2010年01月24日

旧三国街道 さ迷い道中記(16)

旧三国街道 さ迷い道中記(16)「金古」の信号のすぐ北に、写真のような石祠が祀られています。

「土俵の天王様」と呼ばれています。

「天王様」は、このブログでも度々登場する「牛頭天王(ごずてんのう)」のことで、疫病を流行らすとも、防ぐとも言われる神様です。

気になるのは、「土俵」です。
前回、ご紹介した「金古宿略図」にも、
「土俵」の文字が見えますので、地名であろうというのは分かります。

旧三国街道 さ迷い道中記(16)旧三国街道 さ迷い道中記(16)玉垣の内側にも、プランターにも、「土俵」の文字が書かれていますので、今もそう呼ばれているようです。

しかし、意外とその地名の由来が定かではありません。
「土俵」と聞くと、すぐ連想するのは相撲です。
「群馬町誌」にも、こんな由来が記されています。

「ある時、伝染病にかかった旅人が金古の宿に泊まり、病気が宿から町中に広まってしまった。
ちょうど江戸の相撲取りが興行に来ていたので、厄払いの相撲をしたところ、病気が無くなった。
その興行相撲をしたところなので、土俵という地名がついたという。」


うーん、もっともらし過ぎて、どうなんでしょうという感じです。

他には、金古町の郷土史研究会「十日会」の会報に、内山留一郎氏の「土俵町名の史的考察」という一文があります。
要約すると、次のような説です。

「疫病が村に入らないように『道祖神』を祀るが、侵入路を塞ぐという意味で『塞の神(さいのかみ)』ともいう。
また、『千引き石』と呼ぶ大きな石を道路に置いて、道を塞ぐこともある。
『土俵』も、俵に土を入れて疫病の侵入を塞いだものであろう。」


さあ、いかがでしょう?
「千引き石」に代わる「土俵」という説ですね。

では次に、迷道院の推理です。
「群馬町誌」「金古宿の風景」という項の、こんな記述から推理してみました。

「宿場には必ず用水が取り入れられている。
金古宿の場合、北部は蟹沢川から取水した水路が土俵の北まで引水され、南部は牛池川から取水して現在の金古四つ角から染谷川まで、その中間は牛池川土俵で溜めていたのであろう。
(略)
ただし、用水の調整はあまりうまくいっていなかったようで、文政十年(1827)の史料では、五月から十一月には、水があふれて宿中が水浸しになることもある、と述べられている。」

ということで、ただ単に、水の浸入を防ぐ「土俵」(土嚢)がいつも積まれていた場所だったのではないか、という推理です。
ま、いちばん夢もロマンもない説ですが・・・。

旧三国街道 さ迷い道中記(16)左の絵図は、金古宿の医薬業者・天田倉蔵という人が天保初年(1830頃)に発行した、「諸業高名録」の中で描かれている金古宿の様子です。

高札場が描かれていますが、その左にある石祠が「土俵の天王様」です。
人物に比べて高札天王様が、やけに背が高いと思いませんか?
浸水に備えて、石垣で高く嵩上げしている為ではないかと想像するのですが、さて、いかがでしょう。

天田倉蔵は、上図で「眼療醫師 久良左右(くらぞう)」と書かれています。

「諸業高名録」は、金古宿の宣伝を目的としたようですが、それだけでは旅人に買ってもらえないと考えたのでしょう。
倉蔵は、三国道北陸道の各宿場を回って、高名録に載せる広告主を募ったと言います。
高名録は、現在確認されているものだけでも84頁の大作と聞きます。
その内、金古宿分は5頁を占めているそうです。

今も昔も、誘客のためには知恵を絞り、努力をしていたのですね。

(参考図書:「群馬町誌」「群馬町の文化財」「十日会々報」)

【土俵の天王様】





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Posted by 迷道院高崎 at 08:29
Comments(8)三国街道
この記事へのコメント
「土俵」という地名、おもしろいですね。
たしかに相撲を連想しちゃいました^^。

ところで個人ブログを開設しました。
ニックネームが変わりましたが、引き続きよろしく
お願いいたします。(kaze)
Posted by 風子風子  at 2010年01月24日 10:39
>風子さん

どちらも素敵な個人ブログですね。
これから紹介される記事が、とっても楽しみです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月24日 19:07
高崎の様子がよくわかって素敵なブログですね。
 伊勢崎にも、迷道院さんのようなお方がいれば伊勢崎っ子としては嬉しく思います。

 誰か現れて・・・。
Posted by りんごちゃんりんごちゃん  at 2010年01月25日 20:39
ブログってすごい情報がつまっているんですね。びっくりです。仲間いりして賢くなれるかも!ブログは奥が深い~ ウーム・・・
Posted by TEKOTEKO  at 2010年01月25日 20:46
土俵というと、相撲の土俵しか思い浮かばなかったのですが、土俵=土嚢となると、あっという間に江戸時代?にタイムスリップした感じになります。
そうなんだあ水害を防ぐ働き者だったんですね。

 それから、左のほうでチラチラしている毛布1枚の募金が気になりました。
 小さな私のちいさな思いが役に立つのでしょうか?
Posted by ふわちゃん  at 2010年01月25日 20:48
>りんごちゃん様

コメントありがとうございます!
伊勢崎にもきっと、メイドイン伊勢崎さんが、沢山いらっしゃると思いますよ。

あ、りんごちゃん様がそうされればいいんじゃありませんか?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月25日 22:40
>TEKOさん

初コメントありがとうございます!

ぜひ、ぜひ、仲間入りして下さい!
お待ちしてますよ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月25日 22:42
>ふわちゃん様

コメントありがとうございます!

という、私の勝手な推理なので、本気にしない方がいいかも知れませんよ^_^;

クリック募金、ぜひお願いします!
小さな思いも、集まると大きな力になるようですよ。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月25日 22:51
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