2012年09月02日

続・鎌倉街道探訪記(24)

さて、出直すことにしましたが、どこからにしましょう?

考えてみれば、鎌倉街道を旅する人がここまで来て、上野国一社八幡様に参詣せずに行くなんてことは、あり得ません。
当然、八幡様を目指して歩いて行ったに違いありません。
ということで、下図の●●●のコースを設定してみました。
●●●は、きっと昔はあったんじゃないかと推定してみた道です。)

続・鎌倉街道探訪記(24)

続・鎌倉街道探訪記(24)信越線の踏切を渡ると、道は右に大きくカーブしますが、その角から斜め左に入る道があります。

続・鎌倉街道探訪記(24)




その角に、「中仙道及少林山通」と刻まれた石柱が建っています。

今では当然の中山道少林山へ行く道に、わざわざこの石柱を建てたのは、おそらく、群馬八幡駅ができ、新しい道ができた直後のことでしょう。

ということは、それまでこの斜めに入る道が主要道路であったということを、物語っているように思います。

続・鎌倉街道探訪記(24)石柱が建っているところのお宅の外壁に、素敵なものが飾ってありました。

屋根瓦のような材質で作られた干支の陶塑が、ずらーっと並んでいます。

散歩人には嬉しいおもてなしです。

続・鎌倉街道探訪記(24)その隣には古びたお社があって、「開運大黒天」と書いてあります。

開運をお願いしたかったのですが、柵が閉まっていて中に入れません。

大黒様がいらっしゃるのかどうかも、ちょっぴり気になるお社でした。

続・鎌倉街道探訪記(24)お社の後ろを流れる板鼻堰に沿って、左に曲がります。

角の公園では、その日、夏祭りが行われていました。

続・鎌倉街道探訪記(24)

150mほど歩くと、30本近い松の木を、水路に張り出すように枝をを仕立てているお宅があります。

あと数年もしたら、きっとこの辺の名所になることでしょう。
続・鎌倉街道探訪記(24)すぐ近くの「八幡町第二区東公民館」には、石祠やさまざまな石造物が並んでいます。

昔ここにお堂でもあったのかも知れませんし、この道が主要道であったということでもあるでしょう。

続・鎌倉街道探訪記(24)ちょっぴり残念なのは、250年も前の宝暦十二年(1762)の道祖神の文字面が、町内の掲示板に隠れて見えなくなってしまっていることです。

少し掲示板を移動してもらえたらなぁ、と思います。

続・鎌倉街道探訪記(24)また100mほど歩くと、水路の向こう側にお地蔵様やら石仏やらが、ずらーっと整列してこちらを見ています。

続・鎌倉街道探訪記(24)


その中に、明治二十三年(1890)の比較的新しい道祖神もあります。
水路改修の時にでも、あちこちから集まってきたのでしょうか。

続・鎌倉街道探訪記(24)
こちらはその仲間に入れなかったのか、ブロック塀の間に窮屈そうにしている石祠です。

そんなこんなを楽しみながら歩いている内に、八幡八幡宮の参道に出て参りました。

続・鎌倉街道探訪記(24)


道の向こうに板鼻堰の水路が見えますが、行き止まりなのは確認済みで、ここから八幡様に向かって歩きます。

では、また次回。





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Posted by 迷道院高崎 at 06:52
Comments(6)…続・鎌倉街道
この記事へのコメント
この高さの干支の陶塑は初めて拝見致しました

人間、6?歳の爺さんに成ると毎日が新鮮です
Posted by wasada49+  at 2012年09月02日 17:43
>wasada49+さん

コメント、ありがとうございます!

毎日が新鮮というのはいいですね。
たしかに、若い頃経験したことも想像したこともないような世の中になってますけど。

ただ、変わって欲しくないことまで、変わってしまったような気もして・・・。
散歩の中で、昔を懐かしんでいるばかりです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年09月02日 19:49
同じ道を何度か歩いたことがあります!
・・・が、石柱や屋根瓦のような陶塑は
気付きませんでしたねぇ。
“開かずのお社”も気になり、水路に盆栽の
ような松の枝が張り出した家も撮った記憶が
あります。
「八幡町第二区東公民館」前の道祖神のことを
お知らせしたいと思っていましたが、歩いて頂
いたようでよかったです。
あまりの暑さに散歩もできませんでしたが、また
八幡宮あたりを歩いてみたくなりました^^。
Posted by 風子風子  at 2012年09月03日 19:43
>風子さん

あ、やはり大黒天のお社と水路の松は気になりましたか。
東公民館の道祖神も・・・、ねぇー。

次回で、板鼻との境まで到達しちゃいそうです。
その先は、風子さんにバトンタッチいたしますので、よろしくお願いしますね(^_^)
え?・・・勝手が過ぎる?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年09月03日 20:10
えーっ、バトンタッチですか!
そ、それは…私のような無知蒙昧の者には
無理というもので(^^ゞ
博物館の方も、昔の道は現代の道が被って
しまい、特定しにくいと言っていましたが、
遺跡や住居跡と違って、たしかに道路は探すのが
難しいようですね。
Posted by 風子風子  at 2012年09月06日 20:28
>風子さん

ハハハ、勝手にバトンタッチされたって困っちゃいますよね(^_^)
スミマセン、スミマセン。
今まで通り、お散歩の中で鎌倉街道に関係することがありましたら、
ご紹介頂ければ。

学術的に古い道を実証するのは難しいんでしょうね。
中山道の看板はあっても、鎌倉街道の看板がないのはそういうこと
なんでしょうが、「伝承の道」とか「伝説の道」とかという形ででも、
看板を立てたらいいと思うんですが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年09月07日 08:30
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