き地図が載っていました。
高崎経済大学前の道を隔てた北側ですね。
同著に、こう書かれています。
その写真も掲載されていました。
手書き地図を見ると、「行人塚」の東に「大焼場」と書かれています。
これについては、
ということです。
さて「円性寺」に戻りまして、参道入り口に「地蔵菩薩」の説明板があります。
この地蔵菩薩に関する行事に「ナイダー」というのがあるそうで、「開化高崎扣(ひかえ)帖」に、そのことが出てきます。
「ナイダー」の様子も詳しく描写されています。
なかなか面白い伝統行事ですが、昭和三十二年(1957)を最後に、行われなくなってしまったそうです。
残念ですね。
本堂の右手前に、「行人塚」の卵型の石塔と史跡看板が建っています。
「行人塚」の話は各地に残っていて、今は亡き捨蚕大人も「江木町の行人堰」を紹介していましたし、私は「金古町の行人塚」の記事を書いてます。
史跡看板の最後に、「行人塚」は別の場所にあって平成に入ってから石塔だけ「円性寺」境内に移したとありますが、石塔の下の石板にはもう少し詳しく書かれています。
ただ、元あったという「現在の下小塙町前原」の場所が分かりません。
ところが、ありがたいことに「高崎の散歩道第八集」にその場所の手書き地図が載っていました。
高崎経済大学前の道を隔てた北側ですね。
同著に、こう書かれています。
「 | 大学の正門前を過ぎると、下小塙町のバス停がある。 |
そこから右(北)へ入る道、それは江戸時代に、窪八大尽といわれた酒造家金井八左衛門が開いたと伝えられる”八左衛門通り”である。 | |
この道を入った左手、アパートの裏に松の木が生えている。 根元に卵塔が一基、草に埋もれて立っている。 |
|
ここは、”唐崎の松”(現在のは二世だが)と”行人塚”の跡である。」 |
その写真も掲載されていました。
手書き地図を見ると、「行人塚」の東に「大焼場」と書かれています。
これについては、
「 | (疫病が流行り)下小塙の村はずれでは、死人を焼く煙が毎日絶えなかった。 |
こゝは”大焼場”とよばれるようになり、無縁墓地として残された。 八左衛門道をはさんで、西側が行人塚、東側が大焼場である。 |
|
昔、この辺は人通りの少ないところだったので、人魂が飛んだとか、追いはぎが出たなどと、村人から気味悪がられた所だった。」 |
さて「円性寺」に戻りまして、参道入り口に「地蔵菩薩」の説明板があります。
この地蔵菩薩に関する行事に「ナイダー」というのがあるそうで、「開化高崎扣(ひかえ)帖」に、そのことが出てきます。
「 | 元来「ナムアミダブツ」「ナンマイダブ」のことである。 |
これを走りながら唱えるために「ナイダー」とか「ナイドー」と訛ったのである。 | |
これは下小塙村に古くから行われてきた民間信仰で、円性寺に伝わる市指定文化財の、鎌倉期の金銅地蔵仏を信仰する念仏講(地蔵講)の行事の一つでもある。」 |
「ナイダー」の様子も詳しく描写されています。
「 | 夏が来ると、下小塙村の子ども達の楽しみは、何といっても七月二十三日の「ナイダー」である。 |
前夜はフロに入って体を清め、その日は朝から、純白のシャツとパンツを着て白手ぬぐいではち巻をし、ナイダーを待ちきれなくて、家の近くをハダシでとび回る。 昼近くになると、うでまんじゅう(ふかしまんじゅう)で腹ごしらえをして、三々五々真言宗円性寺へ集まる。(略) |
|
午前中は、本堂の広間に子ども達が集まって、大きな数珠のまわりに座り、百万遍の数珠送りが行われる。(略) |
昼過ぎになると、「カンカンカン・・・・・」と境内から鉦(かね)の音が村中へ響き渡る。 しばらくすると「ナイドー」という歓声と共に「ボンデン」を高く先頭に掲げた子ども達の集団が、境内から元 |
気よくかけ出す。(略) ボンデンを先頭に竹ザオにつるしたカネとタイコを中程にして、その前後に子ども達が列をつくる。 この行列が口々に「ナイドーナイドー・・・・・」とわめきながら、カネをたたき、タイコを打鳴らして、村内の家々をくまなく土足でかけ抜けて行く。」 |
なかなか面白い伝統行事ですが、昭和三十二年(1957)を最後に、行われなくなってしまったそうです。
残念ですね。
【円性寺】
【行人塚のあった所】