八幡の八幡様に向かって参道を進むと、道端に小さな道しるべが建っています。
「向右けんざき道」と刻んでありますが、方向が逆です。
きっとどこかにあったものを、道路改修の時にでもここに移したのでしょう。
豊岡の道しるべもそうでしたが、いつかは元あった場所に戻してほしいものです。
道の反対側が、あの大カシノキです。
カシノキのすぐ左、美容室COSTAの横道を入ります。
80mほど歩くと、明和元年(1764)の道祖神などが、道の角に建ち並んでいました。
やはり、この道が昔からの道であるということでしょう。
さらに80mほど行っただるま屋さん(堀口だるま店)の作業場の中には、製作途中のだるまさん。
目が・・・ちょっとこわい。
そのちょっと先に、「八幡町第二区西公民館」があるのですが、道に面して、無縫塔や石堂が並んでいます。
屋根のとれた石堂には木柱が刺さっており、「観音堂(三・・・」という文字が読めます。
木柱を引き抜いて見ると、「観音堂(三和尚地・・・」とあり、もっと下に文字があったようですが、朽ち欠けていて分かりません。
ここに、かつて「観音堂」があったということなのでしょう。
「三和尚」というのが気になって調べてみました。
八幡の八幡宮には別当寺の大聖護国寺と、今はありませんが五つの僧房があったのだそうです。
その僧房のことを「和尚(わじょう)」と呼び、「三和尚」はそのひとつで、「さんわじょう」と読むのだそうです。
なぜか「一和尚」はなく、「二和尚」「三和尚」「四和尚」「五和尚」「六和尚」の五つだったようです。
その多くは八幡の台地の上にあり、行き来するための坂道が現在も残っています。
「八幡町第二区西公民館」前の細道に入り、突き当りを右に曲がったらすぐ左に入ります。
こりゃ、民家の敷地じゃないかい?という所を構わず入って行くと・・・
ちょっと行きたくないなぁと思わせる、竹やぶの暗いトンネルが見えます。
これが、「三和尚坂」です。
入っていく意気地もなく、引き返してきちゃいました。
さっき通ってきた明和元年(1764)の道祖神の所を入った奥が、「二和尚坂」でした。↓
この坂は現在も使われているようで、
整備された階段になっています。→
←さらに八幡様の仁王門まで戻って、左に上っていく坂が「五和尚坂」です。
反対に、仁王門の右を上っていく坂は「えんま堂坂」といいます。→
←「えんま堂坂」を上りきったところにあるのが別当寺の「大聖護国寺」で、その山門前の長い石段が「六和尚坂」です。
ふぅー、すっかり後戻りしちゃいました。
再び、「三和尚坂」のところの「八幡町第二区西公民館」まで歩くと、そのすぐ先は信越線の踏切です。
踏切を渡らずに右へ行けば、「堂坂」を経て台地に上がり、板鼻の「毘沙門坂」へ至ります。
これも鎌倉街道だと言われています。
←踏切を渡ってすぐ右へ入る田んぼ中のバラス道、おそらくこれが板鼻に向かう鎌倉街道の名残だと思います。
踏切からおよそ320m、ここが板鼻との境です。→
記念にズックの底で線を引いてきましたが、子どもっぽかったでしょうか。
やれやれ、昨年の12月からスタートした続・鎌倉街道探訪記も、やっと高崎の西端に到達いたしました。
ということで、このシリーズは今回で筆を擱(お)くことに致します。
長らくこのシリーズにお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。
次回からは、帰る道すがら、気になる道草をつまみ食いしていこうかと思います。
引き続きお付き合いのほど、お願い申し上げます。
迷道院高崎 拝
「向右けんざき道」と刻んでありますが、方向が逆です。
きっとどこかにあったものを、道路改修の時にでもここに移したのでしょう。
豊岡の道しるべもそうでしたが、いつかは元あった場所に戻してほしいものです。
道の反対側が、あの大カシノキです。
カシノキのすぐ左、美容室COSTAの横道を入ります。
80mほど歩くと、明和元年(1764)の道祖神などが、道の角に建ち並んでいました。
やはり、この道が昔からの道であるということでしょう。
さらに80mほど行っただるま屋さん(堀口だるま店)の作業場の中には、製作途中のだるまさん。
目が・・・ちょっとこわい。
そのちょっと先に、「八幡町第二区西公民館」があるのですが、道に面して、無縫塔や石堂が並んでいます。
屋根のとれた石堂には木柱が刺さっており、「観音堂(三・・・」という文字が読めます。
木柱を引き抜いて見ると、「観音堂(三和尚地・・・」とあり、もっと下に文字があったようですが、朽ち欠けていて分かりません。
ここに、かつて「観音堂」があったということなのでしょう。
「三和尚」というのが気になって調べてみました。
(参考図書:「歴史の道調査報告書 鎌倉街道」「私たちの八幡」)
八幡の八幡宮には別当寺の大聖護国寺と、今はありませんが五つの僧房があったのだそうです。
その僧房のことを「和尚(わじょう)」と呼び、「三和尚」はそのひとつで、「さんわじょう」と読むのだそうです。
なぜか「一和尚」はなく、「二和尚」「三和尚」「四和尚」「五和尚」「六和尚」の五つだったようです。
その多くは八幡の台地の上にあり、行き来するための坂道が現在も残っています。
「八幡町第二区西公民館」前の細道に入り、突き当りを右に曲がったらすぐ左に入ります。
こりゃ、民家の敷地じゃないかい?という所を構わず入って行くと・・・
ちょっと行きたくないなぁと思わせる、竹やぶの暗いトンネルが見えます。
これが、「三和尚坂」です。
入っていく意気地もなく、引き返してきちゃいました。
さっき通ってきた明和元年(1764)の道祖神の所を入った奥が、「二和尚坂」でした。↓
この坂は現在も使われているようで、
整備された階段になっています。→
←さらに八幡様の仁王門まで戻って、左に上っていく坂が「五和尚坂」です。
反対に、仁王門の右を上っていく坂は「えんま堂坂」といいます。→
←「えんま堂坂」を上りきったところにあるのが別当寺の「大聖護国寺」で、その山門前の長い石段が「六和尚坂」です。
ふぅー、すっかり後戻りしちゃいました。
再び、「三和尚坂」のところの「八幡町第二区西公民館」まで歩くと、そのすぐ先は信越線の踏切です。
踏切を渡らずに右へ行けば、「堂坂」を経て台地に上がり、板鼻の「毘沙門坂」へ至ります。
これも鎌倉街道だと言われています。
←踏切を渡ってすぐ右へ入る田んぼ中のバラス道、おそらくこれが板鼻に向かう鎌倉街道の名残だと思います。
踏切からおよそ320m、ここが板鼻との境です。→
記念にズックの底で線を引いてきましたが、子どもっぽかったでしょうか。
やれやれ、昨年の12月からスタートした続・鎌倉街道探訪記も、やっと高崎の西端に到達いたしました。
ということで、このシリーズは今回で筆を擱(お)くことに致します。
長らくこのシリーズにお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。
次回からは、帰る道すがら、気になる道草をつまみ食いしていこうかと思います。
引き続きお付き合いのほど、お願い申し上げます。
迷道院高崎 拝
【今日の散歩道】