月は改まりましたが・・・。
悶々とした気持ちはなかなか改まりません。
大震災の前に書いておいたこの記事も、UPするのをためらっていましたが、ある方から、「とにかく我々は通常の生活を行うのが何よりの支援」というメールを頂戴し、それもそうかと、彼の地のことを心に留めつつUPすることに致しました。
前回の鎌倉街道探訪は下佐野まで進み、「川籠石」と「赤石」をご紹介しました。
今日は、その二つの石と合わせて「烏川三石」と呼ばれるもう一つの石、「聖石」(ひじりいし)のお話をしたいと思います。

「聖石町」や「聖石橋」の名前の由来となった「聖石」ですが、今、聖石橋の上からそれを見つけるのは困難な状態です。
←分かるでしょうか?
橋の上からは見えないので、車がビュンビュン走る国道の端から見てみました。→
赤い鳥居と石碑がやっと見えますが、「聖石」そのものを見ることはできません。
←昔は、こんな立派な姿を、橋の上からも土手の上からも見ることができました。
上部に空いている丸い穴は、高瀬舟を繋ぎ止めるためのものだそうで、ここが、烏川最上流の河岸だったという証です。
昭和六年(1931)に、それまでの木橋からコンクリートの永久橋に架け替えられた「聖石橋」は片側一車線、車社会の現代では流石に狭いということで、平成十九年(2007)に拡幅されました。
完成した橋の欄干には、綺麗な御影石にエッチングのデザイン画が埋め込まれています。→
が、残念なことに「聖石」のある側には、「聖石」が描かれていません。
↓

「聖石」が描かれているのは、石とは反対の上流側の方です。

しかも、これが「聖石」という表記はなく、観音様との位置関係も実際とは逆になっています。
これはデザイン画であって案内図ではありませんから、位置関係を云々するのは野暮なんですが、知らない人は橋の上流側に「聖石」を探してしまうかも知れません。
しかも、しかも、しかも!
その上流側は、7億2千万円をかけて「高松かわまちづくり」とかいう親水公園の造成中で、川の中には何やら石が並べられています。
いつの間にか、この石が「聖石」ということになりはせぬかと、心配になってしまいます。
「聖石」は、弘法大師が腰かけたので、その名が付いたとされています。
また、昭和六年の「聖石橋」架け替え工事は、昭和恐慌による「失業地獄を救え」というスローガンのもとに、多くの失業者を採用しての工事であったと聞きます。
橋の親柱にはその由緒や歴史をこそ、刻み記して欲しかったと思います。
もっと言えば、親水公園整備の一環として、「聖石」を橋から見えるようにして欲しかったなぁ、とも思います。
そして、高崎の鎌倉街道とともに、「川籠石」「赤石」「聖石」の「烏川三石」を、もう一度「高崎の名所」として復活させたいものです。

悶々とした気持ちはなかなか改まりません。
大震災の前に書いておいたこの記事も、UPするのをためらっていましたが、ある方から、「とにかく我々は通常の生活を行うのが何よりの支援」というメールを頂戴し、それもそうかと、彼の地のことを心に留めつつUPすることに致しました。
前回の鎌倉街道探訪は下佐野まで進み、「川籠石」と「赤石」をご紹介しました。
今日は、その二つの石と合わせて「烏川三石」と呼ばれるもう一つの石、「聖石」(ひじりいし)のお話をしたいと思います。

「聖石町」や「聖石橋」の名前の由来となった「聖石」ですが、今、聖石橋の上からそれを見つけるのは困難な状態です。
←分かるでしょうか?

赤い鳥居と石碑がやっと見えますが、「聖石」そのものを見ることはできません。

上部に空いている丸い穴は、高瀬舟を繋ぎ止めるためのものだそうで、ここが、烏川最上流の河岸だったという証です。
昭和六年(1931)に、それまでの木橋からコンクリートの永久橋に架け替えられた「聖石橋」は片側一車線、車社会の現代では流石に狭いということで、平成十九年(2007)に拡幅されました。

が、残念なことに「聖石」のある側には、「聖石」が描かれていません。
↓

「聖石」が描かれているのは、石とは反対の上流側の方です。
↓

しかも、これが「聖石」という表記はなく、観音様との位置関係も実際とは逆になっています。
これはデザイン画であって案内図ではありませんから、位置関係を云々するのは野暮なんですが、知らない人は橋の上流側に「聖石」を探してしまうかも知れません。

その上流側は、7億2千万円をかけて「高松かわまちづくり」とかいう親水公園の造成中で、川の中には何やら石が並べられています。
いつの間にか、この石が「聖石」ということになりはせぬかと、心配になってしまいます。
「聖石」は、弘法大師が腰かけたので、その名が付いたとされています。
また、昭和六年の「聖石橋」架け替え工事は、昭和恐慌による「失業地獄を救え」というスローガンのもとに、多くの失業者を採用しての工事であったと聞きます。
橋の親柱にはその由緒や歴史をこそ、刻み記して欲しかったと思います。
もっと言えば、親水公園整備の一環として、「聖石」を橋から見えるようにして欲しかったなぁ、とも思います。
そして、高崎の鎌倉街道とともに、「川籠石」「赤石」「聖石」の「烏川三石」を、もう一度「高崎の名所」として復活させたいものです。
【聖石】
