2023年02月25日

高崎唱歌散歩-24番 ♪橋を渡れば大橋町・・・

橋を渡れば大橋町
渋川行きの馬車鉄道
長野直江津方面に
飯塚駅のステーション

「住吉町」の北端を流れる「長野堰」は、むかし「大川」と呼ばれており、三国街道に架かる橋は「大橋」と呼ばれていました。
現在、「大橋橋」なんて名前になっちゃってますが・・・。


その「大橋」を町名にしたのが「大橋町」です。
「大橋町」には「中山道鉄道(現・信越線)」の線路を挟んで、南に「飯塚駅(飯塚停車場)」、北に「群馬馬車鉄道株式会社」がありました。


「高崎唱歌」がつくられた明治四十一年(1908)に高崎-渋川間を通っていたのは「鉄道馬車」でした。
過去記事「電車みち」をご覧ください。

「中山道鉄道」「飯塚停車場」は明治十八年(1885)に開業した駅です。

過去記事「高崎唱歌散歩-2番 ♪汽車の線路はたて横に・・・」もご覧ください。

これ、「大橋町」にあるんだから「大橋停車場」となりそうなものですが、停車場ができた当時ここはまだ「飯塚村」で、「大橋町」はできてなかったんです。


明治二十二年(1889)に高崎が町制を施行した時、線路から南の飯塚村高崎町に編入されます。
そしてそこが「大橋町」になるのは明治三十五年(1902)です。

しかし、「大橋町」になってもなお停車場は「飯塚停車場」のまま、大正十二年(1923)に「北高崎駅」となってしまいます。


ヒトとモノの往来が盛んな三国街道と鉄道駅を有する「大橋町」は、次第に人家や商店が増え、周辺の村や町を取り込みながら成長していきました。
現在は、こんな大きな町になっています。


その「大橋町」に、「御殿」と呼ばれる建物があるのを皆さんご存知でしょうか。
次回はそのお話をいたしましょう。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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2023年02月18日

高崎唱歌散歩-23番 ♪北一面を見渡せば・・・

北一面を見渡せば
遙かに聳ゆる榛名山
山と高きをたたくらぶる
高崎中学茲にあり

「室田道」を歩きながら北一面を見渡したんですね。


明治三十五年(1902)に「台町」になる前は「台原」と呼ばれていたくらいですから、今のように建物もなく、遙か榛名山までスカッと見渡せたのでしょう。


「山と高きをたたくらぶる」「たたくらぶる」って何でしょう?
辞書を引いても出てきません。
たぶん「たたえくらぶる」じゃないですかね。
高崎中学の気高さは、榛名山「讃え比べられる」ほどである、という意味なのでしょう。
高崎市民の誇り高き学校だったんですね。

その「高崎中学」=「群馬県立高崎中学校」が開校されたのは明治三十一年(1898)です。
昭和十三年(1938)には上和田から乗附に移転をし、昭和二十三年(1948)「県立高崎高等学校」になりました。
詳しくは過去記事「史跡看板散歩-4 高崎中学校跡」をご覧ください。

では、今回はこの辺で。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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2023年02月11日

高崎唱歌散歩-22番 ♪ここは水道水こし場・・・

ここは水道水こし場
住吉町の西の方
新に名づけし台町は
榛名参りの街道よ

「水こし場」「水濾し場」で、水を濾過する浄水場です。
正式名称は「高崎水道貯水所」という簡易水道の施設でした。


明治二十一年(1888)に完成した簡易水道の水は、高崎中心部の15ヵ町に供給されました。

詳しくは、「高崎唱歌散歩-2番続きの続き ♪水道や・・・」をご覧ください。

簡易水道の恩恵に預かれたのは本町・嘉多町・連雀町・鞘町・田町・中紺屋町・寄合町・白銀町・元紺屋町・九蔵町・新紺屋町・新町・砂賀町・檜物町・椿町の15ヵ町で、高崎43ヵ町の内わずか4割の戸数でしかありませんでした。

「剣崎浄水場」からの本格的な上水道が完成するのは明治四十三年(1910)ですから、「高崎唱歌」がつくられた明治四十一年(1908)には「水こし場」は現役で稼働していた訳です。

「住吉町」の西にある「台町」は明治三十五年(1902)に成立した町で、江戸時代は「赤坂村字台原」と言われていたそうです。


「榛名参りの街道」は、その「台原」の南側に沿った道で、「室田道」と呼ばれていました。


起点は「稲荷横丁」で、下並榎上並榎我峰本郷を経て室田に至り、そこから榛名参りの「榛名道」と、草津の湯を目指す「草津道」とに分かれます。


古い道なので沿道には面白い史跡がいろいろあります。
土屋喜英氏著「高崎漫歩」や、「高崎の散歩道 第八集」に詳しいので、ぜひそれらを携えて散歩をお楽しみくださいませ。

  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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2023年02月04日

高崎唱歌散歩-21番続きの続き ♪北に曲がれば三国道・・・

坂を上りて赤坂町
長松恵徳両寺院
北に曲れば三国道
四ッ谷相生住吉町

坂を上り切った角に、「大津屋」という薬種問屋がありました。

屋号からして、出は近江国の人なんでしょう。

その建物の壁には、「三国道」「中仙道」の文字が書いてあったそうです。

ここが「中山道」から「三国道」(三国街道)への分岐点です。
壁に道しるべを書いたのは、しょっちゅう道を聞かれて面倒だったんでしょうね、きっと。

ところで、その「大津屋」なんですが、創業はいつで、いつ店を閉めたのか、はっきり書いてある資料が見つかりません。

「新編高崎市史 資料編9」に、元禄期(1688~1704)に描かれたらしいと言う「高崎宿・倉賀野宿往還通絵図面」があります。
それで「大津屋」があった所を見ると、「六之助 紺屋」となっています。


ずっと下って、文化十年(1813)の「遠御構筋絵図」で見ると、字が潰れていて読みにくいのですが、「㐂兵衛」(喜兵衛)と読めそうな文字が書いてあるので、この人が滝川喜平のご先祖らしいです。

しかしこの時点ではまだ薬種問屋ではなかったようです。

というのは、20年後の天保二年(1831)「中山道高崎宿往還絵図」に、「百姓 喜平治」となっていますので。


では、いつから薬種問屋になったのか。
万延元年(1860)の「覚法寺絵図」を見ると「滝川」と苗字が付いており、土地も三ヵ所を有しています。

推測ですが、この間に薬種業を始めて財を成したのではないでしょうか。

その「大津屋」当主・滝川喜平についても、あまり詳しいことを書いたものがありません。
明治十八年(1885)発行の「上州高崎繁栄勉強一覧」でも、頭取となるほどの人物なんですけどね。


図書館の司書さんにお手伝い頂いて、ようやく見つけたのがこれです。

右の「帝国信用録」では、瀧川文二郎瀧川喜平という名前があります。
開業年月の欄があるんですが、残念ながら「維新前」としか書かれていません。
左の「人事興信録」を見ると、文二郎は先代の喜平の所に婿に入って、高崎銀行の取締役をしていたようです。
先代が亡くなると喜平の名を継いで「大津屋」を相続し、他にもいろいろな事業の役員を務めていました。
また「妹すゑは東京・・・高木耕治に嫁せり」とありますが、この高木氏が日本橋の「瀧川支店」の主です。

さて、そんな「大津屋」ですが、店を閉めたのはいつ頃なんでしょう。
これも、はっきり書かれたものが見つかりません。

昭和二十八年(1953)に撮影された写真には「大津屋」が写っています。


しかし昭和三十六年(1961)の「住宅案内図」では空地になっていますので、その8年間の間に姿を消してしまったようです。


跡地には、しばらくガソリンスタンドがありましたが、現在は覚法寺の駐車場になっています。


角に道しるべの木柱が一本立っていますが、「中山道」としか書いてありません。

「大津屋」のことを知っている人なら、ここは
「↕中山道 →三国道」とでもしたところなんでしょうが・・・。

さて、「大津屋」でずいぶん長居をしてしまいました。
「三国道」に入るとすぐ「四ッ屋町」です。
「赤坂町」との境界は、高崎城の「遠構え」でした。
現在の「弥助鮨」南側の側溝がその痕跡です。


「高崎散歩」の歌詞では「四ッ谷」になっていますが、この町に住んでいた郷土史家・土屋喜英氏の著書「高崎漫歩」には、こんな記述があります。
四ッ屋を四谷と東京なみに書いたこともあったようで、古い記録には時々四谷が出てくるが、谷があった様子はなく、近くに四阿屋(あずまや)宮と言う祠があり、それから四屋としたか、あるいは創設当時四軒の家でもあったかとも考えられる。
四ッ屋町が本町から独立したのは正徳元年(1711)で、四年には、十八戸の家があったというから四軒の家があったというのもどうかと思う。」
と、まぁ町名の由来はハッキリしないようです。

小さな「四ッ屋町」を過ぎると、「相生町」「住吉町」と続きます。


「相生町」は、宝暦六年(1756)に赤坂村小泉市左衛門という人が家を造り始め、同九年(1759)に高崎城主・大河内輝高「相生町」と命名したのだそうです。
「相生町」には面白い話がいくつかありますので、過去記事でご覧ください。
  ◇史跡看板散歩-10 稲荷横丁

「住吉町」ができたのは明治三年(1870)で、町名は三つの候補を紙に書いて、なんと籤引きで決めたと言います。
落選した二つの町名は「竹川町」「真砂町」だったそうですが、結果的にみると一番佳い町名が選ばれたように思います。

余談ですが、私めの名前も高崎神社で示したいくつかの中から引いて決めたんだと、親父が言ってました。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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