「三ツ寺公園」は、今、拡張工事の真っ最中です。
緑化推進計画の一環で、「自然環境と調和したゆとりある空間の整備」が目的だそうですが、できれば旧三国街道を復元した、歴史ゾーンを盛り込んで欲しかったところです。
これも、縦割り行政組織で、如何ともし難いところなのでしょうか。
しかし、そうでもないのかな?と思わせるのは、工事中の歩道に「三国街道」と書かれたタイルが埋め込んであったことです。→
実は、ここのところ旧三国街道を辿りながら、残念に思っていたことがあります。
ここが旧三国街道であると分かる目印が、ほとんどないのです。
そこで目に留まったのが、マンホールの蓋です。
旧三国街道のルート上にあるマンホールの蓋だけ、三国街道をデザインしたものに替えられないものかと思うのですが、如何でしょう?
「三ツ寺公園」の拡張現場のちょっと先に、大正時代の道標が残っています。→
正面には、「右・経足門至相馬、左・経三ツ寺至高崎」
右側面には、「右・経保渡田至室田及板鼻」
左側面には、「大正十五年三月、観音寺大正青年會建立」
と刻まれています。
←こちらの写真は、拡幅前の旧三国街道だそうです。
まだ舗装もされていませんが、平成四年(1992)発行の「群馬町の文化財」に於いて、「現在の三国街道」と記述されています。
その頃でも、「桶屋・鍛冶屋・酒屋・紺屋・団子屋」などの屋号で呼ばれる家もあったといいますから、つい最近まで街道の面影が残っていたんですね。
あの広い「三ツ寺公園」の中に、旧三国街道が復元されたら、どんなに素晴らしかったでしょう。
今となっては、残念としか言いようがありません。
緑化推進計画の一環で、「自然環境と調和したゆとりある空間の整備」が目的だそうですが、できれば旧三国街道を復元した、歴史ゾーンを盛り込んで欲しかったところです。
これも、縦割り行政組織で、如何ともし難いところなのでしょうか。
しかし、そうでもないのかな?と思わせるのは、工事中の歩道に「三国街道」と書かれたタイルが埋め込んであったことです。→
実は、ここのところ旧三国街道を辿りながら、残念に思っていたことがあります。
ここが旧三国街道であると分かる目印が、ほとんどないのです。
そこで目に留まったのが、マンホールの蓋です。
旧三国街道のルート上にあるマンホールの蓋だけ、三国街道をデザインしたものに替えられないものかと思うのですが、如何でしょう?
「三ツ寺公園」の拡張現場のちょっと先に、大正時代の道標が残っています。→
正面には、「右・経足門至相馬、左・経三ツ寺至高崎」
右側面には、「右・経保渡田至室田及板鼻」
左側面には、「大正十五年三月、観音寺大正青年會建立」
と刻まれています。
←こちらの写真は、拡幅前の旧三国街道だそうです。
まだ舗装もされていませんが、平成四年(1992)発行の「群馬町の文化財」に於いて、「現在の三国街道」と記述されています。
その頃でも、「桶屋・鍛冶屋・酒屋・紺屋・団子屋」などの屋号で呼ばれる家もあったといいますから、つい最近まで街道の面影が残っていたんですね。
あの広い「三ツ寺公園」の中に、旧三国街道が復元されたら、どんなに素晴らしかったでしょう。
今となっては、残念としか言いようがありません。
【三国街道の埋め込みタイル】
【旧三国街道の道標】