いやー、ほんとに久しぶりの鎌倉街道です。
三寒四温の春ですが、取材した日は三寒の真っただ中でした。
佐野から根小屋へ渡る「一本松橋」の上も、強烈な風が吹き抜けていました。
「一本松橋」は、昭和五十三年(1978)にコンクリート造りの永久橋となりましたが、それまでは毎年のように大水で流されていたそうです。
橋のない時には、渡し舟で川を渡っていたようです。
下佐野出身の郷土史家・高山勇氏が、見事な毛筆画でその様子を残して下さっています。
右端に、「川籠石」というのが描かれていますが、「こうご石」と読みます。
川を渡る場所や水嵩の目安にしたそうで、「川越石」とも書いたようです。
「かわごえ石」が「かわご石」→「こうご石」となったのでしょう。
また、「神籠石」と書くこともあるようです。
「川籠石」の「籠」の字に「籠(こも)る」という意味を感じて、「こう」に「神々(こうごう)しい」の「神」をあて、「神が籠る石」としたものでしょう。
私は、この方が好きです。
「一本松橋」から上流を望むと、
250mほど先に、その「川籠石」が見えます。
昔は、この石の周りを水が渦巻いて流れていたといいます。
また、石が根小屋側へ斜め向きになっているため、大水の時には根小屋側の岸を崩すということで、根小屋と下佐野との間では、江戸時代から争いがあったそうです。
昭和二十五年(1950)頃にも、そのことを理由に根小屋の人が20人ほどで「川籠石」の上部を割り取リ始めたことがあり、それを崖上から見た佐野の区長は、火の見の鐘を鳴らして村人を集めて抗議したということです。(下佐野町史)
今は、下佐野側からも根小屋側からも、「川籠石」の近くまで行ける道は見当たりません。
そのためか土地の人も、川の中に大きな石があることは知っていても、「川籠石」という名前をご存知の方は少なくなっているようです。
「川籠石」というのは地名になっていて、昭和十年(1935)の「佐野全図」の右下に、その小字名が見えます。
そしてその左上には、「赤石」という小字名もあります。
赤石という姓の人も住んでいるのですが、この近くの烏川の中に「赤石」という石があるのです。
←分かるでしょうか?
佐野橋から遥か下流500mほど先に、それらしき石がかろうじて見て取れます。
もっと近くで見られないものかと崖上をうろうろし、やっと河原に下りられる道を見つけて、下流側から撮ったのが右の写真です。→
昔はもっと大きかったようですが、「川籠石」と同じ理由で、根小屋側の人に上部を割り取られてしまったということです。
さて、今回ご紹介した「川籠石」や「赤石」を知らなかったという方でも、
高崎人なら、「聖石」(ひじりいし)はご存知でしょう。
これら「川籠石」「赤石」「聖石」を称して、「烏川三石」とか「烏川の三名石」とか言うのだそうです。
ご存知でしたか?私は、知りませんでした。
次回は、いったん戻って、この「聖石」を見に行くことと致しましょう。
ぼっとすると、「聖石」を見たことがない高崎人もいるんじゃないかな?
三寒四温の春ですが、取材した日は三寒の真っただ中でした。
佐野から根小屋へ渡る「一本松橋」の上も、強烈な風が吹き抜けていました。
「一本松橋」は、昭和五十三年(1978)にコンクリート造りの永久橋となりましたが、それまでは毎年のように大水で流されていたそうです。
橋のない時には、渡し舟で川を渡っていたようです。
下佐野出身の郷土史家・高山勇氏が、見事な毛筆画でその様子を残して下さっています。
右端に、「川籠石」というのが描かれていますが、「こうご石」と読みます。
川を渡る場所や水嵩の目安にしたそうで、「川越石」とも書いたようです。
「かわごえ石」が「かわご石」→「こうご石」となったのでしょう。
また、「神籠石」と書くこともあるようです。
「川籠石」の「籠」の字に「籠(こも)る」という意味を感じて、「こう」に「神々(こうごう)しい」の「神」をあて、「神が籠る石」としたものでしょう。
私は、この方が好きです。
「一本松橋」から上流を望むと、
250mほど先に、その「川籠石」が見えます。
昔は、この石の周りを水が渦巻いて流れていたといいます。
また、石が根小屋側へ斜め向きになっているため、大水の時には根小屋側の岸を崩すということで、根小屋と下佐野との間では、江戸時代から争いがあったそうです。
昭和二十五年(1950)頃にも、そのことを理由に根小屋の人が20人ほどで「川籠石」の上部を割り取リ始めたことがあり、それを崖上から見た佐野の区長は、火の見の鐘を鳴らして村人を集めて抗議したということです。(下佐野町史)
今は、下佐野側からも根小屋側からも、「川籠石」の近くまで行ける道は見当たりません。
そのためか土地の人も、川の中に大きな石があることは知っていても、「川籠石」という名前をご存知の方は少なくなっているようです。
「川籠石」というのは地名になっていて、昭和十年(1935)の「佐野全図」の右下に、その小字名が見えます。
そしてその左上には、「赤石」という小字名もあります。
赤石という姓の人も住んでいるのですが、この近くの烏川の中に「赤石」という石があるのです。
←分かるでしょうか?
佐野橋から遥か下流500mほど先に、それらしき石がかろうじて見て取れます。
もっと近くで見られないものかと崖上をうろうろし、やっと河原に下りられる道を見つけて、下流側から撮ったのが右の写真です。→
昔はもっと大きかったようですが、「川籠石」と同じ理由で、根小屋側の人に上部を割り取られてしまったということです。
さて、今回ご紹介した「川籠石」や「赤石」を知らなかったという方でも、
高崎人なら、「聖石」(ひじりいし)はご存知でしょう。
これら「川籠石」「赤石」「聖石」を称して、「烏川三石」とか「烏川の三名石」とか言うのだそうです。
ご存知でしたか?私は、知りませんでした。
次回は、いったん戻って、この「聖石」を見に行くことと致しましょう。
ぼっとすると、「聖石」を見たことがない高崎人もいるんじゃないかな?
【川籠石・赤石】