「イボ石」の所の「川田橋」から烏川の上流を望むと、大きな石がゴロゴロしています。
この上流に、「権田七つ石」の一つ「腹切り石」があると、公民館の塚越さんに教えて頂きました。
東善寺前から北へ150mほど行って、「平田理容館」の方へ行く道に入ります。
「平田理容館」前を右へ折れます。
道なりに少し進んで、烏川に向かって入り込みます。
土手を進むと、前方に大きな石が見えてきました。
これなのかなぁ。
念のために近くの家でお聞きすると、間違いなくこれが「腹切り石」だそうです。
前回の記事で、「腹切り石」の伝説を簡単にご紹介しましたが、塚越さんに頂いた資料にはこう書かれています。
後ろの山が「大明神山」らしいです。
でも、あの山頂からこの大石に飛び降りるってのは、ちょっと無理なように思いますし、腹を切る力なんぞ残ってませんって。
蹄の跡と刀傷を探して「腹切り石」を一巡りしてみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。
川の流れで転がるかして、跡のある面が下にでもなっちゃったのでしょうか。
城の遺構が残っているという、対岸の「大明神山」へ行ってみましょう。
もういちど「川田橋」を渡って120mほど行くと、「浅間神社」の案内板があります。
右へ曲がって40mほど行くと、お堂があります。
何のお堂か表示がありませんし、お堂の中を見ても手掛かりがありません。
ちょうど通りかかった方にお聞きすると、「薬師様」だと言います。
あとでGoogle Mapを見たら、「榛名神社」と記載されていました。
そこからさらに260mほど行くと、「浅間神社」の入口です。
石段の上り口に、神社の由来を書いた看板がありました。
これを見ると、始めは山頂に祀られていたが、老人や女性、子どもの参詣が難儀だったので、麓へ遷したんですね。
ふと横を見ると、太くてゴツゴツした幹の古木が立っています。
裏へまわると、「浅間神社の大カエデ」という標杭が建っていました。
説明看板も建ってるんですが、ヒバの枝葉に隠れてしまっています。
枝葉を押しのけながら読んでみました。
さて、石段を上ってみましょう。
「正一位浅間大明神」とあります。
あぁ、それで「大明神山」か。
「浅間神社」だから本来は「富士山」なんでしょうね。
由来に書いてあった字名も「富士山」ですもんね。
石段を上り切った所に社殿があり、その左後ろに崖が聳え立っています。
社殿の裏から山頂に登るようです。
しかし、登山口へ行ってみると、登山道は崩れ、その先は雪の積もる急坂です。
命あっての物種です。
そそり立つ絶壁を写真に収めただけで、撤退してまいりました。
石段下まで戻ってくると、上るときには気付かなかった面白い「百庚申塔」がありました。
伝説の「腹切り石」と、ちょっと中途半端な「大明神山」訪問でした。
この上流に、「権田七つ石」の一つ「腹切り石」があると、公民館の塚越さんに教えて頂きました。
東善寺前から北へ150mほど行って、「平田理容館」の方へ行く道に入ります。
「平田理容館」前を右へ折れます。
道なりに少し進んで、烏川に向かって入り込みます。
土手を進むと、前方に大きな石が見えてきました。
これなのかなぁ。
念のために近くの家でお聞きすると、間違いなくこれが「腹切り石」だそうです。
前回の記事で、「腹切り石」の伝説を簡単にご紹介しましたが、塚越さんに頂いた資料にはこう書かれています。
「 | 腹切り石は中央小学校の対岸の大明神山の断崖下、烏川の左岸にあります。 |
約5mの平たい大石です。表面に馬蹄の跡と刀剣(後世刻んだものか)の跡が窪み形についています。 | |
遠く戦国の昔、大明神山の頂上に城があり、ある時権田城と戦いました。 しかし、善戦むなしく敗れ城将は愛馬にまたがったまま山頂城壁より烏川の大石上に飛び降りました。 |
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そして彼は大石上で切腹して果てたと伝えられています。 | |
大明神山頂には、今も空堀、本丸跡、水路などの遺構が見られます。 |
後ろの山が「大明神山」らしいです。
でも、あの山頂からこの大石に飛び降りるってのは、ちょっと無理なように思いますし、腹を切る力なんぞ残ってませんって。
蹄の跡と刀傷を探して「腹切り石」を一巡りしてみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。
川の流れで転がるかして、跡のある面が下にでもなっちゃったのでしょうか。
城の遺構が残っているという、対岸の「大明神山」へ行ってみましょう。
もういちど「川田橋」を渡って120mほど行くと、「浅間神社」の案内板があります。
右へ曲がって40mほど行くと、お堂があります。
何のお堂か表示がありませんし、お堂の中を見ても手掛かりがありません。
ちょうど通りかかった方にお聞きすると、「薬師様」だと言います。
あとでGoogle Mapを見たら、「榛名神社」と記載されていました。
そこからさらに260mほど行くと、「浅間神社」の入口です。
石段の上り口に、神社の由来を書いた看板がありました。
これを見ると、始めは山頂に祀られていたが、老人や女性、子どもの参詣が難儀だったので、麓へ遷したんですね。
ふと横を見ると、太くてゴツゴツした幹の古木が立っています。
裏へまわると、「浅間神社の大カエデ」という標杭が建っていました。
説明看板も建ってるんですが、ヒバの枝葉に隠れてしまっています。
枝葉を押しのけながら読んでみました。
高崎市指定天然記念物 浅間神社の大カエデ 指定 昭和57年4月1日 所在地 高崎市倉渕町川浦字富士山丙3083 |
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目通り3.1メートル、高さ16メートル、樹齢は境内にある杉の大木が三百七十~八十年くらいのものが多いので、当時に植えられたものとすれば、少なくとも三百五十年はたっていると思われる。 | |
大カエデは由緒ある浅間神社の境内の入口にあり、地上百三十センチメートルの所で三枝に分かれ、バランスよく枝を広げている。 古木の持つ自然に備わった風格よりみても、この種のもの(山モミジ)としては、まれに見る名木である。 |
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根元まわり 3.2メートル 枝はり 東西9.5メートル 南北12.1メートル |
さて、石段を上ってみましょう。
「正一位浅間大明神」とあります。
あぁ、それで「大明神山」か。
「浅間神社」だから本来は「富士山」なんでしょうね。
由来に書いてあった字名も「富士山」ですもんね。
石段を上り切った所に社殿があり、その左後ろに崖が聳え立っています。
社殿の裏から山頂に登るようです。
しかし、登山口へ行ってみると、登山道は崩れ、その先は雪の積もる急坂です。
命あっての物種です。
そそり立つ絶壁を写真に収めただけで、撤退してまいりました。
石段下まで戻ってくると、上るときには気付かなかった面白い「百庚申塔」がありました。
伝説の「腹切り石」と、ちょっと中途半端な「大明神山」訪問でした。
【腹切り石】
【浅間神社】