八島町にはステーション
倉庫会社に運送店
荷物の集散比(たぐ)ひなく
実(げ)に八達四通の地
倉庫会社に運送店
荷物の集散比(たぐ)ひなく
実(げ)に八達四通の地
「八島町」は前回記事の「鶴見町」の隣町で、どちらも同じ明治三十五年(1902)の成立です。
初代高崎市長・矢島八郎の「高崎停車場」誘致の功績を称えて、停車場前の地を「矢島町」と命名しようとしたが、矢島がこれを固辞したので、「矢」を末広がりの「八」に変えて「八島町」にしたという逸話は、高崎市民にはよく知られています。
明治三十四年(1901)の高崎市議会議案が残っています。
「 | 本按ノ区域ハ 日本鉄道停車場前ニ当リ 戸口日ヲ逐フテ増殖シ 優三ケ町タルノ体面ヲ備フルニ至レリ |
而シテ往年ハ該停車場設置ニ際シ 矢島八郎氏ノ尽力少ナカラズ | |
依テ之レガ功績ヲ存スル為メ 仝氏ノ姓ヲ町名に冠シタキ旨 仝地方民ヨリ請願ノ次第モ之アリ | |
因て之レヲ矢島町ト称シ 尚地形ノ便ニ拠リテ十人町ノ一部ヲ編入ス」 |
ということですから、逸話は事実なんでしょう。
でも以前から何となくモヤモヤしてたんです。
「八島町」は「やしまちょう」と読むのが正式らしいのですが、何で「やじまちょう」じゃないのかなって。
ところがある時、そのモヤモヤが晴れた気がするものに出会いました。
「明治十四年 地理雑件」という各地の小字名を記した書物です。
そこにある「赤坂村」の小字名を見ると、「八島」という小字があるんです。
振り仮名は「ヤシマ」となっています。
その「八島」という小字がどこなのか、知人の中島正義氏がつくった「高崎の字図」で確認してみました。
まさに、いまの「八島町」じゃありませんか。
さあ、となると例の逸話は丸々鵜呑みにするのはどうかなと思います。
いつもの隠居の思いつきなんですが、町名を決めるについてこんなやりとりがあったんじゃないでしょうか。
停車場前も賑やかんなってきたから、そろそろ町にしなくっちゃだいなぁ。
そうだいなぁ、で町名は何にすべぇ。
小字が「八島」なんだから、「八島町」だんべぇ。
おい待てや、あそこは市長が停車場誘致に力尽くしたとこだんべや、「八島町」もじって「矢島町」っつうのはどうでゃ。
おー、そうだいなぁ、そうすりゃ市長も喜ぶだんべぇ、今度の議会で提案ぶつべぇ。
そうすべぇ、そうすべぇ。
・・・ところが、矢島八郎はそんなみっともないことは大っ嫌いという人物でしたから、頑として固辞されてしまいます。
んじゃしゃぁねぇや、「八島町」にすべぇ。
八郎の「八」の字も入ってるから、みんなの顔も立つしなぁ。市長には末広がりの「八」だって言っときゃいいだんべ。
せめて読みは「やじまちょう」にしてぇとこだけど、また市長におっつぁれるから、小字の読み通り「やしまちょう」っつうことにしとくんべぇ。
と、まぁ、こんなことだったんじゃないかと。
歌詞に戻りましょう。
「ステーション」は「高崎停車場」だということは、すぐおわかりでしょう。
「高崎停車場」開設の経緯については、過去記事をご覧ください。
◇駅から遠足 観音山(2)
「停車場」などと言わずに「駅」と言えば一文字で済むんですが、「高崎停車場」ができた明治十七年(1884)頃はややこしいことになるんですね。
それまで「高崎宿」と呼んでいた高崎は、明治十一年(1878)から明治二十二年(1889)まで「高崎駅」と呼ばれてたからです。
ステーション前は「旅館」はもちろん、歌詞にあるように「倉庫会社」と「運送店」がひしめいています。
汽車が着くたびに「おらおら!じゃまだ!どけどけ!」という荒々しい声と、「えー、お泊りは手前どもへ!」という客引きの声が聞こえてくるような気がしてきませんか?