
一本松橋を根小屋側へ渡ると、その名も恐ろしい「地獄沢」という看板が目に入ります。
その水路に沿って西南に進むと県道・寺尾-山名線に出ます。


面白いのは、参道の途中を上信電鉄の線路が横切っていることです。



ここも面白くて、60段ほどの石段を上り切ると、いきなり上信電鉄の線路に出ます。
ここは踏切さえもなく、左右をよく見ながら線路をまたいで渡ることになります。

右の社殿が鹿島神社の本殿でしょうが、左にも社殿があります。

その左の社殿の中にもまた、ほのぼのとしたお顔の像が安置されていました。
宝性寺の山号「鹿島」と、この「鹿島神社」、この辺りの字名も「鹿島」です。
「鹿島」といえば茨城県の「鹿島神宮」ですが、武芸の神とされる武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祭神とし、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地だったそうです。(wikipedia)
全国にある「鹿島」という地名や神社名は、防人を出したところに多いと言われています。(内山信二氏著・徐徐漂たかさき)

ここには、「寅薬師」と呼ばれる薬師堂があります。

ブロック積みの小さなお堂の中に、何体もの石仏が安置されていますが、なぜか旧約聖書まで納められていました。

根小屋丘陵には「根小屋七沢」と呼ばれるほど多くの沢があり、大雨が降ると鉄砲水となって大量の土砂を流出させるそうです。
根小屋の県道を車で走った方はお気付きかも知れませんが、やけにアップダウンの多い道です。
これは、沢から流れ出た土砂が堆積して、いわゆる天井川となったために、沢と交差する部分が高くなっているのです。
きっと鉄砲水によって大勢の人が犠牲になったのが、「地獄沢」だったのでしょう。
そして、そんな災害が起きないことを願って薬師様を祀ったのが、「薬師沢」だったのでしょう。
沢には砂防ダムが築かれ、頑丈そうな深い水路が設けられていますが、自然は時として人知を超えた力を見せつけます。
先人は、地名や沢の名前によって、後世にそのことを伝えようとしたのでしょう。
先人の知恵を忘れないためにも、地名や史跡を大切に保存していかなければなりません。