
鎌倉街道「山本宿」の趣きを感じさせる石垣の先に、高崎市の指定文化財「来迎(らいごう)阿弥陀画像板碑」があります。
石段の所です。
グンブロガー・捨蚕さんが、ちょっと深い推察をされてます。
◇「山名八幡物語( 六)あやしの堂は阿弥陀堂」

「山ノ上碑」のあるところには、昔、山名にあった宝積寺持ちの観音堂があって、「窟(いわや)堂」と呼ばれていたそうです。
緑野・多胡・甘楽の三郡坂東三十三観音の四番札所だったとかで、今、「山ノ上古墳」の玄室に安置されている馬頭観音がそれだそうです。

木々の緑と、鳥居や出猩々(でしょうじょう)の赤とのコントラストがとてもきれいで、一瞬、秋の日のような錯覚に陥ります。

貯水池のほとりに大きな石碑と、万葉歌を書いた看板が建っています。
「いにしへの 古き堤は年深み
池のなぎさに 水草生ひにけり」
「石碑(いしぶみ)の路」に設置されている万葉歌碑29基の内の1基として登録されていますが、「石碑の路」からは外れているし、肝心の万葉歌が裏面にひっそり刻まれているなど、他の歌碑とちょっと感じが違います。

「吉井弾薬支所周辺 障害防止対策事業
着工 昭和五十五年十月
竣工 昭和五十七年三月」
と刻まれています。
昔から水の便が悪いこの地区には、貯水池や隧道、暴れ沢の柳沢川があって、大雨や台風の時には災害の危険が常に付きまとっていました。
地元の人々も自然災害に耐えられる施設に改築したいという思いはあれど、先立つものはその財源。小さな集落にはなかなか困難な問題でした。
そんな時浮上してきたのが、自衛隊吉井弾薬補給所の施設周辺整備計画です。
地域の人はその機を逃さず、様々な陳情を重ねることによって、貯水池周辺の大改築を実現しています。
この大きな石碑には、改築費用を負担してくれた吉井弾薬支所への感謝、古からの土地や先祖への感謝、そして人々の知恵と努力が込められていると感じました。

石碑から150mほど行くと道は二又に分かれ、「右 高崎森林公園入口」という、素朴な手書き看板が立っています。

道なりにずんずん奥へ入っていくと、300mほどで東屋の建つ広場にたどり着きます。
昨年まで、「高崎里山の会」というボランティアグループの人たちが、こんな活動やこんな活動をしていました。
もとは「高崎市自然植物園」建設予定地で、いっとき「高崎市民の森」と呼んでいたこともありました。
今は訪れる人も少ないのでしょうか、整備された遊歩道もすっかり草に隠れ、まさに自然植物園状態です。
この日は人っ子一人おらず、小鳥のさえずり、虫の羽音、心地よい風にそよぐ木の葉のささやき、みんなみんなひとり占めにできました。
草をかき分けて斜面を上れば高崎自然遊歩道・石碑の路に出られますが、今日はここで引き返すことに致します。
(参考図書:「みなみやはたの歩み」)
【来迎阿弥陀画像板碑】