2017年05月21日

史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

旧中山道の上佐野町倉賀野町境に架かる「粕沢橋」です。
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

そこから北の方向を見ると、水門の右のこんもりした所に数基の石碑と史跡看板が見えます。
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

史跡看板へは、橋を渡ってから左へぐるーっと回らなければなりませんが、行ってみましょう。
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

適切な挿絵で、補足説明もあるので分かりやすいです。
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

ここも、8年前に記事にしています。→◇粕沢の立場茶屋

「佐野村郷土誌」には、「粕澤ノ池」としてこのように書かれています。
池ハ百年以前ヨリアリテ 池中ニハ鯉ヲ夛ク飼リ 松ハ安藤侯ノ時植エシモノナリト
此所 諸大名ノ江戸ニ参勤交代ノ時休息セシ所ナリト云フ
加州様ハ一年ニ一度ヅゝ立チ寄ラレタリ 加賀ノ立塲(たてば)ナリキ」
原文では「言」偏に「甘」と「心」

史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡また、大きな杉の木が立ち並ぶ物騒な場所でもあったようで、
昔々追剝ゴマノハイナド夛カリシト」
とも書かれています。

高崎五万石騒動で捕えられ高崎城へ護送される大総代二人を奪還しようと、農民たちが待ち伏せたのも「粕沢橋」でした。


「粕沢橋」から140mほど高崎方面へ行った「上佐野第三公民館」の左奥に、「笠守稲荷」がひっそりと祀られています。
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡

8年前を思い出しながらの、「粕沢」でした。


【粕沢の史跡看板】
史跡看板散歩-45 粕沢橋と粕沢立場跡





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この記事へのコメント
懐かし言葉ですね。
護摩の蝿とは、
今なら、オレオレ詐欺かも?
海賊版かな?
Posted by wasada49  at 2017年05月21日 15:54
>wasada49さん

時代劇でしか聞かないですね。
子どもの頃、ずっと「胡麻の蝿」だと思ってましたが、「護摩の灰」だそうですね。
「ごまかす」も「胡麻のカス」だと思ってました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年05月21日 20:50
史跡看板№55の太鼓橋は享和3年「石橋「」にかけ替えとなっているが、橋の写真の前澤氏のコメントは享和2年になっている、一方№45の「粕沢橋と粕沢の立場跡」では太鼓橋とともに享和3年にかけ替えられたとあるが、こちらについては太田南畝の壬戌紀行(享和2年4月)の倉賀野に向かうくだりに、「石橋を渡りて勝沢の立場なり」とあるので勝沢は粕沢の言い換えとすると、どちらの橋も享和2年架け替えが正しいのではないでしょうか
Posted by naganoseki西山  at 2024年12月12日 14:16
>西山様

コメントありがとうございました。
いつもながら鋭いですねぇ。
この喰い違いには全く気が付きませんでした。
粕沢の史跡看板の享和三年の出展が明示されてないので分かりませんが、仰る通り、享和ニ年が正しいかも知れませんね。
教えて頂き、ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2024年12月12日 16:31
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