さて、出直すことにしましたが、どこからにしましょう?
考えてみれば、鎌倉街道を旅する人がここまで来て、上野国一社の八幡様に参詣せずに行くなんてことは、あり得ません。
当然、八幡様を目指して歩いて行ったに違いありません。
ということで、下図の●●●のコースを設定してみました。
(●●●は、きっと昔はあったんじゃないかと推定してみた道です。)
信越線の踏切を渡ると、道は右に大きくカーブしますが、その角から斜め左に入る道があります。
その角に、「中仙道及少林山通」と刻まれた石柱が建っています。
今では当然の中山道と少林山へ行く道に、わざわざこの石柱を建てたのは、おそらく、群馬八幡駅ができ、新しい道ができた直後のことでしょう。
ということは、それまでこの斜めに入る道が主要道路であったということを、物語っているように思います。
石柱が建っているところのお宅の外壁に、素敵なものが飾ってありました。
屋根瓦のような材質で作られた干支の陶塑が、ずらーっと並んでいます。
散歩人には嬉しいおもてなしです。
その隣には古びたお社があって、「開運大黒天」と書いてあります。
開運をお願いしたかったのですが、柵が閉まっていて中に入れません。
大黒様がいらっしゃるのかどうかも、ちょっぴり気になるお社でした。
お社の後ろを流れる板鼻堰に沿って、左に曲がります。
角の公園では、その日、夏祭りが行われていました。

150mほど歩くと、30本近い松の木を、水路に張り出すように枝をを仕立てているお宅があります。
あと数年もしたら、きっとこの辺の名所になることでしょう。
すぐ近くの「八幡町第二区東公民館」には、石祠やさまざまな石造物が並んでいます。
昔ここにお堂でもあったのかも知れませんし、この道が主要道であったということでもあるでしょう。
ちょっぴり残念なのは、250年も前の宝暦十二年(1762)の道祖神の文字面が、町内の掲示板に隠れて見えなくなってしまっていることです。
少し掲示板を移動してもらえたらなぁ、と思います。
また100mほど歩くと、水路の向こう側にお地蔵様やら石仏やらが、ずらーっと整列してこちらを見ています。

その中に、明治二十三年(1890)の比較的新しい道祖神もあります。
水路改修の時にでも、あちこちから集まってきたのでしょうか。
こちらはその仲間に入れなかったのか、ブロック塀の間に窮屈そうにしている石祠です。
そんなこんなを楽しみながら歩いている内に、八幡八幡宮の参道に出て参りました。

道の向こうに板鼻堰の水路が見えますが、行き止まりなのは確認済みで、ここから八幡様に向かって歩きます。
では、また次回。
考えてみれば、鎌倉街道を旅する人がここまで来て、上野国一社の八幡様に参詣せずに行くなんてことは、あり得ません。
当然、八幡様を目指して歩いて行ったに違いありません。
ということで、下図の●●●のコースを設定してみました。
(●●●は、きっと昔はあったんじゃないかと推定してみた道です。)

その角に、「中仙道及少林山通」と刻まれた石柱が建っています。
今では当然の中山道と少林山へ行く道に、わざわざこの石柱を建てたのは、おそらく、群馬八幡駅ができ、新しい道ができた直後のことでしょう。
ということは、それまでこの斜めに入る道が主要道路であったということを、物語っているように思います。

屋根瓦のような材質で作られた干支の陶塑が、ずらーっと並んでいます。
散歩人には嬉しいおもてなしです。

開運をお願いしたかったのですが、柵が閉まっていて中に入れません。
大黒様がいらっしゃるのかどうかも、ちょっぴり気になるお社でした。

角の公園では、その日、夏祭りが行われていました。

150mほど歩くと、30本近い松の木を、水路に張り出すように枝をを仕立てているお宅があります。
あと数年もしたら、きっとこの辺の名所になることでしょう。

昔ここにお堂でもあったのかも知れませんし、この道が主要道であったということでもあるでしょう。

少し掲示板を移動してもらえたらなぁ、と思います。


その中に、明治二十三年(1890)の比較的新しい道祖神もあります。
水路改修の時にでも、あちこちから集まってきたのでしょうか。
こちらはその仲間に入れなかったのか、ブロック塀の間に窮屈そうにしている石祠です。
そんなこんなを楽しみながら歩いている内に、八幡八幡宮の参道に出て参りました。

道の向こうに板鼻堰の水路が見えますが、行き止まりなのは確認済みで、ここから八幡様に向かって歩きます。
では、また次回。