「片岡歴史之碑」から観音山への旧道に入ります。
旧道に入ってすぐ左に見える広ーい敷地は有賀家で、もと「有賀園ゴルフ練習場」のあったところです。
「有賀園ゴルフ練習場」は昭和三十六年(1961)に開設された北関東初の本格的練習場で、埼玉や栃木、長野からも沢山のゴルファーが押し寄せたそうです。
高いゴルフネットがあったのを私も憶えていますが、いつごろ撤去されたのでしょう。
昭和六十年(1985)に下之城町に本店ができたようですから、その頃なのでしょうか。
また、片岡小学校が現在の場所に来たのは昭和二年(1927)で、それまではこの「有賀園ゴルフ練習場」の場所にあったんだそうです。
広い敷地が終わる辺りは少し上り坂になっていて、小さな橋が架かっています。
そこには「新川」という川が流れていて、下流側の土手上をずーっと行って、途中から川と別れてまっすぐ行くと、吉井街道の「小祝(おぼり神社)」のとこに出ます。
橋の上流側には、「寝観音」のお堂が見えます。
「観音道路」からも入れますが、昔の人の気分になって、この土手から行ってみるのもいいんじゃないでしょうか。
橋を渡って道なりに進むと、何やらケバケバしい看板の立ち並ぶY字路に出ます。
通称「羽衣(はごろも)線」と呼ばれる道路ですが、天女連れで休憩する場所が林立しています。
「ああ、それで羽衣線なんだ。」と納得しちゃいけません。
この先、「洞窟観音」から山頂までの坂に「羽衣坂」という名前がついています。
その坂の途中に、「羽衣坂開鑿之碑」というのが建っています。
碑文に、このようにあります。
ということで、前述の「羽衣線」という道路名は、この「羽衣の松」「羽衣坂」がその由縁となっている訳です。
清水寺の裏山には今も立派な松林がありますが、どれが「羽衣の松」なのか、あるいはどこに「羽衣の松」があったのか、何の標記もありません。
「羽衣坂」開鑿のきっかけとなった矢島八郎翁の銅像も、その松林の中から高崎の町を見下ろしています。
高崎と観音山の歴史に大いに関わることとなった「羽衣の松」。
今あらためていずれかの松を選び直し、「この松を『羽衣の松』と命名する!」としてもよいのではないでしょうか。
関係各位のご判断を仰ぎたいものです。
さて次回は再び「羽衣線」のY字路に戻り、清水寺の石段下へと向かいましょう。
旧道に入ってすぐ左に見える広ーい敷地は有賀家で、もと「有賀園ゴルフ練習場」のあったところです。
「有賀園ゴルフ練習場」は昭和三十六年(1961)に開設された北関東初の本格的練習場で、埼玉や栃木、長野からも沢山のゴルファーが押し寄せたそうです。
高いゴルフネットがあったのを私も憶えていますが、いつごろ撤去されたのでしょう。
昭和六十年(1985)に下之城町に本店ができたようですから、その頃なのでしょうか。
また、片岡小学校が現在の場所に来たのは昭和二年(1927)で、それまではこの「有賀園ゴルフ練習場」の場所にあったんだそうです。
広い敷地が終わる辺りは少し上り坂になっていて、小さな橋が架かっています。
そこには「新川」という川が流れていて、下流側の土手上をずーっと行って、途中から川と別れてまっすぐ行くと、吉井街道の「小祝(おぼり神社)」のとこに出ます。
橋の上流側には、「寝観音」のお堂が見えます。
「観音道路」からも入れますが、昔の人の気分になって、この土手から行ってみるのもいいんじゃないでしょうか。
橋を渡って道なりに進むと、何やらケバケバしい看板の立ち並ぶY字路に出ます。
通称「羽衣(はごろも)線」と呼ばれる道路ですが、天女連れで休憩する場所が林立しています。
「ああ、それで羽衣線なんだ。」と納得しちゃいけません。
この先、「洞窟観音」から山頂までの坂に「羽衣坂」という名前がついています。
その坂の途中に、「羽衣坂開鑿之碑」というのが建っています。
碑文に、このようにあります。
「 | 昭和五年庚子年 清水観音山に矢嶋翁の銅像を建設するに際り 片岡の地主等諸氏は便を以つて新たに坂路を開鑿せんとするや 銅像建設に■(與?)る有志諸氏も亦之れに賛し 金を醵して■(貲?)に充て 地主は土地を供するありて五月ユ(工?)を竣り 之れに命して羽衣坂と曰ふ 是れ山上古松の名に取る所以なり |
諸氏皆善と称し乃ち石を樹てゝ梗概を叙し 之れを後に傳ふと云ふ」 |
ということで、前述の「羽衣線」という道路名は、この「羽衣の松」「羽衣坂」がその由縁となっている訳です。
清水寺の裏山には今も立派な松林がありますが、どれが「羽衣の松」なのか、あるいはどこに「羽衣の松」があったのか、何の標記もありません。
「羽衣坂」開鑿のきっかけとなった矢島八郎翁の銅像も、その松林の中から高崎の町を見下ろしています。
高崎と観音山の歴史に大いに関わることとなった「羽衣の松」。
今あらためていずれかの松を選び直し、「この松を『羽衣の松』と命名する!」としてもよいのではないでしょうか。
関係各位のご判断を仰ぎたいものです。
さて次回は再び「羽衣線」のY字路に戻り、清水寺の石段下へと向かいましょう。
【羽衣坂開鑿之碑】
【矢島八郎翁銅像】