「高崎の散歩道第八集」にこんな話が出てきます。
前回の「円性寺」から西へ直線距離で290mの所にあるのが、「北野神社」です。
史跡看板は、鳥居を潜った左にあります。
昔からの由緒看板も、鳥居と並んだ右手に建っています。
どちらの看板にも「獅子舞」のことが書かれています。
五穀豊穣、無病息災、商売繁盛を祈願して、三月二十五日と十月九日の例大祭に奉納されるそうです。
Mosaku AnchuさんのYouTubeでご覧ください。
動画の途中で「お天狗様」が出てきますが、そういえば由緒看板の右隣にこんな石碑が建っていました。
「石尊大権現」の大きな石碑の左右に、「大天狗」「小天狗」という石碑が建っています。
調べてみると、この3つはセット物で、江戸期以前の神仏習合時代「石尊大権現」は「雨降山大山寺」(あぶりさん・おおやまでら)の本社に祀られており、その奥社に「大天狗」、前社に「小天狗」が祀られていたのだそうです。(Wikipedia)
明治になって神仏分離令が発せられると、「雨降山大山寺」は「大山阿夫利神社」(おおやま・あぶりじんじゃ)と名を変え、御祭神も「大山祗大神」(おおやまつみのおおかみ)、「高龗神」(たかおかみのかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)となっています。(大山阿夫利神社HP)
因みに、「北野神社」の「石尊大権現」の碑は慶応三年(1867)の建立です。
「北野神社」の拝殿は、大正八年(1919)に瓦屋根に葺き替えられたと由緒看板にありますが、それまでは杮(こけら)葺きか茅葺だったのでしょうか。
瓦は最近新しくしてるようですが、大棟の飾りは実に見事な造りです。
菅原道真が乗ってきた牛も、梅の木の下でまどろんでいます。
これを奉納した金井氏は、おそらく窪八大尽こと金井八左衛門のご子孫でしょう。
「高崎の散歩道第八集」によると、八左衛門家は児玉党倉賀野金井氏の一族で、倉賀野城落城後この地に土着した金井源三郎の直系と伝わっているそうです。
酒造家であった八左衛門家は酒蔵八棟を備え、下小塙村の地所の半分を所有していたと言います。
地図を見ると、「八左衛門通り」がまさに室田街道から屋敷への直線道路だということがよく分かります。
近くには「高札場跡」、「八左衛門の墓」、「唐崎の薬師様」があります。
下小塙の楽しい散策でした。
「 | 昔から下小塙には、「東地蔵に西天神」という諺が残っている。 |
つまり、東に円性寺の地蔵様があり、西に鎮守の天神様(北野神社)があって村を守ってくれるので、家事、災厄のない村であるという伝承である。」 |
前回の「円性寺」から西へ直線距離で290mの所にあるのが、「北野神社」です。
史跡看板は、鳥居を潜った左にあります。
昔からの由緒看板も、鳥居と並んだ右手に建っています。
どちらの看板にも「獅子舞」のことが書かれています。
五穀豊穣、無病息災、商売繁盛を祈願して、三月二十五日と十月九日の例大祭に奉納されるそうです。
Mosaku AnchuさんのYouTubeでご覧ください。
動画の途中で「お天狗様」が出てきますが、そういえば由緒看板の右隣にこんな石碑が建っていました。

調べてみると、この3つはセット物で、江戸期以前の神仏習合時代「石尊大権現」は「雨降山大山寺」(あぶりさん・おおやまでら)の本社に祀られており、その奥社に「大天狗」、前社に「小天狗」が祀られていたのだそうです。(Wikipedia)
明治になって神仏分離令が発せられると、「雨降山大山寺」は「大山阿夫利神社」(おおやま・あぶりじんじゃ)と名を変え、御祭神も「大山祗大神」(おおやまつみのおおかみ)、「高龗神」(たかおかみのかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)となっています。(大山阿夫利神社HP)
因みに、「北野神社」の「石尊大権現」の碑は慶応三年(1867)の建立です。
「北野神社」の拝殿は、大正八年(1919)に瓦屋根に葺き替えられたと由緒看板にありますが、それまでは杮(こけら)葺きか茅葺だったのでしょうか。
瓦は最近新しくしてるようですが、大棟の飾りは実に見事な造りです。
菅原道真が乗ってきた牛も、梅の木の下でまどろんでいます。
これを奉納した金井氏は、おそらく窪八大尽こと金井八左衛門のご子孫でしょう。
「高崎の散歩道第八集」によると、八左衛門家は児玉党倉賀野金井氏の一族で、倉賀野城落城後この地に土着した金井源三郎の直系と伝わっているそうです。
酒造家であった八左衛門家は酒蔵八棟を備え、下小塙村の地所の半分を所有していたと言います。
地図を見ると、「八左衛門通り」がまさに室田街道から屋敷への直線道路だということがよく分かります。
近くには「高札場跡」、「八左衛門の墓」、「唐崎の薬師様」があります。
【高札場跡】
【八左衛門の墓】
【唐崎の薬師様】
下小塙の楽しい散策でした。
【北野神社】