2011年04月11日

鎌倉街道探訪記(22)

鎌倉街道探訪記(22)聖石橋でひとしきり文句を言った後、下佐野まで戻りました。

一本松橋根小屋側へ渡ると、その名も恐ろしい「地獄沢」という看板が目に入ります。
その水路に沿って西南に進むと県道・寺尾-山名線に出ます。

鎌倉街道探訪記(22)それをちょっと左に曲がると、鹿島山宝性寺への参道前に出ます。

鎌倉街道探訪記(22)




面白いのは、参道の途中を上信電鉄の線路が横切っていることです。

鎌倉街道探訪記(22)遮断機も警報機もない踏切を渡ると、ほのぼのとしたお顔のお地蔵様と、素敵な言葉が出迎えてくれました。
鎌倉街道探訪記(22)

鎌倉街道探訪記(22)宝性寺参道入り口から150mほど山名方面に向かって歩くと、鹿島神社の参道前に出ます。

鎌倉街道探訪記(22)



ここも面白くて、60段ほどの石段を上り切ると、いきなり上信電鉄の線路に出ます。
ここは踏切さえもなく、左右をよく見ながら線路をまたいで渡ることになります。
鎌倉街道探訪記(22)
右の社殿が鹿島神社の本殿でしょうが、左にも社殿があります。

鎌倉街道探訪記(22)



その左の社殿の中にもまた、ほのぼのとしたお顔の像が安置されていました。

宝性寺の山号「鹿島」と、この「鹿島神社」、この辺りの字名も「鹿島」です。
「鹿島」といえば茨城県「鹿島神宮」ですが、武芸の神とされる武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祭神とし、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地だったそうです。(wikipedia)
全国にある「鹿島」という地名や神社名は、防人を出したところに多いと言われています。(内山信二氏著・徐徐漂たかさき)

鎌倉街道探訪記(22)鹿島神社の参道前からさらに150mほど行くと、「薬師沢」に出ます。

ここには、「寅薬師」と呼ばれる薬師堂があります。

鎌倉街道探訪記(22)

ブロック積みの小さなお堂の中に、何体もの石仏が安置されていますが、なぜか旧約聖書まで納められていました。
鎌倉街道探訪記(22)
根小屋丘陵には「根小屋七沢」と呼ばれるほど多くの沢があり、大雨が降ると鉄砲水となって大量の土砂を流出させるそうです。

根小屋の県道を車で走った方はお気付きかも知れませんが、やけにアップダウンの多い道です。

これは、沢から流れ出た土砂が堆積して、いわゆる天井川となったために、沢と交差する部分が高くなっているのです。

きっと鉄砲水によって大勢の人が犠牲になったのが、「地獄沢」だったのでしょう。
そして、そんな災害が起きないことを願って薬師様を祀ったのが、「薬師沢」だったのでしょう。

沢には砂防ダムが築かれ、頑丈そうな深い水路が設けられていますが、自然は時として人知を超えた力を見せつけます。
先人は、地名や沢の名前によって、後世にそのことを伝えようとしたのでしょう。
先人の知恵を忘れないためにも、地名や史跡を大切に保存していかなければなりません。

【宝性寺参道入り口】

【鹿島神社参道入り口】

【寅薬師】





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Posted by 迷道院高崎 at 00:17
Comments(4)鎌倉街道
この記事へのコメント
お久しぶりm(u_u)mです。僕はこの「鎌倉街道」シリーズが大好きです!

迷道院さんのフィールドワークは、歩いてみたくなる魅力がありますね(^-^)/

僕は昔、横川→倉賀野で暮らしていました。国鉄の子だったので(本籍はいまだに下和田です。関越新幹線の高架下という住所はなんだか笑えます)

実は伊勢崎住民ですが(Θ_Θ)
Posted by 忠やん  at 2011年04月11日 19:04
>忠やんさん

あ、下和田が本籍ですか。
まさに鎌倉街道沿いということですね。
それは、それは。

皆様の励ましのおかげをもちまして、鎌倉街道シリーズも22回目となりました。
これからも、ボチボチとではありますが探し歩いていきたいと思います。
気長にお付き合い頂けたら嬉しいです(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年04月11日 20:51
上信電鉄って、ホント、面白い所を通っていますね。

まあ、運行本数も多いわけでもなく、2両編成(ですよね?)の、田舎のノンビリとしたローカル線ですから、許されるのでしょうか?

まあ、開通した頃は、もっとノンビリした時代だったのでしょうから、踏み切りなんて要らなかったのかも(笑)

実は、上信電鉄の電車って、小学生の頃に乗ったことがあるような無いような・・・・。

一度、乗りに帰ってみても良いかもしれませんね。
Posted by キレイズキ  at 2011年04月12日 12:48
>キレイズキさん

上信電鉄の前身・上野(こうずけ)鉄道は明治三十年開業だそうです。
開業当初は蒸気機関車で、高崎から下仁田まで2時間半かかったとか。

今はちょうど1時間ですね。
仰るとおり2両編成で、ラッピング広告が施された賑やかな車体で走ってます(^_^)

昔は日本一料金の高い私鉄と言われてましたが、よく頑張ってると思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年04月12日 20:07
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