倉渕公民館の塚越昇さんから頂いた資料に、「権田七つ石」の一つ「ゴンゾウ石」のことが書かれています。
権田の信号の手前、旅館「権田館」の道向かい、写真手前の赤い屋根の家が柳原氏宅です。
柳原氏宅は今どなたも住んでらっしゃらないので、近くの理容店「つかごし」さんのご主人にお話を伺いました。
ご主人も「権三石」の実物は見たことがないということでしたが、「県道が拡幅される前はこの辺にあったらしい。」と現地まで案内してくださいました。
今は石段の下り口になっていますが、その辺にあったようです。
柳原氏宅を建てる時、「権三石」はその基礎石に使われたのではないかというお話でした。
「権三石」が再び姿を見せるのは、柳原氏宅が解体される時ということなのでしょうか。
その時、「権三石」のことが人々の記憶から消えていないことを祈ります。
「権三石」というのは、中央小学校校門の所より30mほど西方の県道端(柳原氏宅上手)にありました。 | |
3mくらいの馬の背形をした巨石でありましたが、県道改修の時に取り除かれてしまい、今はその姿を見る由もありません。 | |
現在「権三石」の上に建っている柳原氏のお宅は、元々「権三石」の下方にあったといいます。 「権三石」は昔の草津街道の端にその巨体を横たえていた訳です。 |
|
柳原氏の話によれば、子どもの頃「権三石」は子どもたちの遊び場で、馬の背形の上を滑り台のようにして遊んだとのことでした。 | |
「権三石」の語源については、「権田石」が訛ったものか分かりませんが、柳原氏の説によれば「昔、権三という無宿者がこの石のそばに小屋掛けして住んだので、権三石と呼んだのではないか。」とのことであります。 |
権田の信号の手前、旅館「権田館」の道向かい、写真手前の赤い屋根の家が柳原氏宅です。
柳原氏宅は今どなたも住んでらっしゃらないので、近くの理容店「つかごし」さんのご主人にお話を伺いました。
ご主人も「権三石」の実物は見たことがないということでしたが、「県道が拡幅される前はこの辺にあったらしい。」と現地まで案内してくださいました。
今は石段の下り口になっていますが、その辺にあったようです。
柳原氏宅を建てる時、「権三石」はその基礎石に使われたのではないかというお話でした。
「権三石」が再び姿を見せるのは、柳原氏宅が解体される時ということなのでしょうか。
その時、「権三石」のことが人々の記憶から消えていないことを祈ります。
【権三石があった場所】