旧中山道の上佐野町と倉賀野町境に架かる「粕沢橋」です。
そこから北の方向を見ると、水門の右のこんもりした所に数基の石碑と史跡看板が見えます。
史跡看板へは、橋を渡ってから左へぐるーっと回らなければなりませんが、行ってみましょう。
適切な挿絵で、補足説明もあるので分かりやすいです。
ここも、8年前に記事にしています。→◇粕沢の立場茶屋
「佐野村郷土誌」には、「粕澤ノ池」としてこのように書かれています。
また、大きな杉の木が立ち並ぶ物騒な場所でもあったようで、
とも書かれています。
高崎五万石騒動で捕えられ高崎城へ護送される大総代二人を奪還しようと、農民たちが待ち伏せたのも「粕沢橋」でした。
「粕沢橋」から140mほど高崎方面へ行った「上佐野第三公民館」の左奥に、「笠守稲荷」がひっそりと祀られています。
8年前を思い出しながらの、「粕沢」でした。
そこから北の方向を見ると、水門の右のこんもりした所に数基の石碑と史跡看板が見えます。
史跡看板へは、橋を渡ってから左へぐるーっと回らなければなりませんが、行ってみましょう。
適切な挿絵で、補足説明もあるので分かりやすいです。
ここも、8年前に記事にしています。→◇粕沢の立場茶屋
「佐野村郷土誌」には、「粕澤ノ池」としてこのように書かれています。
「 | 池ハ百年以前ヨリアリテ 池中ニハ鯉ヲ夛ク飼リ 松ハ安藤侯ノ時植エシモノナリト |
此所 諸大名ノ江戸ニ参勤交代ノ時休息※セシ所ナリト云フ 加州様ハ一年ニ一度ヅゝ立チ寄ラレタリ 加賀ノ立塲(たてば)ナリキ」 |
※ | 原文では「言」偏に「甘」と「心」 |

「 | 昔々追剝ゴマノハイナド夛カリシト」 |
高崎五万石騒動で捕えられ高崎城へ護送される大総代二人を奪還しようと、農民たちが待ち伏せたのも「粕沢橋」でした。
「粕沢橋」から140mほど高崎方面へ行った「上佐野第三公民館」の左奥に、「笠守稲荷」がひっそりと祀られています。
→ ◇粕沢の笠守稲荷
8年前を思い出しながらの、「粕沢」でした。
【粕沢の史跡看板】