2019年02月24日

史跡看板散歩-130 新井観音堂

高崎環状線下小塙町のひとつ北の信号を、西へ曲がって150m。
「新井公民館」の敷地内に、「新井観音堂」はあります。
史跡看板散歩-130 新井観音堂

平成二十三年(2011)に建て替えられたという堂宇は、なかなかシックないい造りです。
史跡看板散歩-130 新井観音堂
史跡看板散歩-130 新井観音堂

失礼して中を覗いてみると、厨子の格子戸から観音様のお姿が、ちらりと拝み見えました。
史跡看板散歩-130 新井観音堂

看板に、「この辺りは、古くは荒井村といい・・・」と書いてあります。
昔は「荒井」と書いた村が、いつの頃か「新井」になった訳ですが、この地名について「高崎の散歩道第八集」にこんな記述があります。
太古以来、かつての榛名白川は、もっと東へ流れていたと考えられている。
箕輪を過ぎてから左岸(東側)へ氾濫して浜川、楽間、北新波、南新波、西新波(沖)、菊地、新井、唐崎一帯に、かなり広範囲に押し流していた歴史をもっている。
これらの地域は白川の氾濫コースでもあり、また氾濫原でもあった。
明治以降も、明治三年(1870)、四十三年(1910)と二度ほど白川洪水がこのコースに氾濫している。
「新波(あらなみ)」の「新」を「荒」の字に置きかえると、「荒」は「荒地」「荒廃」「荒々しい」などの意味をもつので、「荒波」は洪水を意味する語となる。
「新井」は、もとは「荒井」であったかも知れない。
あるいは、清水の湧き出る新しい開発地として「新井」になったとも考えられる。
現在の新井の村落裏には、数か所、榛名山麓の地下水が湧き出る清水の水源があった。
「井」とは、地下水の湧き出る「湧水」「泉」「池」などをさしている。」

看板には、「天明年間の大洪水で観音堂は崩壊し・・・」とありますから、やはり川が荒れまくる地だったのかも知れません。
新しくなった村は、新しくなった観音堂の観音様に、ずっと守られていくことでしょう。


【新井観音堂】






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