前回に続き、富岡の「小町山得成寺」の話です。
「得成寺」には、晩年の小町の姿を彫った、運慶作「無我無心像」というのもあります。
これも、徳川家から寄進されたものだそうです。
本物は4月8日の花まつりの時にしか見られないということですが、本堂のガラスケースの中にその写真が飾られていました。
晩年とはいえ、絶世の美女・小野小町とはとても思えない姿ですが、どうやら平安時代に書かれたという「玉造小町壮衰書」に出てくる姿のようです。
漢字がびっしりですが、こんな感じでしょうか。
将軍・徳川家綱が、なぜ全盛期の「小町の襖絵」と晩年の「無我無心像」の二つを寄進したのか、意味深です。
あ、そういえば、横尾応処斎の作品を捜して吉井町穴岡の「弥勒寺」へお邪魔した時、本堂の廊下にこんな絵が掛かっていました。
ガラスで反射して見にくいですが、見にくくてよかったかも知れません。
十二単の女性が、おどろおどろしい骸(むくろ)に変化していく様子が描かれています。
「九相図」というらしいんですが、もしかするとこの女性は小町かも知れません。
花の色は
移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
「得成寺」には、晩年の小町の姿を彫った、運慶作「無我無心像」というのもあります。
これも、徳川家から寄進されたものだそうです。
本物は4月8日の花まつりの時にしか見られないということですが、本堂のガラスケースの中にその写真が飾られていました。
晩年とはいえ、絶世の美女・小野小町とはとても思えない姿ですが、どうやら平安時代に書かれたという「玉造小町壮衰書」に出てくる姿のようです。
漢字がびっしりですが、こんな感じでしょうか。
「 | 私が道を行く途中、道の傍らに一人の女人がいた。 |
容貌は憔悴し、身体は痩せ、髪は霜にあたった蓬のように白い。 | |
肌は凍った梨のように皺が寄り、骨は飛び出し筋が浮き出て、顔の色は黒く歯は黄ばんでいる。 | |
裸形にして衣はなく、履物もなく素足のまま。 | |
声は震えてものを言うこともできず、足は萎えて歩くこともできない。 | |
食べ物は尽きて、朝夕の食も支え難く、糠や屑米も悉く終わり、いつ命が終わるかも知れない。 | |
左のひじには破れた竹籠を懸け、右手には壊れた笠を提げて、首には一つの包みを掛け、背には一つの袋を背負っている。」 |
(参考:杤尾武校注「玉造小町子壮衰書」)
将軍・徳川家綱が、なぜ全盛期の「小町の襖絵」と晩年の「無我無心像」の二つを寄進したのか、意味深です。
あ、そういえば、横尾応処斎の作品を捜して吉井町穴岡の「弥勒寺」へお邪魔した時、本堂の廊下にこんな絵が掛かっていました。
ガラスで反射して見にくいですが、見にくくてよかったかも知れません。
十二単の女性が、おどろおどろしい骸(むくろ)に変化していく様子が描かれています。
「九相図」というらしいんですが、もしかするとこの女性は小町かも知れません。
花の色は
移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
小野小町