2024年12月25日

隠居の控帳 バターの話・巡礼の話

「ボブという名の猫」という映画を見た。


ストリート・ミュージシャンのホームレス青年が、一匹の野良猫と出会い、困難を乗り越えていく奇跡を綴った実話。

クリスマスの日、青年は猫の餌を買いに、行きつけのコンビニエンスストアへ行く。
その日は店主の息子の命日だった。
青年は「メリークリスマス」と言わず、「僕は仏教の考え方やカルマを信じている」と言う。
すると店主は、「あー、カルマか」と言ってこんな話を始める。

あるところに農民がいて、商店主から毎月1キロのバターを注文された。
引き換えに商店主が払うのは、小麦粉と豆そして1キロの砂糖。
ある日、商店主がバターを量ると900gしかなくて、商店主は激怒した。
「警察に突き出すぞ!」
農民は言った。
「自分は貧しくて、はかりを買えない。だから1キロのもの(商店主が払った砂糖)で量った」
いい行いは報われる。ズルすると・・・(バターが減る)」

また、不運なことが続き落ち込む青年に、店主は「現実を受け入れるしかない」と言い、「どうやって?」と問う青年に、こんな話をする。

三人の巡礼が聖地を目指した。
三人とも悲しみを抱え平和と新しい道を求めてた。
三人とも、袋を2つ背中と前にぶら下げてた。
一人目は背中の袋に人生のいいことを入れた。希望や感謝だ。
前の袋には悪いことを詰めた。悲しみ、罪、悪い思い出。
それが起きた意味を考えるためだが、それは無意味だった。
そのせいで前に進めなかった。
男は旅をやめた。

二人目の男は、いいことを前の袋に入れ、人にも見せた。
背中には悪いこと。すごく重かった。
足が進まず、この男も旅をやめた。

三人目もいいことを前の袋に入れた。
でも、ある考えがひらめいた。おかげでどんどん歩けた。
背中の袋に悪いことを入れ、袋に穴をあけたんだ。
悪いことを道に落としていった。
聖地にちゃんと到着した。

なるほど。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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2024年12月21日

米寿観音と群馬独立

去る11月27日、群馬音楽センターで「高崎白衣大観音 米寿記念シンポジウム」というのが開催されました。


12月に入ってから、新聞各紙にその様子が掲載されました。


私も聴講しに行ってたんですが、正直、ちょっと期待外れでした。
いや、丁野朗氏の基調講演は、なかなか素晴らしいものでしたよ。
ですが、その後のパネルディスカッションが物足らなかった。
地元パネラーの視野があまりにもスポット的だな、と感じました。

白衣大観音をどうにかしたいと思ったら、それを取り巻く参道商店街清水寺染料植物園など、観音山全体をどうにかしなければという視点が必要だと思います。
さらに、観音山全体をどうにかしたいと思ったら、高崎全体をどうにかしないといけないでしょう。
それも、歴史という時間軸を意識して。

丁野氏の指摘は、そのことを言っているのでしょう。
観光は地域の『物語』を消費すること。
地域固有の地形や地勢、歴史、文化など多様な資源を物語りでつなぎ伝える。
そのための仕組みや人材育成が必要。」

なーんて思っていた時、こんな本に出会いました。


題名が面白い。
「群馬が独立国になったってよ
中身はもっと面白い。
奇想天外、痛快無比!
深謀遠慮、気宇壮大!
ユーモラスな筆致で、現代日本の問題点とその処方箋が示唆されています。
たぶん著者は普段から、それらについて深く考えているのだろうな、と思わされます。

その処方箋は、白衣大観音についても、観音山についても、音楽センターについても、高崎の町についても有効なものだと考えます。

僭越ながら、ぜひとも、みなさんに読んで頂きたい一冊として、ご紹介申し上げました。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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