国道406号、室田の「瀧不動尊」を過ぎて少し行った所に、木々に隠れて見過ごしてしまいそうですが、小さな鳥居が建っています。
「丸子稲荷大明神」の鳥居です。
あー、「丸い小山」に祀ったので「丸子稲荷」ですか。
鳥居を潜って石段を16段ほど上るとけっこうな急坂で、ずっと上まで奉納鳥居が建っています。
さらに勾配がきつくなって、古タイヤが石段代わりです。
丸い小山の山頂に着きました。
社殿の中はがらんとした倉庫のようで、大明神様は正面の観音開きの扉の向こうにでもお隠れなんでしょうか。
何となく物足らなくて、「丸子稲荷大明神」を祀ったという樋口家のある菖蒲沢集落へ行ってみようかと、急坂を下りました。
「丸子稲荷大明神」から270mほど行った所が、菖蒲沢集落への入口です。
入口を入るとすぐ、沢を渡ります。
これが「菖蒲沢」なんでしょうか。
沢を覗くと、クレソンはありますが、菖蒲のしょの字もありません。
その代わり、福寿草の群落がありました。
集落への上り坂の途中、右手の高台にお堂が見えました。
行ってみると、樋口家の墓地のようで、庚申塔など古い石造物も建っています。
お堂も、たぶん樋口家が建てたものでしょう。
中に祀られているのは、おそらく「聖観音」だと思いますが、まだ新しそうです。
それに比べ、厨子の方はだいぶ年季が入ってます。
仏像だけ修復したのか、新しくしたのか。
ここで、ふと疑問が湧いてきました。
なんで、ここに「丸子稲荷大明神」を祀らなかったんでしょう。
史跡看板に「集落の入口にあたる丸い小山に祀った」と書いてありましたが、「集落の入口」と言うなら、あそこよりもここじゃないかと思うのです。
樋口秀次郎氏編著「榛名の地名辞典」の「菖蒲沢」には、こんなことが書かれています。
ということで、「旧道」があったようです。
「榛名の地名辞典」の記述と、国土地理院の地図を照らし合わせてみると、「旧道」がどれか見当がつきます。
うーん、「旧道」にしても、「丸子稲荷大明神」が「集落の入口」にあるとは言えません。
ちょっと不思議です。
旧道を探してみました。
地図ではこの道の左に「鳴沢」へ下る旧道があるはずなのですが・・・。
廃棄物が積み上げられてるその先は、竹が生い茂った、身の危険を感じるほどの崖地で、とても入って行ける状態ではありません。
もう廃道になってから久しいのかも知れません。
「鳴沢」へ行ってみましょう。
「菖蒲沢入口」のひとつ高崎寄りが「鳴沢」のバス停です。
このバス停の反対側が「鳴沢」の谷ですが、はるか下でここからは下りられません。
少し高崎側に「瀧不動尊」への降り口がありますので、そちらから行ってみましょう。
ずーっと下って行って、右下へ回り込むと、
ここが、「鳴沢」と「烏川」の合流点です。
「鳴沢」は、沢というには広い川幅で、大きな石がゴロゴロしています。
「榛名の地名辞典」には、「『鳴沢』は、水量の多い沢水が音を立てて流れていたところから起こった沢名でしょう」と書いてあります。
きっと、雨が降ると激流になるのでしょう。
さて、疑問だった「丸子稲荷大明神は集落の入口に祀られた」という問題ですが、思わぬ方との出会いから解決することになります。
車を停めておいた国道406号沿いの自動販売機の所へ戻ると、地元の方らしき人が数人、休憩所にいらっしゃいましたので、お話を伺いました。
すると、「この辺のことなら、あの人がよく知ってるよ。長老だから。」と、擁壁の上から落ちた枝や葉っぱを掃除している人を指さしました。
後で分かったのですが、この方は菖蒲沢にお住いの樋口克明さん82歳、まさに樋口家の長老でした。
いろいろお話を聞かせて頂く内に、「昔は、丸子稲荷の上に旧道があって、そこを通って菖蒲沢へ入ったんだよ。」と仰います。
前回の「旧道」より古い「旧旧道」があったと言うのです。
その「旧旧道」は、追い剥ぎが出るとも言われた道で、菖蒲沢集落へ行くには山の中をぐるーっと回って行かなくてはならず、大変だったそうです。
なるほど、それなら「菖蒲沢集落の入口」という表現も当っているし、ここに「丸子稲荷大明神」を祀って災難除けとしたことも理解できます。
さっぱりしました。
そしてさらに、樋口さんには、もう一つ興味深いお話をお聞きすることができました。
そのお話は、次回ということに。
「丸子稲荷大明神」の鳥居です。
あー、「丸い小山」に祀ったので「丸子稲荷」ですか。
鳥居を潜って石段を16段ほど上るとけっこうな急坂で、ずっと上まで奉納鳥居が建っています。
さらに勾配がきつくなって、古タイヤが石段代わりです。
丸い小山の山頂に着きました。
社殿の中はがらんとした倉庫のようで、大明神様は正面の観音開きの扉の向こうにでもお隠れなんでしょうか。
何となく物足らなくて、「丸子稲荷大明神」を祀ったという樋口家のある菖蒲沢集落へ行ってみようかと、急坂を下りました。
「丸子稲荷大明神」から270mほど行った所が、菖蒲沢集落への入口です。
入口を入るとすぐ、沢を渡ります。
これが「菖蒲沢」なんでしょうか。
沢を覗くと、クレソンはありますが、菖蒲のしょの字もありません。
その代わり、福寿草の群落がありました。
集落への上り坂の途中、右手の高台にお堂が見えました。
行ってみると、樋口家の墓地のようで、庚申塔など古い石造物も建っています。
お堂も、たぶん樋口家が建てたものでしょう。
中に祀られているのは、おそらく「聖観音」だと思いますが、まだ新しそうです。
それに比べ、厨子の方はだいぶ年季が入ってます。
仏像だけ修復したのか、新しくしたのか。
ここで、ふと疑問が湧いてきました。
なんで、ここに「丸子稲荷大明神」を祀らなかったんでしょう。
史跡看板に「集落の入口にあたる丸い小山に祀った」と書いてありましたが、「集落の入口」と言うなら、あそこよりもここじゃないかと思うのです。
樋口秀次郎氏編著「榛名の地名辞典」の「菖蒲沢」には、こんなことが書かれています。
「 | 不動堂からの旧道は現在の鳴沢を渡り、菖蒲沢の部落をぬけて湯殿山、本庄へのびていたわけですが、菖蒲の密生していたのは、鳴沢や鳴沢へ落ちる西からの谷津川のあたりであったかもしれません。」 |
「榛名の地名辞典」の記述と、国土地理院の地図を照らし合わせてみると、「旧道」がどれか見当がつきます。
うーん、「旧道」にしても、「丸子稲荷大明神」が「集落の入口」にあるとは言えません。
ちょっと不思議です。
旧道を探してみました。
地図ではこの道の左に「鳴沢」へ下る旧道があるはずなのですが・・・。
廃棄物が積み上げられてるその先は、竹が生い茂った、身の危険を感じるほどの崖地で、とても入って行ける状態ではありません。
もう廃道になってから久しいのかも知れません。
「鳴沢」へ行ってみましょう。
「菖蒲沢入口」のひとつ高崎寄りが「鳴沢」のバス停です。
このバス停の反対側が「鳴沢」の谷ですが、はるか下でここからは下りられません。
少し高崎側に「瀧不動尊」への降り口がありますので、そちらから行ってみましょう。
ずーっと下って行って、右下へ回り込むと、
ここが、「鳴沢」と「烏川」の合流点です。
「鳴沢」は、沢というには広い川幅で、大きな石がゴロゴロしています。
「榛名の地名辞典」には、「『鳴沢』は、水量の多い沢水が音を立てて流れていたところから起こった沢名でしょう」と書いてあります。
きっと、雨が降ると激流になるのでしょう。
さて、疑問だった「丸子稲荷大明神は集落の入口に祀られた」という問題ですが、思わぬ方との出会いから解決することになります。
車を停めておいた国道406号沿いの自動販売機の所へ戻ると、地元の方らしき人が数人、休憩所にいらっしゃいましたので、お話を伺いました。
すると、「この辺のことなら、あの人がよく知ってるよ。長老だから。」と、擁壁の上から落ちた枝や葉っぱを掃除している人を指さしました。
後で分かったのですが、この方は菖蒲沢にお住いの樋口克明さん82歳、まさに樋口家の長老でした。
いろいろお話を聞かせて頂く内に、「昔は、丸子稲荷の上に旧道があって、そこを通って菖蒲沢へ入ったんだよ。」と仰います。
前回の「旧道」より古い「旧旧道」があったと言うのです。
その「旧旧道」は、追い剥ぎが出るとも言われた道で、菖蒲沢集落へ行くには山の中をぐるーっと回って行かなくてはならず、大変だったそうです。
なるほど、それなら「菖蒲沢集落の入口」という表現も当っているし、ここに「丸子稲荷大明神」を祀って災難除けとしたことも理解できます。
さっぱりしました。
そしてさらに、樋口さんには、もう一つ興味深いお話をお聞きすることができました。
そのお話は、次回ということに。
【丸子稲荷大明神】