上豊岡の信号から、旧中山道を東へ180mほど行くと、「金ヶ崎(かねがさき)不動尊」があります。
ただ、通りに背を向けているので、でもってあまりにも地味なので、おまけに看板があまりにも高いところにあるので、街道歩きの人も見過ごしてしまうのではないかと心配になります。
その高い看板には、温泉地でもないのに「湯関町内会」と書かれています。
前に回ってみても、やっぱり地味なお社で、額の文字も、だいぶ薄くなってきています。

失礼して扉の穴から中を覗くと、立派なお不動様がおわしました。
「動かざる」ゆえに「不動尊」である訳ですが、このお不動様は動いてこの地に来ちゃったんだそうです。
どこからやって来たかというと、碓氷川の対岸、大字乗附字「金ヶ崎」からです。
そこは、「上豊岡の茶屋本陣」で有名な飯野家のちょうど鬼門にあたり、方位除けとして祀ったのが「金ヶ崎不動尊」でした。
過去記事「藤塚の洪水碑」でご紹介した明治四十三年(1910)の大洪水があった時、「金ヶ崎不動尊」は崩れた崖もろとも碓氷川に押し出され、対岸の中豊岡村字「前村」の岸に流れ着いたのです。
「前村」の人々はお不動様が流れてきたことにびっくりし、近くの宗伝寺に預けて長年祀っていましたが、その後、飯野家の土地である現在地・字「関口」にお堂を建てて祀ったのだそうです。
字図を見ると、「関口」の東隣りに「湯澤」という字があります。
不動尊の所にある高い看板に「湯関」とあるのは、おそらくこの2つの字が合併したものなのでしょう。
ところで、この「金ヶ崎不動尊」には後日談があって、「高崎の散歩道 第十集」に、こんな記述があります。
詳しい場所は書かれていません。
しかし、これは気になります。
ところが実は、念ずれば通ずとはこのことかと思うようなことが最近起こりました。
別件の取材で、片岡町にある西部土地改良区の事務所を訪ねた時、そこに、ちょうど乗附町で昔から農家をしているというYさんが来てらっしゃいました。
何気なく乗附幾松さんと一郎さんの話しをしたところ、一郎さんは健在で家にいるはずだと言って、お家まで案内して下さったのです。
お会いした一郎さんは、御年80歳を過ぎているようにお見かけしましたが、間違いなく「高崎の散歩道」に出てくる一郎さんで、「金ヶ崎不動尊」の石碑もちゃんと残っているというので、その場所を教えて頂くことができました。
高崎市清掃管理事務所から観音山ゴルフ倶楽部へ向かう坂道を100mほど上った道端、山茶花の茂みの中に隠れるように、ひっそりとそれはありました。
正面には、はっきりと「金ヶ崎不動尊」、裏面には、「昭和三十年(1955)正月七日建立」と刻まれています。
ここ一帯の土地は、昭和二十二年(1947)の農地解放で、飯野家から乗附家に所有が移りました。
そんなことから、飯野家に敬意を表し、元「金ヶ崎不動尊」の祀られていた場所に、碑を建てることにしたのでしょう。
乗附一郎さんのお話しでは、祖父の彦太郎さんが碓氷川の河原から、碑にする石を担いで家まで運んできたそうです。
その石に「金ヶ崎不動尊」と刻み、父・幾松さんと一郎さんで台車に積んで、牛に引かせて運んだということです。
当時は今の道路はなく、急な上り坂を牛は前膝をついて這うようにして上ったといいます。
「湯関」の「金ヶ崎不動尊」から、「金ヶ崎」の「金ヶ崎不動尊碑」へ行くには、過去記事にも書いた碓氷川の木橋「中乗橋」を渡ればすぐです。
お近くにお出かけの節は、ぜひとも2つの「金ヶ崎不動尊」を訪ねてみて下さい。

その高い看板には、温泉地でもないのに「湯関町内会」と書かれています。



「動かざる」ゆえに「不動尊」である訳ですが、このお不動様は動いてこの地に来ちゃったんだそうです。

そこは、「上豊岡の茶屋本陣」で有名な飯野家のちょうど鬼門にあたり、方位除けとして祀ったのが「金ヶ崎不動尊」でした。
過去記事「藤塚の洪水碑」でご紹介した明治四十三年(1910)の大洪水があった時、「金ヶ崎不動尊」は崩れた崖もろとも碓氷川に押し出され、対岸の中豊岡村字「前村」の岸に流れ着いたのです。

字図を見ると、「関口」の東隣りに「湯澤」という字があります。
不動尊の所にある高い看板に「湯関」とあるのは、おそらくこの2つの字が合併したものなのでしょう。
ところで、この「金ヶ崎不動尊」には後日談があって、「高崎の散歩道 第十集」に、こんな記述があります。
「 | なお、乗附町金ヶ崎の地に、金ヶ崎不動尊と刻された石碑が元の位置に土地所有者、乗附幾松、一郎父子によって建てられていることを付記しておくことにする。」 |
詳しい場所は書かれていません。
しかし、これは気になります。
ところが実は、念ずれば通ずとはこのことかと思うようなことが最近起こりました。
別件の取材で、片岡町にある西部土地改良区の事務所を訪ねた時、そこに、ちょうど乗附町で昔から農家をしているというYさんが来てらっしゃいました。
何気なく乗附幾松さんと一郎さんの話しをしたところ、一郎さんは健在で家にいるはずだと言って、お家まで案内して下さったのです。
お会いした一郎さんは、御年80歳を過ぎているようにお見かけしましたが、間違いなく「高崎の散歩道」に出てくる一郎さんで、「金ヶ崎不動尊」の石碑もちゃんと残っているというので、その場所を教えて頂くことができました。


ここ一帯の土地は、昭和二十二年(1947)の農地解放で、飯野家から乗附家に所有が移りました。
そんなことから、飯野家に敬意を表し、元「金ヶ崎不動尊」の祀られていた場所に、碑を建てることにしたのでしょう。
乗附一郎さんのお話しでは、祖父の彦太郎さんが碓氷川の河原から、碑にする石を担いで家まで運んできたそうです。
その石に「金ヶ崎不動尊」と刻み、父・幾松さんと一郎さんで台車に積んで、牛に引かせて運んだということです。
当時は今の道路はなく、急な上り坂を牛は前膝をついて這うようにして上ったといいます。
「湯関」の「金ヶ崎不動尊」から、「金ヶ崎」の「金ヶ崎不動尊碑」へ行くには、過去記事にも書いた碓氷川の木橋「中乗橋」を渡ればすぐです。
お近くにお出かけの節は、ぜひとも2つの「金ヶ崎不動尊」を訪ねてみて下さい。
(参考図書:「高崎の散歩道 第十集」)
【金ヶ崎不動尊】
【金ヶ崎不動尊碑】