高崎市歴史民俗資料館の「企画展 三国街道と宿場」の講演会、2回とも聴講してきました。

とにかく、参加者の多いことに驚きます。
定員60人のところに、予約もせずにいきなり来る方もいて、会場は大賑わいでした。
歴史好きな人というのは、結構いるもんですね。
この企画展では、いろいろな方とのめぐり会いがありました。
高崎市史編纂委員の中村茂先生とのめぐり会いは、「山梨で出会った高崎の宝」で書きましたが、他にもこんな方とのめぐり会いがありました。
講演会後、展示写真を見ていると、「これ、私の父が撮った写真です。」と仰ってる方がいます。
見ると、この方の顔には見憶えがありました。
「もしかして、伊藤さんですか?」と聞くと、びっくりした顔をされていました。
ご本人は気付かなかったようですが、実はこの方の奥さんとお子さんにも面識があるんです。
撮影者名は掲示されてませんでしたが、高崎の昔の写真というと必ず出てくる、伊藤富太郎さんの写真だったのです。
まさかこの方のご家族だったとは、今日の今日まで知りませんでした。
世の中には、不思議なご縁があるもんです。
また、こんなめぐり会いもありました。
展示物の「諸業高名録」の版木を見ていると、矢島館長さんが来られて「迷道院さん、天田さんに会われましたか?」と仰います。
館長さんの取り持ちで、電話でお話ししたことはあったので、
「今日お見えになるとはお聞きしてますが、まだお会いしてません。」と言うと、すぐ引き合わせて頂きました。
天田さんとは、「諸業高名録」の作者・天田倉蔵氏のご子孫の方です。
(天田倉蔵氏については、旧三国街道 さ迷い道中記(16)をご参照ください。)

天田さんには、号外!「企画展 三国街道と宿場」の記事にも、コメントを頂いています。
天田さんのお宅には、明治初期に払い下げられた、高崎城の築地塀(ついじべい)が残っています。
塀本体は、移築時に改築されたと思われますが、屋根の瓦は高崎城に使われていた本物です。
その瓦の特徴は、波型でなく平らであることで、非常に珍しいものだそうです。
城址公園に「乾櫓」(いぬいやぐら)が復元されていますが、そこにある築地塀は、天田さんのお宅に残る築地塀に倣って復元されたものです。
以前、「民家に残る高崎城」で、払い下げになった高崎城の遺構の数々を紹介しましたが、今回、またひとつの遺構にめぐり会いました。
ますます、高崎城を復元したい気持ちが強まります。

とにかく、参加者の多いことに驚きます。
定員60人のところに、予約もせずにいきなり来る方もいて、会場は大賑わいでした。
歴史好きな人というのは、結構いるもんですね。
この企画展では、いろいろな方とのめぐり会いがありました。
高崎市史編纂委員の中村茂先生とのめぐり会いは、「山梨で出会った高崎の宝」で書きましたが、他にもこんな方とのめぐり会いがありました。
講演会後、展示写真を見ていると、「これ、私の父が撮った写真です。」と仰ってる方がいます。
見ると、この方の顔には見憶えがありました。
「もしかして、伊藤さんですか?」と聞くと、びっくりした顔をされていました。
ご本人は気付かなかったようですが、実はこの方の奥さんとお子さんにも面識があるんです。
撮影者名は掲示されてませんでしたが、高崎の昔の写真というと必ず出てくる、伊藤富太郎さんの写真だったのです。
まさかこの方のご家族だったとは、今日の今日まで知りませんでした。
世の中には、不思議なご縁があるもんです。
また、こんなめぐり会いもありました。
展示物の「諸業高名録」の版木を見ていると、矢島館長さんが来られて「迷道院さん、天田さんに会われましたか?」と仰います。
館長さんの取り持ちで、電話でお話ししたことはあったので、
「今日お見えになるとはお聞きしてますが、まだお会いしてません。」と言うと、すぐ引き合わせて頂きました。
天田さんとは、「諸業高名録」の作者・天田倉蔵氏のご子孫の方です。
(天田倉蔵氏については、旧三国街道 さ迷い道中記(16)をご参照ください。)

天田さんには、号外!「企画展 三国街道と宿場」の記事にも、コメントを頂いています。
天田さんのお宅には、明治初期に払い下げられた、高崎城の築地塀(ついじべい)が残っています。
塀本体は、移築時に改築されたと思われますが、屋根の瓦は高崎城に使われていた本物です。
その瓦の特徴は、波型でなく平らであることで、非常に珍しいものだそうです。
城址公園に「乾櫓」(いぬいやぐら)が復元されていますが、そこにある築地塀は、天田さんのお宅に残る築地塀に倣って復元されたものです。
以前、「民家に残る高崎城」で、払い下げになった高崎城の遺構の数々を紹介しましたが、今回、またひとつの遺構にめぐり会いました。
ますます、高崎城を復元したい気持ちが強まります。
【天田家築地塀】