荘厳寺の駐車場の片隅に、大きな石碑が二つ転がって(?)います。
「横澤先生建碑寄附者芳名」と刻まれた二つの石碑には、びっしりと寄付金額と氏名が刻まれています。
その寄付者は、ざっと2000人弱、広範囲な地域の方々です。
不思議なのは、寄付者の石碑があるのに、肝心の「横澤先生」の石碑がどこにも見当たらないことです。
近くに古くからあると思われる商店があったので、飛び込んでお聞きしてみると、
「大っきい碑があったんだいね。養蚕の先生の碑だとか言ってたけど、お寺さんに聞いてみ。」
ということで、荘厳寺さんをお訪ねしました。
幸い、ご住職がいらっしゃって、お話を聞くことができました。
「横澤さんという人は、群馬県内の繭の指導者だったんです。横澤さんという人がいて初めて、この辺で桑を栽培し蚕を飼っていたという、大先生だったらしいんです。」
問題の石碑については、このようなお話でした。
「3mくらいの碑があったんです。その碑が建ったのは昭和三年(1928)頃で、脇碑にある方たちの寄付を募って建てて、その寄付の残ったのを、この寺の本堂を建て直す方にも回して頂いたんです。
長い間補修もされずにいて危険な状態になったので、7年ほど前に倒しました。」
「あー、じゃ、もうどこにもないんですね?」
と、がっかりして言うと、意外なお答えが。
「いや、埋まってます。県に寄付するといっても要らないというし、市も要らないという。大き過ぎて砕石にすることもできないんです。結局お寺持ちだからというので、仕方なく埋めました。お金かかりましたよ。」
どこに埋めたかというと、
「駐車場の貯水槽の右側、地下1m位のところに埋まってますよ。また何かの時に、建てる気になった時には、掘り起こしてみるということは、可能性としては残っています。」
ということでした。
その、埋めた石碑にどんなことが書かれていたか、お尋ねしてみると、
「いや、横澤先生顕彰碑としか書かれていなかったです。」
写真や拓本も残っていないそうです。
もっと横澤先生のことが知りたくなって、ネットや図書館で調べてみましたが、出てきません。
ぼっとして(上州弁:もしかして)、金古町の「県立日本絹の里」なら分かるかも知れないと思い行ってみましたが、ご存知ありませんでした。
群馬県中から寄付が集まって、大きな顕彰碑を贈られた人物です。
有名な方だったに違いありません。
もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、情報をお寄せ願いたいと思います。
芳名碑にある情報は次の通りです。
昭和三年十一月建立
発起人 勢多郡 田中政徳 群馬郡 関口菊太郎
建方 陸前石巻 岡田谷組
刻まれている地域名で、読み取れたものは次の通りです。
今日は、この碑のことで終わってしまいました。
次回は、鎌倉街道を少し先に進むことにいたしましょう。
「横澤先生建碑寄附者芳名」と刻まれた二つの石碑には、びっしりと寄付金額と氏名が刻まれています。
その寄付者は、ざっと2000人弱、広範囲な地域の方々です。
不思議なのは、寄付者の石碑があるのに、肝心の「横澤先生」の石碑がどこにも見当たらないことです。
近くに古くからあると思われる商店があったので、飛び込んでお聞きしてみると、
「大っきい碑があったんだいね。養蚕の先生の碑だとか言ってたけど、お寺さんに聞いてみ。」
ということで、荘厳寺さんをお訪ねしました。
幸い、ご住職がいらっしゃって、お話を聞くことができました。
「横澤さんという人は、群馬県内の繭の指導者だったんです。横澤さんという人がいて初めて、この辺で桑を栽培し蚕を飼っていたという、大先生だったらしいんです。」
問題の石碑については、このようなお話でした。
「3mくらいの碑があったんです。その碑が建ったのは昭和三年(1928)頃で、脇碑にある方たちの寄付を募って建てて、その寄付の残ったのを、この寺の本堂を建て直す方にも回して頂いたんです。
長い間補修もされずにいて危険な状態になったので、7年ほど前に倒しました。」
「あー、じゃ、もうどこにもないんですね?」
と、がっかりして言うと、意外なお答えが。
「いや、埋まってます。県に寄付するといっても要らないというし、市も要らないという。大き過ぎて砕石にすることもできないんです。結局お寺持ちだからというので、仕方なく埋めました。お金かかりましたよ。」
どこに埋めたかというと、
「駐車場の貯水槽の右側、地下1m位のところに埋まってますよ。また何かの時に、建てる気になった時には、掘り起こしてみるということは、可能性としては残っています。」
ということでした。
その、埋めた石碑にどんなことが書かれていたか、お尋ねしてみると、
「いや、横澤先生顕彰碑としか書かれていなかったです。」
写真や拓本も残っていないそうです。
もっと横澤先生のことが知りたくなって、ネットや図書館で調べてみましたが、出てきません。
ぼっとして(上州弁:もしかして)、金古町の「県立日本絹の里」なら分かるかも知れないと思い行ってみましたが、ご存知ありませんでした。
群馬県中から寄付が集まって、大きな顕彰碑を贈られた人物です。
有名な方だったに違いありません。
もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、情報をお寄せ願いたいと思います。
芳名碑にある情報は次の通りです。
昭和三年十一月建立
発起人 勢多郡 田中政徳 群馬郡 関口菊太郎
建方 陸前石巻 岡田谷組
刻まれている地域名で、読み取れたものは次の通りです。
群馬郡 | 六郷村、長野村、相馬村、堤ヶ岡村、国府町、惣社町、清里村、駒寄村、明治村、車郷村、箕輪町、豊秋村、佐野村、岩鼻村、大類村、瀧川村 |
勢多郡 | 北橘村、敷島村、方賀村、木瀬村 |
前橋市 | |
多野郡 | 吉井町、多胡村、神流村、八幡村、美土里村、平井村、小野村、入野村、新町 |
碓氷郡 | 東横野村、八幡村、川田村 |
佐波郡 | 玉村町 |
埼玉県 | 児玉郡、大里郡 |
門弟 技術員 | 長野県、群馬県、朝鮮 |
今日は、この碑のことで終わってしまいました。
次回は、鎌倉街道を少し先に進むことにいたしましょう。
【「横澤先生建碑寄附者芳名」碑】