このシリーズ第75話「乗附練兵場跡地」に出てきた「城山射撃場」が、「甲子大黒尊」のすぐ近くのはずなので探してみました。
「城山射撃場」の位置をもう一度確認しておきましょう。
その辺りを現在のYahoo!地図で見てみると、特徴ある地形がそのまま残っています。
「甲子大黒尊」への坂入口の道向こうに、細い坂道があります。
坂の上に、学校の門柱のようなものが建っています。
門柱を過ぎて振り返って見ると、「甲子大黒尊」への道につながっているのがよく分かります。
門柱には「當所 氏子中」とあるので、きっと、昔はここを通って「大黒神社」へ行ったのでしょう。
その小道を行くと、Yahoo!地図の「A」地点に出ます。
「A」地点から上り坂を100mほど進んだ「B」地点で、こんなものを見つけました。
「陸軍用地」の表示杭。
おー、よくぞ残ってくれてたものです。
さらに90mほど上って後ろを振り向くと、遥か下に高崎の町が遠望できます。
兵士たちは、重い銃を担いで、えっちらおっちら、ここを上ってきたんでしょうね。
さぞかし大変だったろうと思いきや、意外にそうでもなかったらしくて、「高崎の散歩道 第十一集」には、こんなことが書かれています。
そうか、楽しみだったんだ・・・。
「C」地点から、かつて「射撃場」だったであろう方向を眺めてみます。
そうに見れば、そうに見えなくもないような・・・。
ちょうど畑仕事をされている方がいたので、「射撃場」のことをお聞きしたら、ご存知でした。
「この辺から向こう(西南)の方へ撃ったらしいね。
子どもの頃、よく弾を拾いに行ったよ。」
何か痕跡は残ってないかお聞きすると、
「このずーっと先に杉の木がいっぱい植わってるがね。
そこにこんもりした土手みたいのがあるよ。
そこへ向かって撃ったんみたいだいね。」というお答え。
その杉林を目指して、「D」地点まで行きました。
左へ行くと「国立のぞみの園」、右へ行くと「観音山キャンプパーク・ジョイナス」、その間の細い道を下って杉林の方へ行くと・・・。
たしかに、木立の背後に壁のように立つ崖地がありました。
この崖にめり込んだ弾は、もうみんな取り尽くされたのでしょうか。
それとも、ほじくればまだ出てくるのでしょうか。
もう少し経つと、たぶん「城山射撃場」を知る人もいなくなってしまうでしょう。
貴重な戦争史跡として、せめて看板だけでも建てておきたいものですが・・・。
「城山射撃場」の位置をもう一度確認しておきましょう。
その辺りを現在のYahoo!地図で見てみると、特徴ある地形がそのまま残っています。
「甲子大黒尊」への坂入口の道向こうに、細い坂道があります。
坂の上に、学校の門柱のようなものが建っています。
門柱を過ぎて振り返って見ると、「甲子大黒尊」への道につながっているのがよく分かります。
門柱には「當所 氏子中」とあるので、きっと、昔はここを通って「大黒神社」へ行ったのでしょう。
その小道を行くと、Yahoo!地図の「A」地点に出ます。
「A」地点から上り坂を100mほど進んだ「B」地点で、こんなものを見つけました。
「陸軍用地」の表示杭。
おー、よくぞ残ってくれてたものです。
さらに90mほど上って後ろを振り向くと、遥か下に高崎の町が遠望できます。
兵士たちは、重い銃を担いで、えっちらおっちら、ここを上ってきたんでしょうね。
さぞかし大変だったろうと思いきや、意外にそうでもなかったらしくて、「高崎の散歩道 第十一集」には、こんなことが書かれています。
「 | 高崎の兵営からこの射場に通うには、聖石橋を渡り、落合の村落をぬけ、下乗附を通るのが道筋で、営内の弾薬庫から実包(実弾のこと)を受領した射場勤務員の一隊は、演習部隊より一足さきに、弾薬箱をにない、必要な器材を持って、比較的のんびりした気分で射場に向かったものである。 |
兵営生活から解放された兵士達には、この行進は一つの楽しみであった。 | |
乗附には饅頭を売る店もでき、休憩時には民家を訪れる兵もあって、村人と親しくなり、そこへ聟入りした下士官も幾人かはあった。」 |
そうか、楽しみだったんだ・・・。
「C」地点から、かつて「射撃場」だったであろう方向を眺めてみます。
そうに見れば、そうに見えなくもないような・・・。
ちょうど畑仕事をされている方がいたので、「射撃場」のことをお聞きしたら、ご存知でした。
「この辺から向こう(西南)の方へ撃ったらしいね。
子どもの頃、よく弾を拾いに行ったよ。」
何か痕跡は残ってないかお聞きすると、
「このずーっと先に杉の木がいっぱい植わってるがね。
そこにこんもりした土手みたいのがあるよ。
そこへ向かって撃ったんみたいだいね。」というお答え。
その杉林を目指して、「D」地点まで行きました。
左へ行くと「国立のぞみの園」、右へ行くと「観音山キャンプパーク・ジョイナス」、その間の細い道を下って杉林の方へ行くと・・・。
たしかに、木立の背後に壁のように立つ崖地がありました。
この崖にめり込んだ弾は、もうみんな取り尽くされたのでしょうか。
それとも、ほじくればまだ出てくるのでしょうか。
もう少し経つと、たぶん「城山射撃場」を知る人もいなくなってしまうでしょう。
貴重な戦争史跡として、せめて看板だけでも建てておきたいものですが・・・。
【陸軍用地の標柱】
【城山射撃場の痕跡】