倉渕支所を訪ね、地元の歴史や名所旧跡に詳しいという、公民館の塚越昇さんをご紹介いただきました。
塚越さんから倉渕の石に関する資料を頂戴し、その場所についても教えて頂くことができました。
ただ、現在では無くなってしまった石や、場所が不明な石もあるということです。
頂いた資料は「広報くらぶち」に連載された記事だそうですが、こんな記述があります。
残念ながら頂いた資料には石のある場所の地図はなかったのですが、倉渕地域づくり活動協議会発行の「てくてくマップ」に、「イボ石」の場所だけは載っていました。
という訳で、まずは「イボ石」を見に行くことにいたしました。
東善寺正面の道を南へ入ります。
烏川に架かる「川田橋」を渡ると、左下の田んぼ中に一目でそれとわかる大きな石が見えます。
田んぼの中にポツンと飛び出た姿が「イボ」のように見えるからなのかなと思ったら、頂いた資料にはこう書かれています。
なるほど、「イボ石」の表面には大小無数の窪みがあります。
窪みに溜まる水は、人間の「イボ」を取るだけでなく、植物の命を育む水でもあるようで、イワヒバか何かが窪みに根をおろしています。
それにしても、こんな大石、どこから来たんでしょうかね。
榛名山から飛んで来たのか、烏川から押し流されて来たのか、それとも神様のなせる御業なのか。
てっぺんの石宮は、地元の土木建築業・「(有)関組」の社長さんがお祀りしたものだそうです。
塚越さんから倉渕の石に関する資料を頂戴し、その場所についても教えて頂くことができました。
ただ、現在では無くなってしまった石や、場所が不明な石もあるということです。
頂いた資料は「広報くらぶち」に連載された記事だそうですが、こんな記述があります。
「 | 昔の人は、正月の初参りには必ず『五名石』詣でをしたといいます。 しかし、今では五名石の所在を知っている人も少ないようです。 |
川浦七名石は前回河童の伝説に書きました膳棚石をはじめ、駒形石、腹切り石、いぼ石のようでありますが、未だそれ以外の石は知っておられる方にめぐり逢いません。 | |
私(市川光一氏)が踏査した伝説から書き始めてみたいと思います。」 |
残念ながら頂いた資料には石のある場所の地図はなかったのですが、倉渕地域づくり活動協議会発行の「てくてくマップ」に、「イボ石」の場所だけは載っていました。
という訳で、まずは「イボ石」を見に行くことにいたしました。
東善寺正面の道を南へ入ります。
烏川に架かる「川田橋」を渡ると、左下の田んぼ中に一目でそれとわかる大きな石が見えます。
田んぼの中にポツンと飛び出た姿が「イボ」のように見えるからなのかなと思ったら、頂いた資料にはこう書かれています。
「 | 権田方面から川田橋を渡った左下の田んぼの中に通称『いぼ石』と称する大石があります。 |
前橋の岩神の”飛石”、高崎烏川の”聖石”、松井田の”大石”にも匹敵する大石です。 石の表面には沢山のへこみがあり、上には石宮が鎮座しています。 |
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いぼ石の由来は、この石の表面の窪みに溜まった水を、皮膚にできた疣(イボ)につけると、たちまちに癒えるといわれております。 古老に聞いてみると『わしも小さい時ためしてみたが、霊験あらたかで直ぐに治った』と語っていました。」 |
なるほど、「イボ石」の表面には大小無数の窪みがあります。
窪みに溜まる水は、人間の「イボ」を取るだけでなく、植物の命を育む水でもあるようで、イワヒバか何かが窪みに根をおろしています。
それにしても、こんな大石、どこから来たんでしょうかね。
榛名山から飛んで来たのか、烏川から押し流されて来たのか、それとも神様のなせる御業なのか。
てっぺんの石宮は、地元の土木建築業・「(有)関組」の社長さんがお祀りしたものだそうです。
【イボ石】