2012年12月12日

小さな高崎展 in 高崎図書館(1)

小さな高崎展 in 高崎図書館(1)高崎中央図書館の片隅で、「高崎の絵葉書&パンフレット」展が行われています。

図書館の未整理資料だということで、普段目にすることのない珍しいものがありました。
お願いして、写真に撮らせて頂きました。

小さな高崎展 in 高崎図書館(1) その中の一つに、高崎市街地の航空写真絵葉書があります。

写真そのものは写真集などで見たことがあるのですが、絵葉書は初めて見ました。

封筒に書かれている、「高崎航空普及会」とか、「高崎号」という名前をご存知の方は、少ないかも知れません。

今でこそ、全国にたくさんの地方飛行場がありますが、高崎がその先駆者だったということも、あまり知られていません。
高崎商工会議所の総会で、「交通の要衝である高崎に飛行場を設置し、定期航空路をも開設したい。」という要望を可決したのは、昭和七年(1932)のことです。

来る航空時代を予測してのことですが、今聞いても、ホラ話か夢物語の類に聞こえます。
でも、当時の高崎の経済人は本気でした。
実にしたたかに、そしてスピーディに事を進めていきます。

昭和八年(1933)には、早くも「飛行場設置調査委員会」が組織されます。
委員長は、当時すでに洞窟観音の建設を進めていた、山田徳蔵氏48歳です。

飛行場の設置目的を、「国防ならびに産業上の見地から、パイロットの養成などを図る。」として、軍部に飛行機の払い下げを交渉するとともに、乗附町にあった練兵場を飛行場として借り受けます。
一方、市民の航空思想啓蒙を図って賛同と協力を得るために、高崎市長・土屋全次氏を会長として、「高崎航空普及会」を設立します。

その年の11月14日には、立川飛行場から山田徳蔵氏を同乗させた一機の複葉飛行機が、高崎市上空を旋回して5万枚のビラを撒き、高崎飛行場に着陸します。
同18日には、浜松飛行場からもう一機がやってきます。
11月19,20日といえば、昭和四年(1929)から始まった高崎名物「ゑびす講」ですが、二機の飛行機は終日祝賀宣伝飛行を行ったということです。

二機の飛行機には、「第一高崎号」「第二高崎号」という名前が付けられ、その命名式には数千人の観衆が集まったといいます。
その時の、高崎商工会議所会頭・山田昌吉氏の祝辞です。
地方市街地にして飛行場を有し、飛行機を所有し、以て航空界に貢献せるもの全国にその類を聞かず。(略)
将来本市が航空都市として産業交通上、国防上枢要なる地位を占める。」

そうやって夢を実現させてしまった訳ですが、それに留まらないのが、当時の高崎経済人のしたたかなところです。
ちゃっかりと、高崎市上空の観光遊覧飛行ビジネスもやってのけています。

また、昭和十年(1935)の大水害には、いち早く「高崎号」を飛ばし、空からの被害状況調査、救援活動にあたるなど、幅広い活躍をしています。

戦争が勃発せず、そのまま民間航空事業として続いていたら、高崎はどのような町になっていたのでしょうか。

あれ?
たった2枚の絵ハガキだけで、こんなに長っ話をしてしまいました。
続きは、また次回にいたしますが、どうぞ皆様も高崎中央図書館へ行って、展示をご覧になって下さい。
他にも、いろいろ興味深い資料が展示されていますよ。
12月27日までです。

(参考図書:「新編高崎市史」)





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Posted by 迷道院高崎 at 09:08
Comments(4)◆高崎雑感
この記事へのコメント
高崎に飛行場とは、進んでいましたね。

複葉飛行機は、離着陸距離が短く
エンジン出力も小さく
騒音も少なく群馬では最適ですね

農場用複葉飛行機使用している機体なら
積載能力もあり観光、羽田、成田
などへの定期便も可能でしょうが
競馬場跡でも可能でしたね。
もっとも平成の合併で高崎市も広くなりましたから
休耕田でも飛行場は夢ではありません。
今の経済人では、Y電機、Bグループなどでも5年後は判りませんからね
Posted by wasada49  at 2012年12月15日 07:33
>wasada49さん

あの時代に、ずいぶんでっかいことを考えたもんですよね。
何かと何かを結びつけて、「これはいけるぞ!」と考える直観力が強かったんでしょうね。
それと、当時の経済人同士のノリの良さを感じます。

地域の発展と、自分の商店・会社の発展を同列に考えているところが、今と違うのかな?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年12月15日 09:16
今日展示を拝見して来ました。
進取の気風というか新し物好きの上州人気質が現れていて興味深いです。


飛行場と言えば堤ヶ岡の飛行場(名前は前橋飛行場ですが)を真っ先に思いつきますが、それ以前に乗附町にあったとは初めて知りました。
山が迫っている地域なので離着陸は大変難しかったのではないかと思います。もし後世に近代空港に発展した場合、玉村の烏川河川敷辺りに移転することになったのでしょうね。
Posted by ふれあい街歩き  at 2012年12月15日 18:03
>ふれあい街歩きさん

そうですか、おいでになりましたか。

ほんとに、いい意味での上州人気質ですよね。
ひとつ現代の上州人にも欲しいのが、使えるものなら何でも使っちゃおうという、したたかさですかね。
軍だろうが、市長だろうが、知ったこっちゃないって感じで(^_^)

そういえば、ヘリポートは高崎の八千代町と玉村にありますね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年12月15日 20:53
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    コメント(4)